第9話 癒される時間



部屋の奥に案内された紬は、

不思議な空間に立ち尽くしていた。



湯気の立ち上る浴室――


どう見ても西洋風の建築なのに、

なぜか日本の温泉宿を思わせる造りだ。




「お湯の温度、熱くないか確かめてありますからね。お疲れでしょう?」



リサはにっこり笑いながら、大きな桶に湯を汲み、ふわりとしたタオルを紬の手に持たせた。




その自然な仕草に、紬の動きが一瞬止まる。




「……っ」



慌てて手を振って

「自分でできる」と身振りで伝える。



だが、リサは首を横に振った。


「この国では、召喚された方は王族の婚約者。


つまり……“お仕えするお方”


なんですよ。」


思わず目を見開く紬。


信じられないような、けれどリサは本気でそう思っているらしい。


「恥ずかしがらなくて大丈夫です。

全部、わたしに任せてくださいね。


――わたし、聖女さまのお世話をするのが嬉しいんです。」


その一言に、胸の奥がふっと温かくなった気がした。



リサの手は柔らかく、どこか懐かしいぬくもりを感じさせた。


(……この世界で、初めて”優しさ”を感じた)


紬は静かに目を閉じ、リサの手に身を任せることにした。



湯船につかって体がほどけていくと、リサが静かに声をかけた。


「髪も、洗わせていただきますね。聖女さま、とても綺麗な髪……触れるのがもったいないくらい。」


そう言って、丁寧に泡立てた香りのよい石鹸を手に取り、紬の背後に座る。


くすぐったくも心地よい指先が、頭皮をやさしく撫でていく。


「この香り、好きですか? 甘すぎない花の香りが、わたしはお気に入りで…」


ぽつぽつと話しかけながら、リサは髪を丹念に洗い流していく。


その穏やかな口調に、緊張で硬くなっていた紬の肩の力が抜けていくのがわかった。


(こんなふうに誰かに髪を洗ってもらうなんて、いつぶりだろう……)


日本での生活が頭をよぎる。


一人で頑張っていた日々。


フリーランスで働き


頼れる人も少なく


弱音も吐けなかったあの頃――



(……なんか、変なの)



胸の奥にじんわりと熱が広がる。


目尻が少しだけ緩み、こぼれそうな涙をそっと拭った。


その様子に気づいたのか、リサはただ黙って、柔らかく髪を包み込むように乾かしてくれた。



「お疲れだったんですね。

……大丈夫です、もう無理はなさらなくて。」



小さなささやきが、湯気の向こうに優しく溶けていった。

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