第19話 術師


リサに付き添われて部屋へ戻った紬は、せめて迷惑をかけないようにと、無理に笑みを作って「もう大丈夫」と首を振った。



けれど――


部屋の扉が閉まった瞬間、表情は音もなく崩れる。



(一緒に食事すらできなかった。きっと呆れられてる。)




「それに──レニオスは、あなたみたいな人、きっとすぐ飽きちゃうよ」




───ふいに陽菜に言われた言葉を思い出し、


紬の心をさらに締め付けた。



ベッドに身を投げ、毛布を頭までかぶる。


寒くもないのに、背筋に走る冷たいものが止まらない。



(……今夜は、何もありませんように)



そんな祈りもむなしく、部屋の空気が――


変わる。



「……っ」



耳を劈くような、不快な雑音。


ぎしり、と窓枠が軋み、床下から響くかのような重たい振動。


壁の時計は止まり、部屋の蝋燭が一斉に揺らめく。


部屋の外は静かだ。


この異常は、誰にも気づかれていない。



(やめて……)



喉が震えても、声は出せない。


頭を抱え、耳をふさぐ――


けれど音は、どんどん近づいてくる。



視界の隅、闇の向こうに“何か”がいる気配。


名も形もない、不確かなそれが、紬の精神をじわじわと削っていく。



(いや……こわい……)



呼吸が浅くなり、胸が苦しくなる。


冷や汗が額を伝い、指先は震え続ける。



ほんの数分の出来事…


けれど、紬にとっては永遠のようだった。



やがて、窓の外に朝の光が差し込むころ。


ベッドの中で、紬はまるで壊れ物のように小さく丸まり、目を閉じていた。


――――――――――



城の奥深く、静寂に包まれた塔の一室。


魔術師は、細く開かれた魔眼の水鏡を前に静かに息を吐いた。


鏡に映るのは、揺れる燭台の影と、怯えた瞳で暗闇を見つめる紬の姿。


「また…怯えているね。声も出せず、ただ震えて。可哀想に。」


その口調には憐れみが混じっているのに、目に宿るのは淡々とした冷徹さ。


だが――その視線の奥底には、揺るがぬ信仰があった。



“あの方”が言ったのだ。この娘は、王子の心を惑わせる“異物”だと。


あの優しく、美しく、聡明なヒナリア様が、そう望まれたのだから


――それは正しい。




「ヒナリア様が悲しむことなど、あってはならない。」



静かに呟くと、机の上に置かれた古い魔術書へと手を伸ばす。


「あと二日もあれば……この子の心は、壊れてしまうだろう。」


それでも術師の声に悲哀はなかった。


ただ、純粋な愛と忠誠を――


ヒナリア一人に捧げる、孤独な狂気だけがそこにあった。

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