第37話 禁断


塔の扉が、きぃ、と軋んで開かれる。



その瞬間、押し寄せるのは異様な気配

――黒く濁った魔力が空間を支配し、空気は重く冷たい。


紬の視線が捉えたのは、宙に浮かぶ陽菜と、術式の中心でゆらめく魔術師の姿。


そして次の瞬間

魔力がうねるように脈動し――



「っ――!」



黒い波が紬に襲いかかる。

膝から崩れ落ち、胸の奥が焼けるような痛みに襲われる。


目の奥が熱くなり、視界が揺れる。



「紬!!」


階段を駆け上がったレニオスとヴァルトが、開かれた扉から異変の只中に飛び込む。


「下がってください、レニオス様!」


ヴァルトが咄嗟に前に出た、そのときだった。



――ぱあああっ……


まばゆい光が、周囲に広がる。


「……これは……!」


レニオスの手首に巻かれた、あのミサンガ。


紬が願いを込めて編んだ、あの細い糸が、淡く、温かな光を放ち始めていた。


同時に、ヴァルトの腕

――彼のミサンガも、同じ光を宿していた。


黒い呪詛の魔力がふたりに迫る刹那、光がその前に立ちふさがり、まるで守るように淡い結界を張る。


「……紬の、ミサンガ……」


レニオスが呆然とつぶやいた。


まるで彼女の願いが、今この瞬間、ふたりを守るために“目を覚ました”かのようだった。


それでも、黒い魔力の暴走は止まらない。


術師の目には、もはや理性の光はなく、陽菜を取り込もうとするかのように魔術を拡大させていく。


紬は、必死に霞む意識の中で叫んでいた

――声にならない心の叫びを。



(お願い……もう誰も、傷つけないで……)



その祈りが、次の瞬間、奇跡を起こす。


紬の胸元

――そこにかけていた最後のミサンガが、やわらかな光を放ち始める。


空間を満たすのは、暴走した魔術師の黒い魔力。


渦巻く闇が陽菜を飲み込みかけていた。


「ぐ……うあああああっ!!」


術師の身体がひび割れたように軋む。


精神と魔力を限界まで引き絞った反動

――彼の中の“人”が崩れかけていた。


「ヒナリア様…!やっと…理想の、世界が……!」


その歪んだ執念に、黒い呪いがさらに濃くうねる。




だがその瞬間――


紬が、一歩、闇の中へと踏み出す。


彼女の掌が、胸の前でそっと合わせられる。


指先から放たれるのは、透き通るような淡い光。


その光は、やがて羽のように広がり、暴走する魔力に真っ向からぶつかっていく。


まるで“光と闇”が拮抗するかのように、塔の空間が震えた。


「紬――やめろ!!」


レニオスの叫びが響く。


彼はミサンガの結界を破り、紬へと駆け寄ろうとした。


けれど――足が、進まない。


彼女の放つ光が、あまりにも強く、あまりにも優しくて――それが命を削って生まれているものだと、本能で悟った。


「これ以上癒しの力を使ったら……紬……お前の命が……っ!!」


声にならぬ想いが、喉を焼く。


ヴァルトも、必死に歯を食いしばりながら、何もできない自分に苛立っていた。


それでも紬は微笑んでいた。


その笑みに、悲しみも、痛みもなかった。


ただ――誰かを癒したいと願う

“ヒーラー”としての心だけがそこにあった。


(だいじょうぶ。

わたし、ずっと願ってたから――)


陽菜を包み込んだ黒い闇が、ひとつ、ふたつと浄化されていく。


術師の身体も、激しく震え、裂けるような悲鳴をあげる。



そして――



最後の光が、空間すべてを包み込んだ。



静寂。



まるで、時間が止まったかのように。



次の瞬間――



「……っ!」


紬が、その場に崩れ落ちる。


光はすべて消え、彼女の身体から癒しの力の気配も、もう、感じられなかった。



「紬……っ!紬――――!!」


レニオスが駆け寄り、彼女を強く抱きしめる。



だがその瞬間――


「……ぁ……」


かすかに、紬の喉から“音”が漏れた。


その声は、か細くとも確かに


――呪いが、解けた証だった。

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