第16話 夕食
夕食の場に招かれた紬は、緊張した面持ちで扉の前に立っていた。
「この国ではね、王族に会ったらまず頭を下げるの。さっき、ちょっと無礼だったわよ? 」
「……無礼な態度は、処罰されることもあるのよ?」
紬の頭の中では、あの日陽菜に言われた言葉が
ぐるぐると繰り返し再生されていた。
(失敗したらどうしよう…。)
気持ちとは裏腹に、ゆっくりと扉が開く。
中には既に皆揃っていて、扉の開く音に振り返り、こちらを見ていた。
紬は教えられた通り、深く頭を下げた。
静かな部屋に、衣擦れの音が響く。
「っ、待て!何をしている?」
レニオスがすぐに慌てて立ち上がり、紬の肩に手を添えるようにして制した。
「そんなにかしこまらなくていいんだ。君は“聖女”として迎えられているんだから、俺たちが敬意を払う立場なんだ。」
戸惑った紬は、ゆっくりと顔を上げ、陽菜の方へ視線を向ける。
すると陽菜は、困ったような表情を浮かべて、ぽつりと呟いた。
「あら……ごめんなさい。なにか勘違いをさせてしまったようですね。転生されたばかりで、まだ色々と混乱しているのかも…。」
その言葉に、レニオスの眉がほんの僅かに動いた。
けれど紬は何も言わず、ただ小さく首を横に振った。
――――――――――
豪華なシャンデリアの灯りが、長い晩餐のテーブルを優しく照らしていた。
席に着く紬は、少し緊張した面持ちでテーブルを見つめる。リサの助けもあり、なんとか着替えを済ませてここまで来たものの、体調はまだ万全とは言えなかった。
テーブルの上には美しく盛り付けられた料理が並び、香ばしい匂いが食欲を誘う。
けれど、紬の手はほとんど動かない。昨夜から続く不調のせいで、食欲はほとんどなかった。
「……どうかしたのか?」
優しく声をかけたのは、レニオスだった。
彼は紬の斜め向かいに座り、心配そうに目を細めている。
紬は小さく首を振り、作り笑顔を浮かべる。
それを見たレニオスは、それ以上は何も言わず、静かにフォークを手に取った。
「レニオス兄さん!聖女さんのこと、気にしすぎ!」
そう無邪気に声を上げたのは、末の王子・ノア。
明るくて人懐こい彼の声は、食卓に一瞬だけ穏やかな空気をもたらした。
「昨日のお茶会なんか、すっごく静かだったし!」
その言葉に、紬の手が一瞬止まる。
――お茶会。
自分が待っていたあの時、レニオスは陽菜たちと一緒にいた。
再び突きつけられた現実から
胸の奥に、静かに波紋が広がる。
そんな紬の表情を、陽菜はちらりと横目で確認し、わずかに口元を緩めた。
表向きは、穏やかで控えめな微笑みのまま。
けれど、その瞳には確かな優越感が宿っている。
「あまり召し上がられていないようですね。お気に召しませんでしたか?」
優しい声色で陽菜が尋ねる。
その問いには、どこか探るような響きがあった。
紬は小さく首を振り、また笑顔を作る。
その笑顔を見て、陽菜はさらに深く微笑んだ。
「……まるで人形のようだな。」
皮肉げに呟いたのは、第一王子・クラウス。
その声に場の空気が一瞬凍る。
「まさか、“王族への忠誠”を忘れてはいないだろうな? 召喚者であっても、だ。」
低く冷たい声音。
けれどその口調には、優雅さと威圧が同居していた。
「クラウス兄さん。」
レニオスがやんわりと咎めるように名を呼ぶが、クラウスは肩をすくめるだけだった。
「冗談だ。だが――
彼女には、覚悟がいる。それだけは忘れないでほしいね。」
陽菜は黙ってクラウスの横顔を見上げ、どこか嬉しそうに微笑んだ。
その向かいに座る国王と女王は、何も言わずただ静かに晩餐を見守っていた。
彼らの視線が、何を思っているのか――
それは誰にもわからなかった。
――――――――――
「まだ疲れているだろう。部屋に戻るといい。」
紬がレニオスの言葉に軽く頷き、リサと共に食堂を出たあと――
残されたレニオスは、杯を手にしながら静かに視線を落とした。
先ほどまでの彼女の様子が、胸に引っかかる。
無理をして笑っていた。
食事も、どこか義務のように口を動かしていた。
「……疲れているだけ…かもしれないが……。」
小さくつぶやいたその声を、誰も聞いてはいなかった。
隣ではクラウスが笑みを浮かべながら陽菜に言葉を投げ、陽菜も上機嫌で応じている。
その空気の中に、紬の居場所はなかったように思えた。
自分は、彼女の何を見ていた?
ヒナリアの言葉に、安心していたのではないか?
それで――
彼女の不安や孤独に、気づけなかった?
柔らかな笑顔の奥に、寂しさや怯えが隠れていたのかもしれない。
それに気づけなかった自分に、うっすらとした苛立ちが滲む。
「……ヴァルト、後で彼女の様子を確認してくれ。」
静かに囁いた命令に、背後の側近は無言で頷いた。
食事の場に戻っても、レニオスの思考はそこから離れたままだった。
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