それはまるで火花のように
「ようやく来たか。この世界に災厄をもたらした絶対悪が」
流殞の前に現れたのは弓で武装した穂叢だ。その後ろに刺刀が申し訳なさそうに立っていたが、流殞は特に咎めるでもなく、というよりは目に入ってなかったので、意図せず無視した。
「それでは旦那様、我らはこれで失礼つかまつる」
「ええ、今まで本当にお疲れ様でした。後のことはよろしく頼みます」
「委細承知。散!」
源吾のかけ声とともに、周囲にいた月岡衆は黒依とかすかな土埃を残して、一斉に姿を消した。
それに構うことなく、流殞は薄笑いを浮かべ、穂叢へと近づいた。
「結局残ったのはあんたとおれだけだったな」
「そうですね。あなたのことは刺刀さんからすべて聞きました。どうして、あんなことを? あそこには幼子も身動きとれない老人もいたのですよ。なのに、何で?」
刺刀は陽輝を連れて帰ってこられなかったことで罪を感じ、自らの処分を願い出たのだが、流殞はそのまま穂叢について、自分の計画のすべてを語るよう命じていたのである。
それでも真意を知りたかったから、ここまで足を運んだのだ。流殞の口から言われるまで信じられなかった。
だが、現実はいつだって過酷なものである。流殞は口のゆがみを大きくしつつ、未だにそのような質問を発する穂叢に苛立った声を上げる。
「何でじゃねえよ。全部聞かせてやったのに、まだそんな問いが口から出てくんのか? どこまで愚鈍なんだ、あんたは?」
「信じたくはありませんでした。あんなにも優しかったあなたがこんなことをするなんて。やっぱりあなたの中にまだ消えない怒りが宿っているのですね」
「やっぱりってことはあんたもわかってて、おれを生かしてきたってことだよな? だったら、おれとあんたは共同正犯だ。ガキと老いぼれがみんな仲良く炎の中で消し炭になってんのも、責任は半分あんたにあるんだぜ」
穂叢は流殞の言葉の正しさを認めざるを得ず、言葉を詰まらせた。今になって、ようやく無知故に誰かを傷つけてきたことを理解した穂叢はそれでも顔を上げた。
「確かにあなたのおっしゃるとおりです。ですが、子供たちまで巻き込む必要はあったのですか?」
「関係ねえな。おれは世界に問いかけたんだ。てめえの命運を他人に預けるとどうなるかってな。誰も彼も、男も女も、老いも若きも全部誰一人例外なく答えてもらっただけだ。その結果があれだ。自分で責任をとらねえ奴らなんざ、どうせ生きてたって役に立ちゃしねえ。さっさとくたばったほうが世のためだろうよ」
「あなたは……人間であることすらやめてしまったのですか?」
「人間ってのは眞人って意味か? だったら、願い下げだな。おれをあんな屑どもと一緒にすんな」
「……では、わたしたちのために戦ってくれた陽輝様もそうだったのですか? 陽輝様も同じように問われ、戦場の塵となるのが答えだったと?」
その質問は予想していたが、答えは出なかった。
いや、答えはすでに出ている。それを認めてしまったら、流殞は自らの反省を否定することにもなるのだ。
一瞬、絶句した流殞だったが、意識して悪党のような笑みを浮かべ、どぎつい返答を放ってよこした。
「馬鹿なガキだったな。おれの掌の上で素直に踊ってりゃ、次の時代の王様にしてやったってのによ。何に目覚めたかは知らんが、くたばってりゃ世話ねえぜ」
穂叢の怒りを誘発するための安い挑発だったが、効果はあった。穂叢の瞳は憤激に燃え、緋色の髪は風もないのに揺れている。
しかし、まだ暴発はしなかった。穂叢は大きく息を吸って、しばらく止めた後、肺の中が空になるほど息を吐いた。やや落ち着きを取り戻しながら、穂叢の視線は流殞の後ろの方へと向いた。
「そこで倒れているのは、墨吉様ですね? 陽輝様とわたしを救ってくださった」
「ああ。それが?」
「彼女もあなたにとって、使い捨ての道具でしかなかったと?」
「正当防衛の結果だ。こいつはおれが野望を遂げ、その絶頂にあるときに殺したいなんて、くそみたいな欲望を持っててな、それで襲ってきたんで、返り討ちにした。それだけだ」
「詳しい事情はよくわかりませんが、まずは彼女の治療をさせてください」
「断る。どうしてもというなら、おれを倒してからにしな」
悪党みたいな台詞を吐いていると思ってから、実際悪党であることに気づいて、流殞は内心で苦笑した。
「どうしてもですか?」
「くどい」
流殞は端的に拒絶の意志を示す。二人の間に緊張の火花が散った。やがて臨界点に達し、穂叢が己の決意を高らかに告げた。
「なら、わたしはわたしの責任をもって、あなたを討ちます!」
「やっとかよ。だが、いいぜ。決着をつけよう。おれとこの世界、どっちが正しかったかをな!」
流殞はスーツの内ポケットから注射器を取り出すと、おもむろに首筋に突き立て、薬剤を投与した。すべての薬剤を使い切り、空になった注射器を放り出し、大きく息を吐く。
「その前にこれはお返しします。わたしには必要ないものですから」
穂叢はかつて流殞から預かった拳銃を投げ渡したが、流殞は受け取らなかったため、彼の手前でむなしく地面に落ちた。
「おれもいらねえよ。自分のはちゃんと持ってる」
流殞が脇のホルスターから抜いたのは自動拳銃であった。まだ試作品であり、この世にこれしかない。皇国軍事研究所が開発した最後の品でもある。従来品とは異なり、撃鉄を起こさなくても、引き金を引くだけで弾丸は発射される。
