第3話 初の外国人指揮者と外国オケ
私が中学2年生の時(1978年)、ついにというべきか、やっとというべきか、初めて外国人指揮者と外国オケの演奏を聴く機会を得た。
それは、旧東ドイツの指揮者オットマール・スウイトナーと、ベルリン国立歌劇場管弦楽団の来日公演だったのだ。
彼らはこの時日本ツアーを行なっており、大都市はもちろん、色々な地方を周り、そしてこの大分にも来てくれたのである。
このニュースを聞いた時は本当に嬉しかった。スウイトナーのことは既にNHKのテレビでよく知っていた。その巨匠がこの大分で生演奏を披露してくれる!それだけでも心が躍った。この気持ちは、しばしば世界の有名演奏家と生で接している大都市の音楽ファンには理解出来ないだろう。当時の大分の音楽ファンの間でも、大いに話題になったはずだ。
当時私は新聞配達のアルバイトをしていたが、もらったばかりの給料袋を握りしめて、チケット売り場に向かうと、案の定、チケットはほとんど売り切れており、残っていたのは右端最終列の分ただ一枚だったのだ。言うまでもないが、音響としても視覚としても最低な位置だ。私は一瞬、買うべきかどうか迷ったが、背に腹はかえられぬとばかりにそのチケットをゲットした。あの時の何とも言えない複雑で、尚且つ大いなる達成感は今でも覚えている。
演奏会当日、期待に胸を膨らませて会場の県立芸術会館に向かった。「いつもテレビで見ていた巨匠をこの目で見て、音楽を聴くことができる!」それだけで胸が昂まった。
プログラムはモーツァルトの後期三大交響曲「第39番」「第40番」「第41番」の3曲。これらの曲は既に大好きで、何度もレコードで聴いて知っていた。さてさて、スウイトナーはどんな演奏を聴かせてくれるのか…。
ステージにスウイトナーをが現れた時、一緒ドキッとした。いよいよだ…。
スウイトナーのタクトが振り下ろされた瞬間、やや小振りだが、引き締まった音がホールを覆った。それから、約60分の間、なんとも雅で美しい音楽を堪能できた(ただ、今だから言えるが、この時『第40番』第3楽章のトリオ部分でホルンが何度もトチッていた。ツアーで疲れていたのか?)。
休憩を挟んで演奏された『第41番「ジュピター」』がまた至高だった。レコードで聴いていたカール・ベームとベルリン・フィルとは全く違う解釈で、決して威丈高にならず、品位を保った充実した響きで曲を締め括った。
アンコールは同じモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲で、これまた軽快な好演で、コンサートを見事に終えた。
帰途、「やっぱり日本のオケとは全然違う!すっげー!」と、足取り軽く会場を後にした。単に良い演奏だった、というだけでなく、地方では滅多に聴けない海外演奏家を体験出来た、という喜びというか、幸福感を子供心に感じたことは、今思っても貴重な経験だった。
ちなみに、この時のツアーの東京公演の記録がCD化されている。興味のある方は是非!
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