第13話 今の私の幸せ
大きなドールショップ。彼女はそこにいた。
彼らの関節を買うべく、かごに大量の球体関節を入れていた。
本体が届くまでの仮の関節。
「先輩?」
背後から聞きなじみのある声が聞こえて振り返った。
「美夏ちゃん!」
「やっぱり夕灯先輩だ!お久しぶりです!」
美夏は懐いた子犬のように、嬉しそうに夕灯へ近づいてきた。
あの日から二か月が経った。
妊婦ではあるが、大学へは特に問題なく通えている。
変な話が流れたり、拓海に対して偏見を持った学生も何人かいたが、夕灯が真剣に弁解すると、学生たちはすでに何も言わなくなっていた。
美夏は大学四年生。今は大学院に行くために準備の間最中だ。
「お腹だいぶん大きくなりましたね」
「もう五カ月だよ。これからもっと大きくなるもんね」
夕灯は愛おしそうにお腹を撫でる。
「触ってもいいですか?」
「うん。どうぞ」
美夏は恐る恐る夕灯の腹部を触る。
そこに命があるのだと思うと不思議な感覚になる。
「ふふ、どんな子が産まれるのかなあ。楽しみですね、先輩」
手を放して、今度は二人でレジへと向かう。
会計を終わらせると、美夏は口を開いた。
「それにしても、そんなに球体関節だけどうするんですか?」
夕灯の右手にある手提げ袋を指して尋ねる。
「ちょっとね。私……お人形さん作るの」
人形と言いたくはないが、そう言わざるを得なかった。
「赤ちゃんのためですか?」
「そう。ねえ、ところで。美夏ちゃんたちの方はどう?楽しくやってる?」
美夏の顔が一気に暗くなる。
拓海が行方不明になった日から、航の様子が明らかにおかしくなったからだ。
航はずっと自分を責めている。美夏が、そんなことない、と言っても聞き入れない。
そして、航は絶対に夕灯が犯人だと決めつけ譲らない。
警察学校への意気込みは一層増したが、美夏は彼が頑張りすぎて倒れるのではないかと心配している。
「あの……あたしは元気です。航先輩は、少し力みすぎちゃってるみたいです」
航のことは伏せることにした。
いまだに夕灯のことを怪しんでいる。などと言ってしまっては、彼女にも失礼だろうと考えたからだ。
ドールショップから少し離れた場所にある洋服店へ入ろうとすると、夕灯は何かに足をガシッと掴まれた。
驚き足元を見て見ると、見たことがあるような頭がそこにあった。
「えっと……」
「あ、由美ちゃんじゃないですか?」
「えーっと……あ、拓海君のバイト先の子」
「そうですよ!」
美夏はしゃがみ、由美の肩を軽くたたく。
「……」
「……」
美夏は立ち上がり、夕灯へ助けを求める。
「あたし手話できないんでした……」
「あ、そっか、ろう者だもんね」
夕灯は由美を蹴らないように振り向き、膝をついて手話を行う。
どうしたのかと聞いて、少し間をおいて返事が返ってきた。
乱雑な手話。
由美は泣きそうになるのを堪えながら懸命に手を動かす。
美夏には何を話しているのかはわからないが、由美の様子がおかしいのはわかる。
そして彼女は腕を下ろして、大声で泣き始めた。
「え、え!?どうしたの?何話したんですか?」
美夏は由美を抱え上げ、背中をポンポンと軽く叩く。
「よしよーし、大丈夫。大丈夫だよー。お姉ちゃん怖くないよー」
親はどこかと左右を見渡していると、遠くの方から女性の叫び声が聞こえてきた。
「由美!」
母親と思われる女性は急いで走って近づいてきた。
「あ!由美ちゃんのお母さん!」
「あ、あれ、あなた……あ、拓海さんのお姉さんの捜索にいた子ですね?」
「そうです。美夏って言います」
美夏はそう言って、由美を母親へ帰した。
「ご迷惑おかけしてすみません」
「良いんですよー。由美ちゃん、大丈夫ですか?」
「分からない。急に走り出して心配して探してたんですけど、今度は泣き声が聞こえて、私にも何が何だか」
母親は娘の背中を軽くたたきながら落ち着かせる。
二分ほどで気分は落ち着いたようで、由美は手渡された水を少し飲んだ。
「由美ー、一体どうしたの?急に人前で泣くなんてことなかったのに」
母は由美に自分の口元をゆっくり見せる。
由美は何かを言いたげに口を開く。かすかに聞こえる声。
拓海との練習で少し話せるようになっていた。
由美は夕灯の方へ振り返り、怒った表情で叫んだ。
「大っ嫌い!」
「ゆ、由美?どうしたの……そんなにはっきり話したことないのに……」
母は由美を下ろし、手話で会話をする。
『そんなこと言っちゃダメでしょ?お姉さんに謝りなさい』
『だって!拓海君いなくなったの絶対にこの人のせいだもん!ママもそう思うよね?』
娘に問われ、母は口を噤んだ。
『で、でも証拠がないもの。とにかく謝りなさい』
『嫌!』
母は溜息を吐き、由美を抱き上げる。
「ごめんなさい。私たちはもういくわ」
「はい。また落ち着いたらお話ししましょう」
「……そうね」
美夏は夕灯の方を見て、すぐに由美母へ耳打ちをする。
「今度本当にお話ししましょう。お尋ねしたいことがあるんです」
