第30話 できること
城の回廊に柔らかな光が差し込む午後。
紬はリサと一緒に、陽だまりの広間へ向かっていた。
「こちらでお待ちください、紬さま。すぐにヒナリア様がお見えになります。」
侍女に案内されて立ち止まったその場所に、ふわりと現れたのは、優雅な笑みを浮かべた陽菜だった。
「お久しぶりね、紬さん。」
紬は静かに頭を下げる。
声は出せないが、その礼儀正しい姿に、陽菜は微笑を深めた。
「ねえ、紬さん。ちょっとだけお話、いいかしら?」
リサがそっと視線を移し、紬を一歩後ろに下がって見守る。
陽菜はゆっくりと紬の前にしゃがみ込み、その瞳を覗き込むようにして囁いた。
「紬さんは、癒しの魔法……ヒーラーとしての力があるって聞いたわ。」
紬は目を見開き、こくりと頷く。
「でも……あなた、声が出せないのでしょう?」
――その言葉に、紬の心がきゅうっと締めつけられる。
「詠唱ができないと、魔法は発動しないのよ。特に癒しの魔法は、強く心を込めた“言葉”が必要なの。」
陽菜の声は優しげだが、どこか突き放すような響きを含んでいた。
「だからね……残念だけど、あなたには“誰かを癒すこと”ができないの。」
すっ、と陽菜が立ち上がる。
そのまま背を向け、軽やかに歩き去っていく。
残された紬は、その場に立ち尽くしたまま――
胸の奥で、何かが崩れ落ちていくような感覚に襲われていた。
――――――――――――
部屋の窓辺に、淡い夕焼けが差し込んでいる。
カーテン越しの光が床に伸び、静かな影を落としていた。
紬はベッドの端に座り、小さく膝を抱えていた。
胸の奥が、重く沈んでいる。
――癒しの力は、声がないと使えない。
陽菜に言われた言葉が、頭の中で何度も反響する。
紬は、ぎゅっと胸元を押さえた。
(わたしは……もう、誰の力にもなれないの?)
そしてもうひとつ――
あの優しいレニオスでさえも、「今はキッチンの使用は控えて」とやんわり言ってきた。
“何かあってはいけないから”と。
“紬を守るため”と。
……けれど、それはつまり――
わたしには、信用が足りないということだ。
言葉にできないもどかしさが、じわじわと広がっていく。
(せめて……せめて、何かひとつでも、自分にできることがあれば……)
そのとき、ふいに――
ふと、胸の奥に浮かび上がってきた。
――ミサンガ。
前の世界で、友だちと作った、色とりどりの刺繍糸。
願いを込めて編んだ、あたたかい記憶。
(あれなら、声が出なくても、作れる……)
ぱちり、と瞳が動く。
ほんの少し、空気の色が変わったように思えた。
紬はそっと立ち上がり、リサのいる部屋の外へ向かって歩き出した。
(刺繍糸を買いに行きたいって、伝えてみよう――)
まだ胸の痛みは完全には消えない。
けれど、ほんの少しだけ、心に灯がともったような気がしていた。
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