第29話 求めるもの



月が雲間に沈む頃、薄暗い地下の牢には、湿った空気とすすり泣く声が満ちていた。


見張りの兵に人払いを命じ、陽菜は一人、静かにその場所を訪れる。


檻の前まで来ると、陽菜はふわりとスカートを揺らしながら足を止めた。


「……かわいそうに。」


その柔らかな声に反応し、檻の中で膝を抱えていた侍女が顔を上げる。


泣き腫らした目が陽菜を捉えた瞬間、彼女は這うように鉄格子へとにじり寄った。


「ひ、ヒナリア様っ……! お願いです、私、言われた通りにしただけで……!」


「こんな……話が違います……!」


陽菜はその様子を、まるで哀れむような表情で見つめていた。


だが、次の瞬間――その瞳から感情がすっと消える。


「……わたくしが、あなたに頼んだ証拠は?」


「えっ……?」


「何か、残っているかしら? 


……書面?目撃者?」



侍女の顔が青ざめていく。


「い、いえ……でも、でも……っ」


「ヒナリア様が……私に……!」


陽菜は音もなく檻に近づき、顔をその格子のすぐ向こうまで寄せた。


「――失敗したくせに…。」


その小さな囁きは、氷のように冷たく、容赦がなかった。


「だから、これは……ぜーんぶあなたが“勝手に”やったこと。そういうことでしょう?」


侍女は絶望に染まった顔で陽菜を見上げた。


「いや……いやぁ……っ!! ヒナリア様、お願いです、見捨てないで……!」


泣き叫ぶ声を背に、陽菜は静かに踵を返す。


「さようなら。……おとなしく罪を受けて、終わらせてちょうだい。」


その足取りに迷いはなかった。


牢の扉が重く閉じられたあと、侍女の叫びだけが冷たい地下にこだました。


重い扉が閉まる音の余韻を背に、陽菜は静かに石造りの廊下を歩いていた。



その足音は響かず、まるで彼女だけが別の空間に存在しているかのように静かだった。



ふと、口元にうっすらと笑みを浮かべる。


(――哀れね。あれしきのことで泣き喚くなんて)


けれど、その微笑みはどこか虚ろで、すぐに消えた。


(わたしが欲しいのは…


“居場所”……“必要とされる存在”)


彼女の視線は前を向いたまま、瞳の奥に僅かな翳りが浮かぶ。


(王子たちに愛される姫。民に慕われる存在。


それがわたし…。)


唇を噛む。


(なのに……どうして。


“あの子”が現れてから、すべてが少しずつ狂い始めた)


長い沈黙の中、陽菜は一人、自問するように心の奥底に触れていく。


(わかってる。これは嫉妬……みっともない、女の感情)


でも、と陽菜は立ち止まり、壁にそっと指を触れた。


(……譲れないのよ)


(たとえ、この手がどんなに穢れても――わたしは、自分の居場所を手に入れる)


その目には決意と執着の色が浮かんでいた。


再び歩き出すその姿には、誰にも見せないもう一つの顔が確かにあった。

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