第32話 報告
お城に戻ると、昼の喧騒が嘘のように静かな空気が漂っていた。
城門をくぐるとすぐ、リサとヴァルトは足を止めて、ぴたりと動かなくなった。
「……さて、レニオス様へのご報告ですが」
「……ええ、そうですね。リサ殿、どうぞ。」
「え? わたしがですか?見つけたのはヴァルト様でしょう?」
「いいえ、最初に紬さまを見失ったのはあなたですから、順序としては……」
「それを言うなら…途中でお茶飲んでたの、わたし見ましたよ?」
ふたりは小声で、しかしなかなかに真剣なトーンで押し問答を始める。
その様子を見ていた紬は、くすっと喉を震わせて笑い、ぽん、とリサの背を軽く押す。
「む、むぅぅ……わかりましたよ…。」
リサは観念したように小さく咳払いをすると、意を決してレニオスの執務室へと歩き出した。
「……わたしは、廊下で待ってます。」
「卑怯ですよ、ヴァルト様。」
ヴァルトは軽く肩をすくめるだけで、口元に苦笑を浮かべた。
リサが扉をノックして姿を消すと、廊下には一瞬の静けさが戻る。
紬はヴァルトの横に並び、そっと笑みを浮かべながら、扉の奥から聞こえてくる声に耳をすませていた。
「…入れ」
ノックの音に応じて声が響くと、リサは少し緊張した面持ちで執務室の扉を開けた。
「失礼いたします、レニオス様。紬さまを……無事にお連れしました。」
レニオスは机の書類から目を上げると、真っ直ぐにリサを見つめた。
その視線に射抜かれたように、リサはピンと背筋を伸ばす。
「“無事に”? …なぜその言葉に含みがある。」
「……ほんの、少しだけ、はぐれまして…」
「“はぐれまして”?」
「えーと、その……糸屋さんに気を取られた紬様が、路地へと…」
「……!」
レニオスの表情が一瞬、強張る。椅子から立ち上がりかけたところで――
「でも!でも!怪我もありませんし、ヴァルトさんがすぐ見つけてくださって!」
「ヴァルトが…」
声をひそめて、レニオスは一度、目を伏せた。
深く息を吐いてから、再びリサを見つめる。
「それでも、君たちは“護衛”の任に就いていた。分かっているな?」
「はい……。重々、反省しております。」
レニオスはしばらく黙りこくったまま、窓の外に視線を移した。
ふと、その目元に浮かんだのは、怒りよりも――心底、安堵したような微かな揺らぎだった。
「……彼女は、疲れていないか?」
「はい。少し不安げでしたが、怪しい人物と会話を交わした様子もなく――」
「……“会話”はできない。」
「……あっ、そ、そうでした。」
ばつが悪そうにうつむくリサに、レニオスは微かに口元を緩めた。
「いいだろう。後で、わたしからも話をする。もう行っていい。」
「はい、失礼いたします。」
ぺこりと頭を下げて退室したリサの背に、レニオスは静かに呟いた。
「……無事でよかった。心臓が止まるかと思ったぞ、紬」
――――――――――
静かな廊下を抜け、レニオスはそっと扉を開いた。
「紬」
名を呼ぶと、ベッドの上で刺繍糸を抱えていた紬が顔を上げた。
その表情に怯えはなく、むしろ少し気まずそうな笑みを浮かべているように見えた。
レニオスは、ほっとしたように目を細めると、ゆっくりと部屋へ入ってくる。
「……無事でよかった。あまり…俺を驚かせないでほしい。」
紬はぺこりと頭を下げ、小さく手を合わせて謝罪のポーズを取る。
その姿に、レニオスは口元を緩めながらソファに腰を下ろした。
「外の空気は…少しは気が晴れたか?」
紬は少し考えてから、こくりと頷く。
それから、手にしていた刺繍糸を見せるように持ち上げる。
「それは……買ってきたものか?」
問いかけるレニオスに、紬は嬉しそうに笑ってうなずく。
そして、何かを伝えようと口元でモゴモゴと動かし、指で「×」を作るような仕草を見せた。
「……まだ、秘密?」
くすりと笑いながら、レニオスは肘をついて頬杖をつく。
「君はときどき、意地悪になるな。」
紬は「えへへ」とでも言いたげに肩をすくめた。
「……まあいい。ならば、楽しみにしておく。」
そう言って立ち去ろうとしたレニオスだったが、ふと歩みを止めて振り返る。
「…今日のようなことがあると、つい考えてしまう。君が、もう少し俺のそばにいてくれたらと」
その言葉に、紬は目を見開く。
けれどレニオスは、それ以上何も言わず、微笑だけを残して部屋を後にした。
残された紬は胸に手を当て、じんわりと温かくなる鼓動を感じていた。
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