第12話 片思いが実る時
呆然と立ち尽くしていた。
どこからどこまで信じていいのかわからない。
「だいぶんはしょった個所はあるんだけどね。人を刺したら死ぬなんて知らなかった、ダメなこともわからなかった。だって、私にはいまだに二人の声が聞こえるもの。先生が全部教えてくれた。良いことも駄目なことも。でもやっぱり一番愛がもらえるのは刺すことだから。その瞬間が一番の愛をくれる。三人ともそうだったから!」
歪んでいる。そう思えるのに、この場から逃げるのではなく、彼女をどうにかして救い出したいという思いが先行している。
一つ、引っかかる言葉があった。
「三人……?」
「そう!三人!」
「両親だけじゃ……」
「私、伝えたいこと三つあるって言ったよね?」
拓海は静かにうなずく。
「両親に挨拶してほしかった、っていうのが一つ目。そして二つ目」
夕灯はゆっくりと腕を水平に上げ、拓海の隣の大きなカーテンを指さす。
「その中、拓海君に会わせたかったんだ。きっと喜ぶと思って」
夕灯は右手をカーテンの方へ差し出す。
拓海が動こうとしないので、自分で開けろ、とでも言いたいのだろう。
拓海は恐る恐るカーテンを開けた。
目を見開いて固まった。
驚きで声すら出ない。
カーテンの中にいたそれが何なのか、理解するのに長い時間が流れたような気がした。
様々な思考が拓海の中で流れた。そしてついに理解した。
カーテンを開けた中には、ホルマリン漬けにされた姉のなのはの姿があった。
「あ……うわああぁぁぁ!姉さん……姉さん!」
拓海は驚きから尻もちをついた。
「う、嘘……嘘だ……。……ははは、よく、よくできた人形だな…………でも、ちょっといたずらが過ぎるぞ」
拓海は水槽から顔をそらして、夕灯の方を見やる。
「人形じゃないよ?本物。本物の高野なのはさん」
「……嘘だろ」
「本当。三年くらいお世話になってたの。一人だった私に声をかけてくれた。とても親身になってくれた。いろんな考えの狭間で悩んでいた時に、声をかけてくれたの。妹みたいで可愛いって、言ってくれたの。ずっと私のこと心配してくれてた。だから刺したの」
夕灯の飛躍した言葉に、拓海は頭を抱えるしかなかった。
「私が好きだったから。信頼できる、ママとパパみたいに愛してくれる人だったから」
「……それはもう、誰でも良いんじゃ……」
「違うよ。ここに連れてきたのはなのはお姉さんが初めて。他の友達は絶対に連れてきたくない。愛がないから。みんなどうせすぐに離れていく。私は私に愛をくれる人しか刺さない。だからね、本当は邪魔だった杉野君には何もしない。彼からは絶対に愛は得られないから。美夏ちゃんもそう、私のこと好きだけど、今は杉野君が一番だから。だからどれだけ二人が真実へ近づこうとも、私は二人を刺さない。私を愛してくれない人なんていらないもの」
航の言っていたことが今ならわかる。
夕灯が怖い、と言っていた人たちは、おそらく今の拓海と同じ感情を抱いていたのだろう。
常人の態度を取っておきながら、地下では死体を奇麗に飾って家族として過ごす。
そんなことをしているなど誰が想像できたであろう。
しかしなぜなのか、片思いが長かったからなのか、恋人になれた事、これまでの出来事が嬉しく楽しすぎたからなのか、彼女を嫌いになれない。
おかしい、離れた方が良いと考えつつ、彼女をどうにかして助けたいという考えばかりがよぎる。
「大丈夫!これが終わったらママとパパと同じように奇麗にお洋服仕立てて、関節付け替えて、みんなと一緒に過ごしてもらうから!」
気になる言葉はいくつかあるが、これ以上深入りしたくない。
「それって、俺も……?」
「うん!だからここに来てもらったんだもん!」
「なんで……なんでだよ!俺は…………俺は、この先の一緒に生きたい。君が許すなら、結婚して、子供も授かって、死ぬまで添い遂げたいとまで思ってる。……ああ、思ってる。この瞬間にまで思ってしまっている!どうにかできないかって……!」
「大丈夫!」
今の状況にあっていない楽観的な声が地下室で響く。
天真爛漫な笑顔で、拓海は自然とホッとする。
いつもの、拓海の知っている夕灯の笑顔がそこにあった。
「子供ならここにいるから!」
そう言って、夕灯は下腹部をさすった。
拓海は眼を見開いてそこを見る。
「な、なに……どういうことだ」
「どう、って、ここにもう一つの命が誕生してるの」
夕灯は可愛らしく笑う。
「そ、それは、俺以外じゃ……」
拓海には覚えがない。
命が宿るような行為は今までしたことがない。それは姉のとの約束であり、自分に責任が持てなかったからだ。
「拓海君だよ?私貴方と以外にしないもん。今確実に愛をくれるのは拓海君しかいないでしょ?」
「じゃ、じゃあ、いつ。いつだよ。俺、何も……」
「悪夢見て家に来た時」
確かにあの時の記憶はあいまいで、ぐっすり眠っていた。
しかし何か行為をした覚えはない。ないとしたならば、可能性は一つしかない。
「俺が眠っている間に、何かしたのか?」
「うん!勝手にするのは悪いかな、って思ったんだけど、いくら誘っても拓海君デートから先に来てくれなかったから。それじゃ遅いから。絶対に今年度中に欲しかったの。貴方との子供。貴方が大学生の間に」
