第28話 想い
事件から少し経ち、日が傾き始めたころ。
紬は自室のベッドに腰掛け、静かに窓の外を見つめていた。午後の陽射しが薄くなり、カーテンの隙間から差し込む光が、少しずつ赤みを帯びていく。
コンコン、と控えめなノック。
続いて、扉がそっと開き、レニオスが姿を現した。彼の表情は柔らかく、けれどどこか疲れの色がにじんでいた。
「紬。……もう大丈夫だよ。」
紬はレニオスに気づき、少し安心したように微笑む。彼女の視線が問いかけるように揺れると、レニオスはゆっくりと頷いた。
「ヒナリアは……命に別状はない。ほんのわずかに痺れる程度の毒だった。きっと、狙ったのは“疑いを生むこと”だ。」
ベッドの傍に座ったレニオスは、紬の手をそっと取る。
「君が無事で、本当に良かった……。」
その言葉には、深い安堵と、わずかな怒りが滲んでいた。
紬は言葉が出せないまま、そっと首を振り、自分をかばってくれたことへの感謝と、陽菜の身に起こったことへの戸惑いとを、その瞳に宿していた。
「君を疑う者がいても、俺は信じる。……それだけは、絶対に変わらない。」
紬は目を伏せ、小さく頷く。
静かな部屋に、夕焼けが差し込む中、二人はしばし言葉のいらない時間を過ごしていた。
ふと、近くのテーブルに置いてある音の表を手にし、レニオスに向ける。
「…?どうした?」
レニオスが優しく問いかける。
(ど、う、し、て…)
“どうして信じてくれるの?”
“婚約者だから?”
“誰か…好きな人はいないの?”
ゆっくり文字を指でたどる。
「ははっ…、今日の紬はおしゃべりだな。」
やがて、決意したように紬の方をまっすぐ見つめる。
「……そうだな。何から答えようか。」
紬は、レニオスをじっと見つめる。その目に映るレニオスは、普段よりもずっと真剣で、どこか儚げだった。
「ずっと、紬を…聖女が現れるのを待ってた。兄さんたちを見ていたからね…憧れがあったんだ。でも…実際現れたら、どうしたらいいか分からなくて…。」
「でも……気づいたら、紬のことばかり考えていた。」
紬の瞳が揺れる。
レニオスは小さく笑いながら、けれどその瞳はまっすぐだった。
「声を失っても、何も語れなくても、紬の想いは伝わってくる。俺は紬の想いに、いつも救われてる。」
「……好きだよ、紬。」
その言葉は、まるで夕暮れの光のように、優しく紬の胸に染み込んだ。
紬は驚きと戸惑いの中で、何か言葉を返したくても声は出せない。
けれど、そっと自分の胸元に手をあて、小さく頷いた。
それだけで、レニオスには十分だった。
彼はそっと微笑み、紬の額に優しく唇を寄せる。
「ありがとう……。」
カーテン越しに差し込む、最後の陽の光が二人を優しく包み込んでいた。
レニオスが静かに部屋を後にし、扉がそっと閉じられる。
残された紬は、まだ胸の奥がじんわりと温かく、手のひらにレニオスの体温が残っている気がした。
——————————
そのままぼんやりとした表情でベッドに腰を下ろしていると、ノックの音とともにリサが入ってきた。
「お邪魔します……あれ? レニオス様は……?」
紬が首を横に振ると、リサはふんわり微笑んで近づいてくる。
そして、テーブルの上にお茶の入ったトレイを置いた。
「少しだけ、紬さまとお話しても……いいですか?」
リサは紬の隣にちょこんと腰を下ろし、そっと彼女の手を取った。
「顔……赤いですよ?」
その一言に、紬は慌てて視線を逸らす。
けれど、リサは意地悪な笑みを浮かべるでもなく、ただ優しく微笑んでいた。
「レニオス様、きっと……とても大切なお話をされたんですね。」
「……わたし、お二人のこと、ずっと応援してるんです。お互いに大切に想いあっているのが、伝わってくるので。」
紬の目に、うるんだ光が浮かぶ。
口では何も言えないけれど、彼女の想いはリサにしっかりと届いていた。
「声が出なくても、想いは届きますよ。」
「レニオス様にも、きっと……。」
そう言って、リサはそっと紬の背を撫でた。
少女の頬には、どこか照れくさそうで、けれど幸せそうな微笑みが浮かんでいた。
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