第38話 終わりとはじまり


激しい光が収まった後

塔を覆っていた異様な気配が、ふっと消えた。


空気が澄んでいくのと同時に

重く張りつめていた魔の力も解けていった。



その異変を誰よりも早く感じ取ったのは

――クラウスだった。


「……ヒナリア?」


一瞬、胸騒ぎが走った。


嫌な予感が、喉元を締めつける。


そのまま剣も持たず、クラウスは塔の階段を駆け上がる。


その背には、あまりの緊迫した空気に驚きつつも、必死についてくるノアの姿もあった。



「な、なにが起きてるの……!?

レニオス様が塔へ向かったって、聞いて――」


ほぼ同じ頃。

リサもまた、城の異変を感じていた。


塔へ向かう途中、広場で情報を耳にしたリサは、顔面を蒼白にして駆け出す。



そして――


崩れた扉の先、彼らの目に映ったのは、倒れ込んだ陽菜と、魔術師のなれの果て。


そして、紬を抱きしめたまま叫ぶレニオスの姿だった。


「……陽菜っ!」


クラウスの表情が、ほんの一瞬だけ崩れる。


駆け寄り、彼女の身体を支え、瞳を覗き込む。


「返事をしろ……陽菜、どうした……!」


ノアも震える手で陽菜の手を握りしめ、瞳に涙を浮かべる。


「……なにが、どうして……?」


リサはその場に立ち尽くし、惨状を見つめながらそっと手を胸に当てる。



けれど――


誰も陽菜を責めなかった。


むしろその表情には、彼女の“孤独”を見てしまったような、切なさが浮かんでいた。


どんな思いで“信仰の聖女”になったのか

どれほど必死だったのか――


それを知っていたからこそ、誰も声を荒げなかった。


陽菜は静かに目を開ける。


そして、ぼんやりと自分を見下ろすクラウスの顔に気づいた瞬間――


「……久しぶりに陽菜って呼ばれた……。」


かすれた声で、そう呟いた。


その言葉に、クラウスはぎゅっと唇を噛みしめる。


ノアの手も震えたまま、小さな声で「ごめんね」と繰り返す。


決して完璧ではない絆が、そこにあった。


たとえ間違った道を歩んでしまったとしても――


誰かが自分のために駆けつけてくれる

という事実は…


きっと

陽菜の心を少しだけ救ったはずだった。


陽菜が静かに目を閉じ、クラウスの腕に身を預けるころ。



塔の一角では、別の静けさがあった。


紬の身体は力なく、レニオスの胸の中に抱かれている。


もう、癒しの力は残っていない。


それでも、命は――まだ、ここにある。


「紬……紬、しっかりしてくれ…。」


レニオスは必死に呼びかける。


その瞳は赤く、涙が溢れそうになっていた。


ヴァルトもそっと膝をつき、紬の手を取りながら表情を曇らせる。


「癒しの力を

……全て使い果たしたのですね。」


誰もがもう無理だ、そう思ったとき――


「……れ……に……おす……」


か細く、震えるような声が、レニオスの耳に届いた。


一瞬、時が止まったような感覚。


「……い、ま……よべた……?」


その小さな声の主は

――紬だった。



紬の口が、確かに動いている。


震える唇から、音が紡がれている。


「つ、むぎ……?今……喋った……?」


レニオスの声も震える。


信じられないといった表情で紬を見つめる。


紬は、ほんの少しだけ微笑んだ。


瞳に涙を浮かべながら、もう一度、口を開く。


「……ありがとう……、れにおす……」


その瞬間――レニオスの瞳から、大粒の涙がこぼれた。


彼は言葉を返すこともできず、ただぎゅっと紬を抱きしめる。



その腕の中で紬はやっと


“自分の声”


を取り戻したのだった。



周囲の誰もが息をのんで見守るなか、


初めて響いた紬の声は、確かにあたたかく、柔らかで――


まるで、奇跡のようだった。

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