8 遺跡現場
「それでやっぱり、容疑者として捕まったんですか?神尾さん」
「西野、…一時的に事情を詳しくきかれただけだ、それだけだ、だから」
「それを事情聴取とかいいませんか?でも、まあ逮捕はされなかったんですね?めずらしい」
「…―――西野、…」
滝岡が、神尾が現地警察に一時的に事情を訊く為に現地の警察署に運ばれることになり、状況を連絡する為に、医療秘書でもある西野に説明していたのだが。
「まあ、そうともいうな、…。こちらに関が来ていてな。説明してくれた」
「関さんが?よかったですね。やっぱり、現職の刑事である関さんが請け出しに行ってもらえたら、それが一番ですからね。それにしても、本当に神尾先生、捕まらなかったんですか?戻ってこられます?」
「…どうだろうな、…。現地で警察が来る前に、発見されたご遺体の傍にすでにいたからな、…―――。考えてみれば、止めるべきだった」
滝岡が述懐する。当然ながら、発見された遺体の傍に、以前、というかつい最近、警察に殺人の容疑者として拘束されていた神尾がいたというだけでも、どう考えてもかなりまずいことになるのは誰にでも理解できそうなことだが。
しみじみと反省している滝岡に、西野が追い打ちをかける。
「でも、その如月さんですか?案内してくれた方が倒れたのでしたら、処置をされるのが先でしょう。それでも、神尾先生に声を掛けられて、止めるのは無理でも近づくのを止める声を掛けておくことはできたでしょうけど」
「反省している。…次からはできるだけそうしよう」
「滝岡先生、―――。反省はいいんですが、次ですか?」
「…――――」
西野の指摘に気づいて滝岡が無言になる。それに、あっさりと西野が。
「それで、僕は調整をしますので。現地の状況がわかったらまた連絡をください」
「わかった」
金沢中警察署の内部、――――何故か、此処にくるのは二度目だが、―――…と遠く思いながら、滝岡が通話を切る。
関が、通話を終えた滝岡に近づいて訊ねる。
「どうした?一応、今回、出たご遺体の傍にいて何かしていた神尾先生に対する容疑は保留にしておいてくれるそうだぞ?」
「…――保留か?」
情けない顔で見返す滝岡に、仏頂面で関が返す。
「保留だ。当然だろう。そもそも、おまえたち、つい先頃殺人事件の容疑者になったばかりの土地で、山に埋められた遺体が発見された場所に居合わせるとか、誰が偶然だとか信じるんだ?容疑者になりに突っ込んでいくようなもんだろうが」
多少の疲れを感じさせる関の言葉に、滝岡が反省して溜息を吐く。
「すまん、…。おまえにも苦労をかけた」
「管轄違いだからな、…―――いくら横浜の事件と関連があるかもしれなくても、他所から首を突っ込んで、この先生は容疑者じゃなくて、容疑者によくなるだけだなんて横やりを入れても迷惑がられるだけだからな?…もういっそのこと、神尾先生には、橿原さんみたいに、警察の顧問とか、相談係にでもなってもらうか」
同じく溜息を吐いて天を仰いでいう関に、滝岡が驚いて視線を向ける。
「それは困る!神尾は病院に必要なんだ。そんな業務外のことをそうそうしてもらっているわけには」
「だからって、警察に係わる度に捕まって保釈してとかやってたら、こっちも書類仕事が増える上に時間がかかって余計な手間になるんだよ」
しみじみ強面でいう関に滝岡が向き合って無言になる。
「…感染症管理に神尾は欠かせないんだ」
「患者さんファーストはよくわかってるが、今後を考えたら、そうするしかないと思うぞ?」
「――――…西野に法律上の問題がないか調べてもらおう、…」
「そういや、おまえさんの処にも正式赴任じゃなくて、感染研との兼任だったか?出向期間は終わったんだよな?」
「正式にこちらで勤務して、感染研の業務に関しては共同研究を進めるという形で収まっている。…そんなようなものか、…―――」
事務手続きは踏んでおいた方がいいんだろうな、と。
しみじみとしている滝岡に、関が天井をみてから、まだ神尾が話を聞かれている一室をみる。
「それにしても、取調室とか全然堪えてないもんなあ、神尾先生」
「戦場よりはましなんだろう。少なくとも、突然爆弾が跳んできたり、銃撃されるわけではないから気が楽だそうだ」
以前、神尾に訊いた際の感想をいう滝岡に、同情する視線を関が送る。
「おまえ、どうして神尾先生を引き受けてるんだ?」
