第1楽章 ♪ 樹木の夜想曲〜レーラとの邂逅〜

――ここは多様な文化と生命いのちが響き合う世界、セフィラ。その最南端にある霧深いマルクトの森では、トネリコの樹と静かに暮らす民がいる。

 レーラが湖のほとりで小さな竪琴…ライアーをポロンと弾くと、水の妖精たちが賑やかに踊った。

「あはは♡」

 少女の鈴のような愛らしい声が森にこだまする。そこへ突然、湖に眩しい光がさしこんだ。

「なに?」

 空から爆音とともに、流星群のような光が降り注ぐ。

「星!?」

 妖精たちは慌てて姿をくらまし、レーラも思わず顔を伏せた。やがて光が消えると、銀髪の青年がボロボロの姿で倒れているのが見えた。

「…ってぇ…!ったく、容赦ねぇな」

 ルイドが湖から這い上がると、濡れた黒のレザーが陽光に輝いた。銀髪が雫を散らし、クロスのピアスが揺れる。

「ぴぇ…」

 引き込まれるような赤い瞳と目が合い、レーラは思わず見惚れる。

「ギターはどこに…ぐっ…」

 ふらつき、その場に倒れるルイド。

「たいへん!ねえさまー!!」


――奏楽天使、神のそばでバロックを奏でる役目を持つ。ルイドはあらゆる楽器に精通し、指揮者として楽団を束ねていた。

 繰り返す安寧の日々、ルイドはパイプオルガンの鍵盤を叩いた。荘厳な和音が一瞬にしてゆがみ、不協和音が天界に響き渡る。

「聖なるかな、聖なるかな」

 ルイドの赤い瞳は輝きをなくしていた。

 

「限界だ」


 玉座の間を不協和音が切り裂き、奏楽天使たちが息をのむ。ルイドの指は鍵盤を乱暴に叩き、耳障りな響きが静寂を粉砕した。

 

〜♪

 その時どこからともなく覚えのない旋律が聞こえてきた。荒々しく、乱暴でバロックとは対極にあるようなメロディ。でも…

「でも心地よく生きている」

 


――ルイドが目を覚ますと、ハーバルの爽やかな香りが鼻をくすぐる。

「…ここは?……っつ!」

 柔らかなベッドから体を起こすと、背中に痛みが走った。翼がなくなった消失感と天界での出来事が蘇る。

「気がつきましたか!」

 たらいとタオルを両手に抱え、レーラがかけ寄る。水色の長い髪によく似合う青い髪飾り。アメジストにも見える丸い瞳をキラキラと輝かせてルイドを見つめる。

「よかった…数日、目を覚さないから心配で。ここはマルクトの森。私は樹木の民レーラ」

「俺はルイドだ。天界の……はっ!ギターは!?」

 辺りを見渡すルイド。勢い余って、ひたいから落ちたタオルをレーラが拾う。

「るいどさん、こちらへ…」

 小さな手でルイドの手を引くレーラ。温かく柔らかでふにふにとした手触りが、ルイドの心を少し和ませる。

 連れられるがまま部屋を出ると、村の御神木だというトネリコの木に案内された。樹齢1000年と言わんばかりの巨木はどっしりと里の中心部に身を置き、その枝葉には緑が生い茂っている。

「ねえさま〜」

「あら、お目覚めになったのね」

 "姉様"と呼ばれる女性が振り返ると、地を這うほどの長い新緑の髪につけた飾りがシャラリと揺れた。白装束に身を包み、木々の紋様が入った黒い布で両目を覆った異様な風貌である。

