とある男の決死行
明海 詩星
とある男の決死行
視界が晴れたころには、すべての景色が一変していた。
「くっそ、
五感の感覚が戻ってくるまで、身体を壁に預ける。死骸の骨のようだった。風化して、気色の悪さは感じなかった。
湿った泥の匂いはない、洞穴。そこにいれば、香るはずのない潮の匂い。
「転移前が森林だったから、最低でも五層ぐらいは下に落とされたみたいだな」
視線を上げる。天井が高い。天井と空の境界がわからないほどに、高い。
周囲には、樹木は存在しない。開けた空間。さざ波が微かに聞こえる。モンスターの気配は感じない。
「迷宮の前提は、空間異常だったな」
ギルド職員に教えてもらった知識を反芻させながら一歩一歩確かに地を踏みしめていく。
鼻腔を刺激するのは、生臭い潮の香り。海水は汚れている。下層六層より下。
足元の土は細かい。森林のようなぬかるんだ土の柔らかさではない。手に触れて、息を呑んだ。
砕けた骨の大地、魚の骨ではない。人の骨が乾燥して砂になるほどに砕けているようだった。
「つまりは、ここは下層じゃない。最低でも深層二層より下」
頭がくらくらする。魔素濃度が異常。呼吸を浅くする。
転移罠に引っかかる寸前、魔力枯渇だったとはいえ、この症状は異常だ。
「異常濃度の魔素を吸収による、急性魔素中毒。その初期症状か」
深層域で魔素の濃度が過剰と判断されているのは、深層の五層目から。
現在地は深層五層。深層唯一の
モンスターがうじゃうじゃいないところから、それより下である可能性は低い。
約十層も下に跳ばされたようだった。
「
手に持った矛は刃こぼれしている。予備は、仲間に預けたままだ。
杖は予備含めて全壊。魔法を使うにしても、深層の怪物どもには火力が足りない。
防具は魔導士専用の魔導衣。物理的な攻撃を喰らったら、まず死ぬ。
いつもの前衛用の重鎧ではない。
「詰んでるな」
ジパング帝国に存在する階層型高難度迷宮、赤城ダンジョン。その下層に存在する迷宮主討伐の帰路だった。
他のチームに獲物を奪われないための、たった五人で速攻した結果がこれだ。
仲間たちなら、転移罠にひっかかるバカな結果にはならなかった。
難敵の完全勝利による、光悦感。魔力枯渇による集中力散漫。罠回避の経験不足が響いた
「罠の警戒をする訓練、さぼるんじゃなかった」
大きくため息を吐いた。
指の震えが微かに感じ、全身の疲労は最高潮を迎えている。10分休めば、なんとか動ける程度には回復するだろうか。
「ここにいても、魔力中毒で死ぬ。上に行けば、あれがいる」
B級探索者を大勢殺しまくった深層の壁。
深層四層、迷宮主級、通称”隻餓鬼”がいる。先日、B級探索者チームの連合を壊滅させた。確実に血の味を覚えているはずだ。
「待てばA級チームが討伐に来るだろうが、ここまでくるまで三十時間はかかるだろうな」
頭の中で、時間を計算していく。
「ダメだな。魔素中毒で動けなくなるのは、どれほど長く見積もっても十二時間後だ。確実に死ぬな」
仲間が助けに来ることはまずない。四人とも、ぼろぼろ。武器も予備を貸さなければならないほどに、装備も貧弱だ。
「……上は死地。下はまだ情報解禁されてねぇえし、どうにもならねぇな」
俺は、ここで死ぬ運命なのは分かる。
先月、結婚したばっかりだ。
同い年の妻がいる。
死にたくない。
産まれたばかりの息子がいる。
生きたい。
しかし、生きる選択肢が、想像つかない。
「くっそが」
モンスターがいないということは、隻餓鬼は
それならば居場所の想像がつく。
「入り口だろうな」
深層四層と五層が繋がっている通路。
そこにいるに違いない。
あそこなら、モンスターと人間を喰える。知能がある深層の鬼であれば、行動してもおかしくはない。
通路は縦横と百メートル程度と狭い。隻餓鬼の突進を避ける空間はない。
「
足音を立てないように、つま先で歩を進めていく。
人間の味を知らない隻餓鬼であれば、討伐を考えない手段はあった。
すでに覚えているため、不可能。
時速百キロで走る、大鬼だ。走って逃げるのは、無理だ。
「
槍緡大熊という上層の壁がいる。時速百キロの突進を無動作で行う、初心者殺し。
隻餓鬼はその上位互換。ベテランを殺す、上級者殺し。
「くっそ、手段が想像つかねぇ」
頭の中で手段を思考する。
歩く。音を立てないように。
すり足で進む。寿命を延ばすために。
モンスターがいれば、その肉を喰らって生き延びる。