ここにきて驚いてばかりで言葉に詰まるが、拓海はとにかく懸命に、つっかえてでも言葉を紡ぐ。
「で、でもさ……。俺のだって保証はないし。ここで俺を刺したら、もし……もし何かが原因で産まれなかったときは、もうそこで終わりだよね?」
それくらいは承知の元であってくれ。そう願いながら問いかける。
「大丈夫!拓海君のは先生の研究室で予備にとってあるから!」
頭が痛む。
もう何を聞いても驚かないくらいには意味不明なことを聞いた自覚があるが、今の一言は聞き過ごせない。
「それって……俺が眠っている間に――」
「ごめんね。いろいろして採っちゃった。ああ、大丈夫!体に害を及ぼすことはしてないから!」
「もしかして、悪夢も夕灯さんだったり……?」
そんな非現実なオカルト話くらいは嘘であってくれと願う。
夕灯は何とも言えない表情をして、少し悩んでいた。
「うーん……そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。タイミングが良すぎてそこは私も自信ないなあ。足の痛みもそうだけど。色々実験して試したわけじゃないから。何とも言えない。ごめんね」
そこで謝るのであれば、別の謝るべきところがあるだろう。という突っ込みは飲み込んだ。
夕灯は自身のスマートフォンを取り出して時間を確認する。
「もうすぐ日が変わるね」
「え……あぁ、そうかもね」
夕灯は包丁を持ち直す。
「ふふ、そろそろ私と愛を誓ってくれるよね?」
小首をかしげて不敵な笑みを浮かべて拓海に近づく。
「……ッ」
理解不能な話ばかり聞き、様々な思考を巡らせていたせいて命を狙われていたことを一瞬忘れていた。
拓海はチラッと入ってきた方を見やる。
「無理だよ。出入口は私しか開けられない。それとも、私のこと嫌いになっちゃった?もう、愛はくれないの?」
「そ、そんなこと……!」
ないと言いたい。死にたくない。
それでも彼女が好きなことは変わらない。
二人の生活は大学生活の四年間だけだが、三年間の片思い、三年間のサークル活動。それだけで今逃げ出せずにいる理由にはなった。
「大丈夫!何も寂しくないよ!ママもパパも、なのはお姉さんもいるから!ずっと一緒。私たちは永遠にこの家で過ごすの。これ以上ない幸せだよ?私のこと愛してくれるよね?」
夕灯が包丁を強く握り直す。
「拓海君。私はこれまでもこれからも、未来永劫貴方のことを愛してる」
夕灯は床を蹴り、拓海へ一直線へ突っ込む。
もうどうにもならない。どうにもできない。
なら最後まで、自分も今の気もつをぶつけよう、拓海はそう決めた。
「愛してる」
勢いよく刺され、二人で一緒に倒れていく。
刺された瞬間。夕灯は嬉しそうな笑顔を見せた。
拓海は頭を打った。腹部と頭部の痛みに耐えかね声を張り上げる。
包丁を抜かれ、一気に血の気が引いていく感じがした。
包丁はさらに一刺し、二刺し。痛みが増す。視界がかすむ。
「愛してる……私も愛してる!永遠に、生まれ変わっても、人間でなくなっても!ずっとずっと一緒!」
夕灯は大粒の涙を流していた。
「私、実はずっと昔から拓海君のこと知ってたの。その時から大好きだった。だから、拓海君が私のこと好きだって知って嬉しかった!」
なのはからいくつも写真を見せてもらい、何度も拓海の話を聞かされていた。
その時からずっと拓海に恋焦がれていた。それが叶った大学生活。夕灯は幸せでいっぱいだった。
しかしそれだけでは足りなかった。
彼女は刺し殺してでしか真の愛を得られない。頭の片隅で駄目だと思っていたとしても、今の彼女には止めるすべがない。
「ずっとずっと、一緒に居ようね」
涙声で言う彼女はずっと涙を流していた。
「永遠に、仲良く暮らそうね」
その涙を、拓海は最後の力を振り絞って拭う。
「私、絶対に拓海君のこと裏切らないから」
夕灯の唇が拓海の唇に触れた。
「愛してる。これからも一緒に愛を育んでいこうね」
濡れた唇が離れると、拓海は懸命に声を絞り出した。
「夕灯……しあ、わせ……に……」
意識が遠のく。
死にたくない。
そう願うのに、なぜ彼女の幸せを願ってしまうのか。
それほど愛しているのに。
(こんな最後……ごめん、姉さん)
瞼が閉じられた。
拓海が最後に見た夕灯は、確実に悲しみを帯びた表情をしていた。
(それが、本当の悲しみの涙だといいな。夕灯さん)
拓海の腕は床へと落ちた。
その手を、夕灯は優しくとった。
「ねえ、拓海君。どうして?」
夕灯の涙は止まらない。止める方法が分からない。
「どうして涙が止まらないの?今までこんなことなかったのに……」
両親を刺した時も、なのはを刺した時も、彼女は涙を流さなかった。
「ねえ、止まらないよ……なんで?」
入口の扉が開いた。
視線を向けると、外で待機をしていた忠義が入ってきていた。
「先生……」
「泣きなさい」
その言葉で、夕灯のダムにひびが入った。
「泣いて先に進みなさい。そして、理由を自分で考えるのです。貴女は、その涙の理由をもう知っているはずです」
夕灯は一気に泣いた。
声を張り上げ、地下室内で泣き声を響き渡らせた。
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