第35話 動き出す


静まり返った地下の祭壇。


魔術の儀式に使われる古びた器具が並ぶ空間に、二つの影が静かに揺れていた。


「……やるのですね、本当に。」


低く、くぐもった声が空気を震わせる。

王家直属の魔術師は、深くフードを被ったまま、陽菜を見つめていた。


「もちろん。あの子がいなくなれば、レニオスはきっとわたくしの側にいてくれる。」


陽菜の声はどこか無邪気で、しかし狂気じみた熱を帯びていた。青白い蝋燭の光がその笑みに影を落とす。


「これは、“魂を喰う術”です。対象の命を奪うだけでなく、術者にも強い負荷がかかる。

精神を…保ち続けられる保証はないんです。」


術師の声には、確かな恐れとためらいが滲んでいた。



「でも……


あなたなら、できるわよね?」



陽菜は一歩、術師に近づいた。

紅い唇に笑みをたたえたまま、まるで甘えるように。


「信託の聖女にふさわしいのは、わたし。


だから…あの子には消えてもらわないと。前に言っくれたでしょう? わたしの願いは“全部”叶えてくれるって。」


術師はぎゅっと拳を握りしめた。


「…かしこまりました。では、“新月の夜”が最も魔力が高まる。その夜に、術を発動します。」


「ありがとう……。あなたがいてくれてよかった。」


陽菜はくるりと背を向け、祭壇から離れていく。その背中を見送りながら、術師の肩がわずかに震えた。


その震えが、恐れによるものか、それとも…何か別の感情なのかは、誰にもわからなかった。


――――――――――


夜風が涼しく吹き抜ける中庭。


花壇に咲いた花々がかすかに揺れ、月明かりが石畳を淡く照らしていた。


レニオスは、その静かな庭で、紬と並んで腰掛けていた。紬の膝には、ノアにもらったお菓子の箱が置いてある。


「……この庭、好きなんだ。静かで、誰にも邪魔されない。」


そう呟くレニオスの横顔には、いつになく穏やかな表情が浮かんでいた。


紬は小さくうなずき、嬉しそうにお菓子の箱を見つめていた。


「紬は、ここに来て……辛いことがたくさんあったよな。」


レニオスの言葉に、紬は一瞬目を伏せる。けれど、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「……だから、ちゃんと守らなきゃって思ってる。これからも、ずっと…。」


紬が彼を見上げると、レニオスは照れたように目を逸らす。


「仕事がひと段落したら……南の領地に一緒に行こう。遠いけれど、空も川も綺麗な場所だからゆっくりできると思う。」


紬の瞳が驚きに揺れる。


「もちろん、強制じゃない。でも……紬が望んでくれるなら、あの場所で新しい日々を過ごせたらって、ずっと考えてたんだ。」


紬は数秒だけレニオスを見つめたあと、そっと微笑みながらうなずいた。


風がそよぎ、草花の香りが二人の間を通り抜ける。


その静寂に包まれた時間は、あまりにも優しく、あまりにも尊かった。


けれど――


その平和が、永遠ではないことを、二人はまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る