そう言って、自分の電話番号を紙に書いて渡した。
「分かったわ。本当に迷惑かけてごめんなさい。失礼します」
母は辺りにも頭を下げながらその場を後にした。
「初めてはっきりしゃべった言葉があれだなんて……」
夕灯は彼女の去り際の言葉を聞き逃さなかった。
「本当に、愛されてるなあ」
「何か言いました?」
美夏に尋ねられ、夕灯は頭を左右に振る。
「何でもない。そろそろ帰ろうか」
「お洋服良いんですか?」
「うん。早く帰りたくなったの」
「そうですか。じゃあ、帰りましょう。今日は航先輩が遊びに来てくれるんですよ」
美夏は嬉しそうに、今の航との現状を話してくれる。
幸せそうな彼女を見て、夕灯は少し羨ましく思う。
自分も幸せなのに、なぜ羨む必要があるのか。そう考えるが、今の夕灯には分らない。
「では先輩、私は電車ですので」
話を聞いていると、いつの間にかお店の最寄り駅についていた。
「そっか。久しぶりにたくさんお話しできて楽しかったよ」
「私も楽しかったです。何かあればいつでも頼ってくださいね」
「うん。ありがとう。じゃあ、また今度食事でもしようね」
「はい!夕灯先輩、赤ちゃんも、また会いましょう。それでは!」
「バイバイ」
夕灯は手を振り、元気に去って行く美夏を見送った。
家の近くまで帰ってくると、門先に見知った人物の影を見つけた。
「先生」
夕灯に呼ばれ、忠義は彼女の方へ体を向けた。
「やあ、夕灯」
「どうかしましたか?」
「お試し用の球体関節渡しに来たんだ」
彼が持っていた三つの袋の中には、大量の球体関節が入っていた。
「やった!先生ありがとう!これで足りそう」
夕灯は本当に嬉しそうにそれらを受け取ろうとした。
「君は一応妊婦なんだ。こんなに重いもの持たせられない」
「うーん。では運んでください。あ、あと、今回も手伝ってくださいね」
「分かっていますよ。それが君との約束だからね」
夕灯は門を開け、玄関の鍵と扉を開けた。
「夕灯」
「なんでしょう」
忠義は言い淀んだが、意を決して夕灯にあることを訪ねる。
「君は、なぜあの時大泣きしたのか、理由はわかったかな」
夕灯は瞼を伏せ、頭を左右に振る。
「分かりません。先生、私からも一つ質問よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「さっき、美夏ちゃんに会って、彼氏さんとの楽しそうな話を聞いたんです。私も今幸せなはずなのに、とても羨ましく思ってしまいました。これは、なぜですか」
「それは、君自身で考えるんだ」
夕灯はがっかりした表情を見せたが、すぐに明るい笑顔に戻り、先に家に入った。
忠義はドアノブに手をかけ、息を吐いた。
「もう、気づいているはずだ。刺しても本当の愛は得られていないことに。この気づきをくれたのは彼だ。彼と長く話をして、両親・彼の姉以上に同じ時を過ごした。そして気が付いたはずだ。人と直接話せない寂しさに。人を殺せばその生命が終わることに」
夕灯はどこかで気づいていながらも、その事実から無意識に目を背けている。
「きっと、自分のしたことの恐ろしさ、刺した人たちの声が聞こえなくなったときには、自己のした罪にさいなまれるのだろう。……まあ、そう仕向けたのは私なんだけれどね」
忠義は扉を開けた。振り返り、外の景色を見やる。
「彼が警察になって真実を突き止めるのが先か。夕灯が自分の罪に気が付くのが先か。これは、楽しくなりそうだ」
忠義は不敵に笑う。
「私のところまで来られたら、大したものですね」
全ては彼の掌の中で動き続けるのだろう。
――――――
数日かけて、すべての仮球体関節を付け終えた。
忠義もすでに家から出て行った。
この家には、夕灯と家族しかいない。
「ねえ、拓海君。貴方のご両親、孫に会うの楽しみだ、って言ってたよ」
夕灯は拓海の隣に座り、彼の手をさする。
「拓海君はどう?楽しみ?……そっか。ねえ、男の子と女の子ならどっちが良いかな…………え、本当?私もどっちでも嬉しい。三人くらいは子供欲しいよね。……え?お金?大丈夫、私お医者さんになるんだもの。しかも現お医者様のお墨付きの腕のいいお医者さん」
夕灯は自身のお腹をさすり、軽く拓海に寄り掛かる。
「あと二年は学生だけど、大丈夫。先生たちも助けてくれる、って言ってくれたし、色々と福祉も使えるから。それに、拓海君も、ママもパパもなのはさんもいるからね。大丈夫。もう、私寂しくない。ずっと、これからはずっとみんなと一緒。これからもっと幸せになるもんね。これからも、よろしくね」
夕灯は心底幸せそうに、拓海の手を取った。
結婚式はできないけれど、出産を終えたら二人で新婚夫婦の写真を撮りに行く。
そう約束している。
今はこれで幸せなのだ。
夕灯はこの幸せをかみしめて生きていく。
片思いが実る時 北嶌千惺 @chisato_k
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