第8話 扉なき廃墟と眠れる鍵

 外縁回廊——旧都区のさらに外れ。

 整備を放棄された高架道路が、くねくねと蛇のように空を這っている。

 かつて“第二都市圏”と呼ばれた場所。人の気配も街灯もないそこに、ユウトの靴音だけが響いていた。


 (案内も目印もない。だが……身体が知っている)


 夢と現実の境界に触れた者には、時として“感覚の指針”が芽生える。

 誰かの記憶、あるいはかつての自分の記録——それすら曖昧なものだが、今の彼にはそれが唯一の道標だった。


 そして、朽ちた看板の先。コンクリートに覆われた廃ビルの壁に、まるで“何か”が触れたような、わずかな歪みが走る。


 「……あれか」


 目を凝らせば、壁の一部がわずかに“呼吸”していた。

 夢の層の入口は、現実に擬態する。ここもまた、そのひとつ。


 ユウトが手を伸ばした瞬間——


 「おっと、勝手に入るのは感心しないな」


 声がした。

 見知らぬ男。黒いスーツに細縁眼鏡。片手には折りたたみ傘。

 見た目は“ただのサラリーマン”だが、どこか空気が異質だった。


 「君、まだ“第三階層”の許可、降りてないだろう?」


 「……誰だ」


 「“記録庁”の者さ。もっとも、いまは自主的に動いてるがね。

 私は君のことを監視対象としてマークしている。あの時雨と接触した時点で、ね」


 ——時雨の名前が出た瞬間、空気が変わった。


 「どういうことだ。時雨が“何”なんだ?」


 男は笑わない。冷たく、事務的な声で続けた。


 「時雨は、元“記録官”。本来なら我々の上層に籍を置く存在だった。

 だが彼は、勝手に夢境記録を持ち出し、“夢心地”という施設を作った。

 あれは本来、世界と人間を“切り離す装置”だったのだよ」


 「……切り離す?」


 「過去のトラウマ。現実への違和感。強すぎる“夢”——それらを『一時的に忘れさせる』空間。

 彼はそれを、“癒し”だと言っていた。だが、本質は違う」


 ユウトの胸がざわつく。

 知りたかった。けれど、同時に“知るのが怖い”何かがある。


 男は近づいてくる。口調は変わらず穏やかだが、その手には細く光る金属棒が握られていた。


 「君は、今も夢境に“接続されている”。そのままこの層へ進めば、いずれ戻れなくなる」


 「それでも……」


 ユウトは答える。


 「俺には、確かめなきゃいけないものがある。あの夜のことも、時雨のことも、全部。

 だから、邪魔するなら——戦う」


 男は眉をひそめ、わずかに肩をすくめた。


 「……仕方ない。ここでの記録は“無効”にしておく。せいぜい、夢に溺れないことだ」


 そして彼は、音もなくその場から消えた。

 まるで最初から、夢だったかのように。


 ユウトは壁に手を置く。

 鼓動が早まる。だが、意志はもう揺れない。


 「行こう。次の層へ」


 コンクリートの壁が、音もなく“ほどけた”。


 その先に広がっていたのは、永遠に続くような“記録の回廊”。

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