第33話 優しい気持ち
その夜。
紬は静まり返った部屋の片隅に座り、昼間買った刺繍糸をそっと取り出した。
柔らかな色合いの糸を指先で撫でながら、目を細める。
元の世界で、友人と作ったミサンガの記憶がふと蘇っていた。
《叶えたい願いを込めて、最後まで切れずに身につけていられたら、その願いはきっと叶う》
そんな言い伝えを信じて、一生懸命に編んだ、懐かしい時間。
——今の自分に、何かできることはないか。
その想いが、自然と指を動かしていた。
糸を結び、編み込んでいく。
レニオスには内緒で。
まだ秘密にしておきたいこの想いを…
そっとひと編み、ひと編みに込めながら。
そして、気づかぬうちに——
紬の中に眠っていた癒しの力が、静かに反応していた。
ふわりと、指先から淡い光がにじむ。
糸に、やさしい温もりが宿っていく。
まるでその想いに応えるように、力が糸へと流れ込んでいったのだった。
誰かの無事を願い
笑顔を祈り
静かに編まれるそのミサンガ。
それはもう、ただの飾りではなかった。
ヒーラーとしての“祈り”と“想い”が込められた、特別な贈り物へと変わっていく。
まるで、心の中に咲いた小さな花を、大切に育てるように——
——————————
数日後の午後。
陽射しがやわらかく差し込む城の中庭に、レニオス、リサ、ヴァルトの三人が揃っていた。
「で、何の用だって?」
レニオスが小さく首をかしげながらも、紬の方を優しく見つめる。
紬は、ほんの少しだけ緊張した面持ちで、小さな包みを胸元から取り出した。
中には、丁寧に編まれた三本のミサンガ。
色合いはそれぞれ異なるけれど、どれも優しくて、どこかあたたかい。
紬はまず、リサに向かって一歩進み、そっとその手首にミサンガを結ぶ。
リサは目を丸くして、それからふわりと微笑んだ。
「……これ、わたしにですか?かわいい……ありがとうございます、紬さま。」
その頬が少し赤らんでいるのを、紬は嬉しそうに見つめた。
ヴァルトに手渡すとき、紬は一瞬だけ戸惑った。
厳しくて真面目な彼に、こうした手作りのものを渡していいのか、少し不安がよぎる。
だがヴァルトは、そんな紬の躊躇いを察したように、ほんの僅かに口元を緩めた。
「……恐縮です。ですが、ありがたくいただきます。」
いつもの堅い言葉とは裏腹に、その声にはわずかな柔らかさが宿っていた。
そして手のひらでミサンガをそっと受け取ると、まるでそれを壊さぬように大切に指先で包み込む。
「大切にします。……紬さまの願いごとが叶うように、俺も祈っています。」
それは彼にしては珍しい、優しげなまなざしだった。
紬は驚きつつも、自然と微笑み返した。
最後に、レニオスへ。
紬は少しだけためらってから、ゆっくりと近づく。
包みの中でいちばん細く、いちばん丁寧に編まれたミサンガを、彼の前に差し出した。
「……」
声はないけれど、その眼差しが何より雄弁だった。
“ありがとう”も、“いつも助けてくれてうれしい”も、
全部がその瞳に込められていた。
レニオスは、ふっと笑う。
「これは……大事にしないとな。」
そして自ら手首を差し出し、紬がその手にミサンガを結ぶ間、ずっと彼女を見つめていた。
「君が作ったものなら、何でも特別だよ。」
そんなさりげない囁きに、紬の頬がほんのりと染まる。
そうして、三人に贈られた小さなミサンガ。
それは誰にとっても、ただの飾りではなくて——
紬のあたたかな“想い”がこもった、何よりの宝物になったのだった。
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