「――――…術後管理と急性症の感染対象の同定と、原因不明の重複感染の分析と、発症予兆をとらえて事前管理するプロトコルと、――――」
「わかった、がんばれ」
神尾が役に立つ、というか。神尾がいて初めてできるものもある感染症管理に関するあれこれをくちにする滝岡に。
関の言葉に、まだ閉じている扉を滝岡も眺めてくちにする。
「術後の感染症管理に、発症の事前予測をして必要な抗生物質を投与したり、濃度の判断や何かに、何より、感染している細菌やウイルスの同定が、とても速いんだ。迅速判定によって救命できる患者さん達がな、…」
遠くをみる滝岡に関が視線を逃す。
ドアの向こうでは、まだ神尾が丁寧な聴取――任意――をされている。
実直かつまだ若い警察官である仲間が、神尾一行を遺跡で遺体が発見された現地へと連れて行く係となったのには理由がある。
「それで、現地でもう一度きちんとした調査がしたいんです」
何やら理由を滔々と述べている神尾に。
警察に容疑者扱いというのに非常に近い状況で捕まって事情聴取を受けているにも関わらず、まったく動じる処か、遺体があった箇所の地面を調べたいと言い出す神尾に。
調書を取っている警察官達が神尾の扱いをどうしたものか困惑しきった結果。
若い仲間の体力が買われて、監視を兼ねて神尾の調査に同行させることになったのだが。
大学教授まで出てくる展開に、困惑しきっている仲間に、同行している警察官もまた事態をどう理解していいのか困りながら安全運転で現地を目指している。
その少し前に、―――。
「すみません、お待たせしました」
にっこり笑顔で扉から出てきた神尾を関と滝岡が複雑な表情で見返す。
「お二人とも、どうされました?」
不思議そうに問う神尾に、諦観を顔に浮かべながら関が出るように促すと、その後ろについていきながら。
「そういえば、これから遺跡に戻るのに、車を出してくださるそうですよ。関さんと滝岡さんも来られますか?」
「―――――…戻るんですか?」
「…―――」
関が思わず振り向いて声を上げ、滝岡が無言で天を仰ぐ。
「はい?あまりちゃんと調べられませんでしたからね。事情を説明したら、連れて行ってくださるそうです」
こちらの警察の方もついてきてくださるそうですよ、親切ですね、という神尾に固まりながら。
「それは、親切とはいいません、…。事前に面倒を回避する為に、予防策として、―――。容疑者候補として、動きを監視するってのもあるでしょうがね」
云い掛けて途中で諦観の混ざる口調でいう関に、不思議そうにみて神尾が背後をみる。
「そうなんですか?あ、関さん、こちら、金沢の警察で、現地まで運んで一緒にその場にいてくださる仲間さんというそうです」
「だから、それは監視ですよ、…。すみません、関です。ご挨拶はまだでしたね。同行させていただいても?」
「仲間と申します。できれば、是非身元引受人のお二方には一緒にご足労願いたいのですが」
丁寧にいうまだ若い制服の警察官に、滝岡が視線を伏せる。
「すみません。お手数をお掛けします」
「いえ、…―――。こちらこそ、お願いします」
どうやら、手配されたパトカーは一台。広めのセダンに警察官は仲間ともう一人。そして、後部座席に神尾を挟んで関と滝岡が窮屈ながらも収まることになって。
出発する車内で、タブレットを手に神尾が実にうれしそうに遺跡で行う予定の調査に必要なことなどを手配している。
「道具はもってるのか?」
滝岡のあきらめた声に、明るく神尾が答える。
「はい、キットを持ち歩いていますから。これに入っています。必要な試薬が一つ足りないんですが、-――これについては、現地に持ってきてくれるそうですよ」
明るく何の問題があるとも思わずにいう神尾に、思わず助手席に座っていた警察官が振り向く。
「あの、誰か来られるんですか?」
驚いて声を掛ける警察官に同情しながら滝岡が神尾に問い掛ける。
「誰か来るのか?現地に。神尾」
「はい、吉岡さんからお願いしてもらって、試薬を持ってきてくださるそうです」
「どなたがですか?」
驚いて聞いている警察官に滝岡が同情の視線を送る。それに気づかず、神尾がタブレットに視線を落として。
「ええと、…金沢大学の教授、だそうです。吉岡さんの友人で金沢大学教授の滝田さんとかいう人が、来てくださるそうです。文化人類学でしょうかね?獣医関連じゃない辺り、吉岡さんは友人関係が広いですね」