深層六層までは腐肉を食べたほうがいいとされている小鬼しかいない。
海から下層に向かう。
「下に行くしかない、か?」
深層六層。情報と知識は、ない。A級にまだ昇格してない。
まだB級11位。今年、A級昇格試験を受けるつもりだった。
今回の遠征も、昇格試験を合格するための願掛け。
「運が悪すぎるな」
さて、どうするかを反芻しつづける。
上にいく。
しにたくない。
下にいく。
誰も見つけてくれない。
「疲れた」
矛を持ち上げる。
「戦うか」
思考を放棄する。
戦うしか、俺には手段は残されていない。
逃走すれば、死ぬ。
選択肢をないなら、作るしかない。
「隻餓鬼を討伐、それに準する成果を残せば、あいつみたいにA級に無条件でなれる」
銀に輝く白髪の少年が、記憶の片隅から浮かび上がった。
十四歳でA級昇格した、天才魔法剣士。剣の神に愛された、この世界の英雄になるために生まれた、逸脱者。
異名は、
「白銀のボウズみたいに、隻餓鬼を倒せれば、オレも」
彼が隻餓鬼を討伐したのは、去年の秋。仲間という
A級の実力者ですら、果たしていない偉業を行った。修羅にも似た英雄の道、その一歩を歩むための結果は、俺は怖れる事しかできなかった。
心が震えた。初めて、年下に畏怖を向けた。
「ほんと、神様っつうのは、超えれない壁は用意しないんじゃなかったか?」
たった365日。この世界は、英雄を求めている。
お人好しの焔魔導士は、英雄になる試練を突破できず、精神が反転した。
俺は英雄にはなれない。当たり前だ。七歳から二十年間、休まずに走り続けた人間でしかない。
「その英雄の足跡を踏んでやればいい」
勝てない。知ってる。
負けて、死ぬ。解ってる。
「それでもな、死にたくねぇんだ」
息子がまってる。
まだ、死ぬわけにはいかねぇんだ。
歩きから、早歩きへと。
意志を固めるかのように、進む。
広い、広い、孤独な空間に一人。死神の鎌が首に向けられていた。
死が、愚行をおこなうだけの男の背を嘲笑ってるに違いない。
矛を握り締める。深呼吸をする。鎌を首筋に当てられているということは、生きていることだ。
「いいじゃあねぇか、超えてやる」
上に繋がる通行路へとたどり着く。
「やっぱり、ひっでぇ血の匂いだ」
朱く黒ずんだ大地。腐敗した匂いが鼻腔を刺激して、胃袋が痙攣する。逆流する胃液をのみ込み、前を睨みつける。
生きるには、倒すしかない。
一歩、踏みしめる。
二歩、震えが止まる。
三歩、凶悪を目撃する。
「よぉ、ばけもん」
四本の腕。漆黒の外皮。座り込んだ地は血溜まり。
片腕で小鬼の雁首を果物のようにもぎ口で咀嚼する、黒鬼。
食事をしている。こちらを敵と認識してない。
柄を地に当てる。杖はない。魔法の指向性を補助するには充分だ。
「悪いが、墜ちろ」
体内で魔力循環。無駄な魔力が漏れないように、丁寧にしながらも最速。
詠唱は破棄。魔力が大量に奪われる。
雷系統広範囲殲滅魔法。術式名は”
「【連なり重なれ。穿て、祖は、雷の王】」
雷系統連撃魔法を短縮詠唱で魔法を連結する。指向性を確定。最大出力。範囲を限界まで縮小。
矛先をしならせる。音が遅れ、光が靡く。
「
轟いた。回避行動を潰す。
横に薙いだ雷。光速の波状攻撃。
残響が鼓膜を震わせる。
「挨拶代わりとしては、充分だっだろ」
砂埃で姿が見えない。重なり合った魔法陣が雷を落とし続けているが、それも数秒で終わる。
敵はまだ生きているに違いない。警戒を解除しない。次の行動は回避と追撃。
矛を構える。相手の初動は、突進。本来であれば、反射は不可能。
雷系統支援魔法で肉体の身体能力を向上。残り魔力をすべて、その一つへ。
過剰魔力によって全身が痺れる。感覚が一秒、一秒と鋭敏と成す。
「さぁ、来い!」
視界が晴れた。影が揺れた。時間が圧縮する。
大地が震える。大気が切り裂く。
人間の反射では不可避の突進。
捉える。矛をしならせる。
衝撃が、飛んだ。
「っぐ!」
漆黒の顔貌、紅き隻眼。俺を捉えていた。
四本の腕が動く。頭、両腕、臓物。
鉄が重なり合う音が響く。
「かってぇえな!」
着地と同時に、柄の先端で突く。
下腕で止められる。矛を手放す。
魔力を込めた拳でブローする。
電撃による、内臓攻撃。
「がぁあぁああああああああ!」
拳が振り落とされる。矛が落ちる。
一重で回避する。後退、持ち上げる。
「やっぱり、効果はうっすいな」
三歩、距離を取る。鬼を観察する。