戦端を開いたのは、穂叢からだった。
矢をつがえ、大きく引き絞って、一度止め、呼気とともに射る。見惚れるほどの見事な射だった。矢はうなりを上げ、一直線に飛んでいき、流殞の左肩に命中した。その衝撃でよろめくも、流殞は足を踏ん張り、転倒を防ぐ。
もう痛覚がないのか、流殞は左肩から生えたかのような矢をぼんやりと眺めていたが、何を思ったのか、銃を口に銜えてから、右手で矢を引き抜こうとした。矢は奥深くまで刺さったらしく、流殞が力を入れても、矢は抜ける気配がない。
そこで流殞は渾身の力を込め、引っ張った。すると、肉と筋がちぎれるいやな音とともに矢は引き抜かれた。鏃には流殞の血と肉がこびりついていて、常人の第三者がここにいれば、その凄惨さに嘔吐したかもしれない。
「返すぜ。矢はいくらあってもいいだろ? それともう少しやる気を出してくれないか? こんなんじゃ、何度射ても、おれの命には届かないぜ」
流殞は矢を投げ返すと、穂叢がそちらへと意識を移したのを確認して、口にくわえた銃を構えて、撃った。不意を突いたにもかかわらず、流殞の弾丸はあさっての方向へと飛んでいく。
元々射撃の才能はなかった。どんなに練習しても、射撃の腕が伸びることもなかったのだ。訓練しているとき、常に傍にいた黒依が珍しく真面目くさった様子で、才能がないと告げてきたときは、それなりに衝撃を受けたものだ。
だが、数撃てば当たるかもしれない。たちまち弾倉に残った弾を撃ち尽くすと、流殞は素早く空弾倉を捨て、新しい弾倉を装填する。
銃の才能こそなかったが、こういうルーチンは練習するほどに上達する。流殞がいかに努力したか、そして、その努力が報われなかったかを証明していた。
その後、両者足を止め、撃ち合うも、決定的な一発が出ない。
流殞は単純に腕が悪いだけだったが、穂叢のほうには迷いがあった。流殞の命を落とさずに、屈服させるのは至難の業だったし、流殞も初撃を受けてから、身体を横にして、撃ってきているため、的が小さくなり、急所以外が狙いづらくなっているということもある。
撃ち合ううちに流殞はなぜか楽しさを覚えていた。これほどまでに生を実感したことがあっただろうか。死の際にあって、より命は輝きを増す。
一発撃つごとに、限界を超えた流殞の体内では小さな破壊が起こり、連鎖して、持ち主の命を削っていくというのに、逆に充実していくのは自分が満たされていっているからだろうか。
薄れゆく意識の彼方で、黒依は流殞と穂叢の死闘をただ見ていたが、流殞の顔が自分の知らないものへとなっていくことに激しい焦慮を覚えた。このままでは流殞があの女にとられてしまうと思ったのだ。
「やめて……あたしの旦那様をとらないで」
虫の羽音よりもか細い声で己の心情を口にしたとき、唐突に理解した。
絶頂期の流殞を殺して、自分のものにしたかったわけではないということを。確かに出会った頃はそうだったかもしれないが、成長し、身体を重ね、誰よりも傍にいた結果、黒依の中で確かに育まれたものがある。陳腐な言葉で表せば愛であろうか。
人を愛する前に人を殺してきた彼女にとって、殺人衝動がすなわち愛であると錯覚してきた黒依が自分の感情を持て余し、あえて見ないようにしてきたのだ。死に瀕し、ようやく黒依はそれに向き合い、自分の本心を知った。
死にたくない。大勢の命を踏みにじってきた自分にそんな資格はないのかもしれない。
それでも、今度こそ流殞の役に立ちたいと願う黒依は地面に立つ瓶に手を伸ばした。たったそれだけのことをするのに渾身の力が必要だった。蓋を開け、一口飲み、もう一口分を傷口に塗りつける。
黒依はそれが无妄王の下賜品とは知らなかったが、さすがは羅喉国国宝級の霊薬だけあって、効果のほどはすぐに現れた。傷口につけて、なおかつ、飲んだことで身体の内外から傷ついた部分が急速に塞がっていく。
傷口は完全に癒えても、立ち上がるだけの体力は回復しないようだった。黒依はそれでも身体を引きずり、少しでも流殞のほうへと近づいていく。
その間も戦いは進むが、膠着というよりは一方的展開になってきた。穂叢の矢はすでに何本も流殞の身体に突き刺さっている。特に穂叢のほうに向けている流殞の右足は針鼠のようになっていた。
目がかすむ。息が苦しい。喉が渇いて、痛い。体中の骨肉が悲鳴を上げている。膝が笑い、手が震える。それでも流殞は折れずに戦い続ける。
もう少しで何かが掴めそうだった。射撃のこつではなく、半生をかけて、ようやくたどり着いたこの一瞬の意味がわかりそうな気がしたのだ。
しかし、限界は唐突に訪れた。
戦う前に注射した月岡衆に伝わる秘薬も効果がなくなったようだ。大波が来た。肺から気管支を血が逆流し、流殞は大量に喀血した。生暖かい液体が彼の顎を赤く染めていく。
それでも流殞は前に進もうと、足を一歩踏み出す。その視界が急激に低くなったことに不信感を覚えつつも、もう一歩進もうとしたとき、今度は地面が彼の目の前にあった。
倒れたのだと気づき、立ち上がろうとするも、もはや腕に力が入らない。腕どころか、身体から命が抜けていくのを感じる。
「もう少しだと思ったんだけどなあ」
その言葉を残し、流殞の意識は闇の奥へと沈んだ。
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