だれかのはじまり

 だれかはフードをかぶり直した。幼い妹といるところを、知り合いに見られたくなかったのだ。いい歳して、うちの親はまだ――。しかも、その結果である妹の世話はこっちに押しつけて。


 まだ愚図っている妹を抱き上げ、ホームの階段を降りた。妹は銀のてすりに手を伸ばす。いつだってなにかを掴もうとする。そのせいでさっきは隣の少女に迷惑をかけてしまった。

 彼女は高級そうな身なりで、妹を笑って許した。きっと恵まれた家庭で育ったのだろう。そういう人はこころに余裕がある。自分にはないものだ。

 小さな手がだれかの髪を引っぱった。


「痛っ! だめ。やめなさい」

「あー」


 まだ言葉がうまく出ない妹に、だれかはつい苛立ちを覚える。自分は他人の世話に向いていないと、最近は特にそう思う。そのうち反射的に手が出そうだ。今朝、妹に頬を引っ掻かれたときも危なかった。


 そんなだれかの気も知らず、母は一方的にまくし立てる。「残業になっちゃって。お迎えおねがいね」父は出張で不在だ。両親はいつも忙しく、だれかはずっと鍵っ子だった。そんな自分が、どうして妹を可愛がれるだろう。


 妹は疲れたのか、おとなしく手を引かれて歩いた。駅を出て、坂をあがると、このあたりでいちばん高いビルが見える。その向こうには、星空がかがやいている。

 夢中で眺めていた宇宙の本も、いまは遠く感じた。いま知りたいのは、ひとりで生きていく方法だ。


 ――はやく大人になりたい。


 そう願って空を見ていた子どもたちは、みんなどこに行くのだろう。

 夜の街に灯る明かりのひとつずつは、ぜんぶきっとかつての子どもたちなのだ。


 フードの奥から、だれかはしずかに祈った。


 了

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おなじ空を見ていた ミナト @minato430

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