第2話 敷居が高くてなぜ悪い?

よく、クラシック音楽の演奏家や関係者からこんな発言を聞くことがある。

「クラシック音楽は敷居が高い。だから、低くしなければ…」

「クラシック音楽は難しい。だから、易しくしなければ…」

「クラシック音楽は堅苦しくて取っ付きにくい。だから、親しみやすくしなければ…」云々…。


 ちょっと待った。そもそもクラシック音楽というものは、敷居が高くて当たり前ではないのか。敷居が高く、難しく、堅苦しく、取っ付きにくいものではないのか。それがクラシックの特徴であり、本質の一つではないのか。だって、我々とは全く別世界の住人が創りあげた芸術だから。

 それに、彼らはクラシック音楽の敷居が高いのがなぜ悪いのか全く言わない。逆に、敷居を低くすればどんなメリットがあるのか、なぜか誰も何も言わない。


 「そんなの決まってるだろう。敷居が高いなんて言ってしまったら、一般の人たちがドン引きしてしまって、クラシックファンが減ってしまって、クラシック界が衰退してしまうからさ」と言う人がいるかもしれない。でも、本当にそうだろうか?


例えば、今この文章を読んでいるクラシックファンのあなたも、胸に手を当てて、クラシックファンになったばかりの頃を思い出してみてほしい。


 みなさん、クラシック音楽を聴きはじめたとき、好きになったとき、敷居が高いかどうかなんて、いちいち気にしましたか?考えましたか?自分の好み、感受性にピッタリだったから、進んで好んで聴いているのではないのですか?


 大体、敷居を下げればクラシック音楽が栄えるなんて、人気が出るなんて馬鹿も休み休みに言ってほしい。戯言も甚だしい。そんなことを言っている音楽家は、二流、三流以下と思ってまず間違いない。本物の超一流は、そんな馬鹿なことは口が裂けても言わない。


 えっ?それならお前はどう言うのかって?簡単ですよ。「クラシックは敷居が高いって?ええ、そうですよ。敷居は高いし、難しいし、堅苦しいし、一度聴いただけでは理解出来ない曲もたくさんありますよ」


 と同時に、こうも言います。

「でもね、あなたにクラシックを理解できる感受性さえあれば、理解して楽しむことも決して難しくありませんよ」と…。


 そう、本当に大事なのは、聴く人それぞれにクラシックを理解できる“感受性”があるかどうかであって、敷居が高いかどうかではないのです。


 例えば、Jpop やアニソン、洋楽、童謡、演歌や歌謡曲など、ほかの音楽ジャンルには敷居が高いなんて言う人はまずいない。敷居が低いから。

 ならば、そんな敷居が低いはずの音楽を万人が大喜びで聴いているかというと、それは違うだろう。そんな音楽も好みは人それぞれ、感受性の有る無しで好き嫌いが分かれるはずだ。


 それに三流音楽家と関係者がやたらと「敷居を下げなければ、易しくしなければ…」と躍起になっているのを見ると、「敷居を下げる!」ということが“手抜き”の体のいい言い訳のように聞こえてならないのである。そんな連中が、

「みなさーん、クラシックって言うとお〜、敷居が高いとか、難しいなんてイメージがありますけどお〜、そんなことありませんよお〜、誰でも簡単に楽しめるんですよお〜!」

なんて言っているのを聞くと、汚い言い方で申し訳ないが、「嘘つくな、この野郎!!」と罵倒してやりたくなる。私なんぞよりもクラシック音楽の本質をよっぽど理解している(はずの)プロの音楽家が、なぜそんな無責任な大嘘を平気で言えるのか、全く理解出来ない。嘆かわしい限りだ。


 だから、私は音楽家や関係者の人達に本当にお願いしたい。敷居を下げることを考える暇があったら、最高の音楽を創りあげる努力をしなさい、と。まともな仕事をしなさい、と。もっと演奏のクオリティを上げて、それを確保しろ、と。真のクラシック音楽界の活性化と発展のためにも。


 これは私個人の考えではなく、卑しくもプロを名乗っている以上、真実であり、最大の責務なのである。

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