「―――大学の先生ですか、…」
頭痛を憶える、というか愕然としているというか。そう呟く警察官の心情が察するにあまりあって、滝岡が遠く窓外に視線を逸らす。
「神尾」
「はい?」
タブレットで他関係各位と連絡をとりながらいう神尾の手許を、それでもちらりと見てしまいながら。
見なかったことにしよう。
見えてしまった情報を見なかったことにしよう、と決意しながら、再度、青く晴れ渡る空を見上げる滝岡である。
「あ、どうもお手数をお掛けしました。神尾です」
「はじめまして、滝田です。吉岡さんに頼まれたんですが、これでいいですか?」
古い水色のビーグルを背に待っていた白髪混じりの痩せた人物に、神尾がうれしそうに近づいて試薬を受け取る。
タクシーではなく、パトカーから降りてきた神尾達にも動じず、というかまったく気にせずに神尾と話している大学教授――らしき人物――に。
「御同業だな、うん」
「まあ、そのな。…」
広い車を用意してはくれたが、男三人が座るには当然ながら狭い車内から出て、関が云うのに。滝岡が、うれしそうに会話している神尾を遠く眺めて遺跡の上に広がる青空をみる。
警察官達がどうしたらいいのか、という風に戸惑いながら近づいていくのを関が眺める。
「あ、その、…――金沢中署から来た仲間と申しますが、」
いいながら警察官の証である警察手帳――ドラマでよくみるような、写真と立体の紋章が縦に開くと出てくる――をみせながら仲間がいうのに、滝田が振り向く。
「どうも、警察の方ですか?」
「はい、できれば、何か身分を証明するものをお見せいただければ、―――その、」
「ああ、はい。名刺、と、これでいいですか?」
「ありがとうございます、いただきます」
差し出す名刺を受け取り、免許証をみせる滝田に確認しながら礼をいう警察官に、神尾が訊ねる。
「もう行ってもいいですか?」
「そういえば、試薬これで足ります?」
「はい。ありがとうございます。微生物だけでなく、時代を少し調査してみようと思いまして。手許になかったので助かりました」
「いえいえ、お役に立てるなら。それで、私も見学してもいいですか?」
「え?あなたもですか?」
仲間が、同僚の警察官を振り向き、困惑しきった顔でみる。それに、もう時間もないですから、始めましょう、と許可を待たずに神尾がすでに現地に向かっていて。
少し離れた場所でその様子を眺めながら、関がしみじみと云う。
「あの調子で、聴取も仕切ったんだろうな、…押し切られた訳だ。こっちの警察は」
「いってやるな、…。まあな、―――しかし、時代をみるのか?新鮮な死体だったと思うが」
首を傾げて言う滝岡に、関が眇めた視線を送る。
「新鮮だったか?あれはいくらか時間は経ってるだろうに」
「だが、時代を調べる必要があるほど、時間は経っていないだろう。確かに、フレッシュというには、二十四時間は経過しているかもしれないが、――…地面に埋まっていた遺体は、経過時間を鑑定するのに時間がかかるからな」
「―――…」
胡乱な目で関が滝岡をみる。見つかった遺体が新鮮だったかどうかを語る滝岡に。
まあ、おれも似たようなもんだがな。…こいつもまったくな。
あきれながら滝岡を見返していた関が、動きのあった神尾達に視線を向ける。
「行くか?」
「そうだな、…」
諦観と何かに包まれた滝岡に、多少の同情を憶えながらも関がついていく。
神尾達が話す声が聞こえてくるが。
「それで、ご遺体が見つかった箇所の土で、微生物の検査と、さらに周辺の時代をみてみたら面白いと思いまして」
「それは確かに興味深いですね。試薬、他にももってきたんですけど、使ってみます?」
吉岡さんに話をきいた時点で、幾つか用意してみたんですよ、とうれしげに滝田が神尾に話しているのを。
「…滝岡。神尾先生もそうだが、…学問とかやってる人は、大体こんななのか」
疑問符でなく、確定事項としていう関に神尾達をみながら。
「否定はできん、…――そうだな、確かに大体あんなものだ」
「そうか。できる限り係わり合いにはなりたくないな」
「――――…」
関の言葉に滝岡が天を仰ぐ。その係わり合いになりたくない筆頭である学者達の対応に追われている金沢中警察署の警察官達を関が同情して眺めている間に、遺体発見現場に来たようである。
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