「わたくしはミュウ、この里の巫女。体はもう大丈夫なのですか?」

 すっ、とルイドの胸元に白く長い指が触れる。ひんやりとした質感に、ルイドは思わず一歩後ずさる。

「お陰様で。俺はルイド、ギターを知らないか?ボディとヘッドに天使を模した…」

 巫女の合図で村人が厳重に何かを運び出す。かけられた布をミュウが退けると、ルイドの愛用のギターが姿を現した。

「俺のエンジェリックギター!おお!無事だったんだな!」

 少年のような笑顔でギターを抱えるルイドを見て、レーラとミュウは顔を見合わせて微笑む。

「壊れた箇所は直しました。この里はトネリコが豊富で楽器をつくることも珍しくないんです」

「木の紋様がボディに入ってるな。助かる」

そう言って軽快にギターを鳴らしてみせた。素材の違いか元のギターとはまた違う、軽やかな音が鳴り響く。

〜♪

わぁ、とレーラがライアーを取り出し即興で音を合わせる。

「はは!うまいもんだ!澄んだ水の、川のせせらぎに似た響き。奏楽天使にはない魅力がある」

「えへへ…♡るいどさんは、天使さんなの?」

「神の怒りで地上に墜落した、元天使が正しいかもな。翼も折れちまったし、そういやエンジェルリングもねーな」

 自嘲的に笑いながら空虚な頭上に触れるルイド。

「星みたいに降ってきたから絶対に天使さんだと思ってたの!」

 レーラはコロコロと表情豊かに話し、ミュウは驚く様子を見せる。目元は隠れて見えないが、口角が上がっているのが分かった。

「森の外はどんな音が溢れてるんだろう…見てみたいなぁ」

「ここから出たことはないのか?」

「この里の掟なんですよ」

 それも民を守るため、とミュウは続けたが、ルイドは赤い瞳を一瞬曇らせる。

「守るための掟ね…」

 天界での抑圧に似たものを感じながら、ルイドは銀髪をかきあげた。

 

 

「よろしいかな?」

 和やかに話す姉妹の間を割って、壮年の男が現れた。

「わしはこの里の長。聞くところによるとあなた様は空から舞い降りてきたそうじゃの」

「降りてきたっつーか、落とされたんだが」

 木々に囲まれた空を見上げながらルイドは、はぁ…とため息をつく。

「この村は見ての通り我々、樹木の民が暮らす里。我々の規則をもって長い間、保たれてきたいわば森の聖域」

「聖域ね…」

 天界でのミカエルの言葉を思い出しポリポリと頬をかく。

「まぁ言わんとしてることは分かるよ。異端は災の始まりみたいなもんだろ?ギターも直してもらったことだし、すぐにでもここを出るさ」

「すまないが、これも里の掟…」

「えぇっ、もう行っちゃうんですか?そんなぁ…」

 丸い瞳をきゅるきゅると潤ませながらレーラが寂しそうに呟く。

「ずっと介抱してくれてたんだよな?レーラ、ありがとな」

 ルイドが屈んで、ぽんぽんと優しくレーラの頭を撫でると、彼女の頬がほんのりと赤く染まった。

「さて、それじゃあ荷物を……っと!?」

 立ち上がる瞬間、森の空が黄金色に輝き、辺りを照らした。金色の羽がゆっくりと舞いあがり、厳かなバロックの演奏とともに、天使たちが光に包まれながら降臨する。神々しい姿に、樹木の民たちはただ呆然と立ち尽くした。

「追放の天使ルイド!」

 キラキラと輝く金髪のセミロングへアをなびかせながら、鎧姿のミカエルが雄々しく叫ぶ。澄んだ青い眼光がルイドの姿を捉えると、ミカエルは長剣を鞘から引き抜き、その切っ先を彼に突きつけた。

「天界へ戻ろう。今ならまだ間に合う。神に心からの懺悔と赦しを乞えば、慈悲深き主人は許してくださるだろう」

「俺は謝る気はない!」

 ルイドがエンジェリックギターを構える。雷鳴のようなリフが森を震わせ、弦を弾くたび閃光がミカエルの剣と激突する。銀髪が炎のように揺らめき、メタルの咆哮が里を切り裂いた。

「俺はロックを、メタルを!自由な音楽を認めてもらいたいんだ!」

「いくら神の寵愛を受けしお前でもこれ以上は許されないぞ」

「音楽は平等であるはずだ。多様な旋律を奏でても自由であるべきだろ!」

「音楽?この騒音が?」

「これは魂の叫びだ!」

 …ふむ、と僅かにミカエルは考えた後、おもむろに剣を鞘に納めた。

「ならば地上にお前の音楽を広めてみせよ。そして各国に散りばめられた7つの楽譜スコアを集め、天界の門に響かせよ。さすれば扉は開くだろう」

「スコアだと?」

「その時までお前の決意に変わりがなければ、主人も聞く耳くらいは持つだろう」

「いや、認めろっての」

 ルイドは不満そうにミカエルを睨む。

「ルイド、私はお前が奏楽天使を束ねていた頃が懐かしいよ。またお前の指揮でバイオリンが奏でられたら…」

 少し寂しげに微笑んだ後、ミカエルは消えた。天界での数少ないあたたかな記憶にルイドは一瞬ためらいの表情を見せた。

「それでも俺は…」

 ルイドは自分のてのひらを見つめながら、ぐっと力強く握りしめる。

「よし!スコアを集めて天界への扉を開き、神にリベンジだ。待ってろ、必ず俺はメタルを認めさせる!!」

 ザァッ…っとマルクトのあたたかい風が里を巡る。

 ルイドが決意を胸に拳を上げた瞬間、途端に空が暗転し、黒い羽がひらりと落ちた。バロックとは対極の重く低いリフが響き渡り、辺りに冷たい風が流れる。トネリコの葉が不穏にざわめき、レーラはルイドの裾を握った。

「よォ、赤目の天使ィ…!」


 ――次回に続く!

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る