魔法による負傷はすでに回復済み。払った上腕も傷は塞がっている。
「ほんとうに、自己再生なんてくそったれだな」
魔法による攻撃は一撃では足りない。矛の一撃も切り傷がつけることが精一杯。雷撃による内臓破壊は出力不足。
鬼の攻撃は一撃受けるだけで、終わる。捕まれたら即死。矛先も亀裂が入っていた。
「詰んでるっつうか、勝てるのに準備不足すぎるな」
三秒間の観察と戦法の効果性、その確認。
導き出されるのは、圧倒的なほどの火力不足。
隻餓鬼。その強さは、身体能力ではない。深層モンスターですら比類なきその回復能力。
魔力防壁を貫通させる雷撃ですら、一瞬にして回復してしまう。
ならば、魔力を最大まで込めた矛の一撃。俺の身体能力を限界まで向上させ、竜ですら屠れる上段の大ぶり。
しかし、鬼は上腕を護りのために潰した。魔核へとたどり着かない。
追撃が間に合わない。
残った下腕、突き上げられた拳。
身体が舞い上がる。得物を手放す。
天井に叩きつけられた。
口から血が溢れた。
自由落下。地面にたたきつけられた。砕ける音が耳の奥で響いた。
追撃は襲ってこない。
鬼は、大きく息を吸い込んでいた。
動けない。内臓がぐじゃぐじゃになったに違いない。
鬼は、朱い隻眼を俺に向けた。
露出した牙、黒ずんだ舌、忌々しい咆哮。
下腕の一本が俺の身体を掴み上げようとする。
俺は、逃げーー
「じゃねぇ!」
肺が潰れている。枯れた声がでた。呼吸が苦しい。
立ち上がる。トドメを回避する。
それでも、死にたくない!
残り少ない魔力。詠唱を破棄して、肉体を強制的に動かす。
血まみれ。どころどころから、血がこぼれる。
利き手は潰れた。それでも握り締めることはできる。矛を拾い上げる。
声がでない。知ってる。死ぬぐらいなら、その分の代価をよこせ!
この技で、鬼を確実に屠る。
視界がゆがむ。しかし、敵は見える。
息が出来ない。しかし、力は出せる。
「奥義解錠、
遺言を呟く。心臓が震える。魔力が全身を焼き尽くす。
色が失われる。必要な情報のみを、引き出す。
全快した鬼が俺を殺す。
その未来を、乗り越える。
血溜まりを踏みつぶす。全力の大ぶり。
突進を叩きつぶす。上腕の一本を切り落す。
鬼はあざ笑うかのように、牙を開く。
大ぶりの初撃。振り終わる瞬間に振り上げる。究極の追撃、燕返し。
残りの上腕と下腕の一本を奪う。
残った腕は、矛を受け止めた。
刃こぼれした矛先を握りつぶされ、砕かれた。
「があああああああああああああああああ」
勝利の雄叫び。敗者を喰らう、宣言。
さらなる追撃が消えた。否、終の一撃は残されている。
柄を持ち直す。柄先を胸元へと全身全霊、打突。
ぶつかり合う。砕け合う。沈んでいく。
残された武器が死んだ。
鬼の、心臓を貫通した。
「俺は」
膝から崩れ落ちる。
鬼の肉体。
まだ、残っていた。
隻眼が、動く。
「なれなかった」
鬼は膝から崩れ落ちない。立ち尽くしたまま、牙を俺の、肩を――。
――死ぬ瞬間、冬が咲いた。
「銀世界・氷帝」
真っ白な、世界。静寂が咲き誇る、氷の華。
鬼が凍てつき、砕ける。
残された意識の中、俺は白銀の少年を、見た。
「すごい」
称賛の声が、うねるように鼓膜を震わせたまま、俺は意識を失った。
◇◇
その後の話をしよう。
白銀に助けられた俺は、死ぬか生きるかの分水嶺にいたらしいが、無事に生還した。
両腕骨折、内臓破裂、大量出血。半年間の入院。探索者人生の終了を迎えた。
白銀が俺を助けてくれた理由は、なんでも「あなたの仲間に頼まれました」とのことだ。
仲間たちに聞いた限りでは、半年前の大けがで、右腕を故障していたはずなのだが、深層から上層まで
天才には、叶わないものだ。
三十歳手前で探索者人生を終了したけれども、オレは、正直な話、英雄になれなくてよかったと思っている。
勝てなかったのは、残念だった。でも、限界を超えても勝てない相手と戦えて、正直な話楽しかった。
これが、俺の人生だった。後悔はない。
これからは、俺はまともな父親としてギルド職員になる。未来がある。
それに、文句はつけれない。
生きることこそが、この世界の英雄になるための最低条件だ。
あぁ、俺は王道の
決死行は、正解だった。後悔はないさ。
とある男の決死行 明海 詩星 @miyaccs
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます