第5話 リサとヴァルト
「…とりあえず、彼女を部屋に案内してくれ。」
─────
豪奢な扉が静かに開かれ、紬は案内されるままにその中へ足を踏み入れた。
高い天井に、窓から差し込む柔らかな陽光。
けれど、その美しさに心を動かす余裕はない。
──声が、出ない。
それだけが、頭の中をぐるぐると回っていた。
「ようこそ。お疲れでしょう、聖女様」
静かに声をかけたのは
部屋で待機していた侍女──リサ。
歳は紬より少し若く見えるが、
その仕草や言葉の端々から、きちんとした教養と穏やかな気配りが感じ取れる。
紬が小さく頷くと、リサは柔らかく微笑んだ。
「……あの、無理に話さなくても大丈夫です!」
「“何か言いたそうにしている時”は、
わたしが感じ取ってみせますから!」
その言葉に、紬の瞳が大きく揺れた。
誰かに、そう言ってもらえたのは
──この世界に来て、初めてだった。
「それに……聖女様の瞳、とても優しいです。」
「きっと、本当の言葉は、その中にある気がして。」
涙が溢れそうになるのを、
紬は必死にこらえた。
リサの存在は、
これから始まる見知らぬ世界で
“心から信じられる味方”
そうなる予感がしたからだ。
──────────
窓から差し込む西陽が、
執務室の床を朱に染めていた。
山積みの書類の前に座りながら、
レニオスはひとつ息をついた。
「……あの子は、部屋で落ち着けているだろうか。」
思わず漏れた言葉に、書類を束ねていたヴァルトがわずかに眉を上げた。
「ご様子に心を寄せるのは結構ですが、レニオス様。
“あの子”に心を寄せ過ぎて、
書類を放り出すのは困ります。」
皮肉でもなく、叱責でもなく。
いつもの静かな口調で、ヴァルトは淡々と進言する。
レニオスは僅かに口元をゆるめ、
机の上に視線を戻した。
「……分かってる。
だが、何かが引っかかる。
あの“聖女”は……
ただ、緊張しているようには見えなかった。」
「召喚直後です。
空気も、言葉も、立場も違うのです。
動揺しない方が不自然かと。」
「そうかもしれないな……
けれど、声を出そうとして、
……出なかった。
あれは──偶然じゃない気がする。」
数枚の書類を翻しながらも、ヴァルトの手は止まらない。
「殿下がそう感じられたのであれば、後ほど侍女から様子を聞き出してみましょう。
それより、まずは“召喚に伴う正式書類”にご署名を。」
「……これ、何枚あるんだ?」
「召喚の手順説明、報告書、王室記録用、外部公表用……ええ、いつも通りです。」
レニオスは一瞬、白紙の方が多いのではと疑うほどの厚みを見て目を細めたが、
ヴァルトが平然と差し出す筆を受け取り、
静かに署名を始めた。
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