第32話

土砂崩れの起こった場所から離れたところにジークの住む小屋があった。

森の植生が変わり、木の精霊も別人になる。


その精霊曰く、小屋の周囲に生える木は根が長く、絡まりあって地中に伸びている。

そのおかげで地盤も強い。土砂崩れに小屋の周囲が巻き込まれることはないとのことだった。


身体の大きなジークをここまで運ぶのは大変だった。

僕一人では到底不可能。


手伝ってくれたのはあのシカの親子である。

倒木を縄で引っ張ってどかしてくれた動物たちは僕がジークの処置をしている間に姿を消した。

もう大丈夫と判断したのかもしれない。


そんな中、シカの親子だけが残っていた。

母シカが「私の上に乗せなさい」というようにジークの隣で膝をつき、僕がそのようにすると背中に乗ったジークを落とさないように歩き出した。


その後ろを子ジカが追いかける。時折振り返って僕を見るその姿に「ついてきて」と言われているような気がして後に続くとこの森の小屋にたどり着いたのだ。


雰囲気は僕の住んでいた小屋とよく似ている。でも、扉や天井の高さ。その他あらゆるものが一回り以上大きかった。

置かれている道具もかなり大きく、僕では扱えそうにない。

大きさ的にジークにぴったりだったので恐らくここが彼の小屋なのだろうとわかった。


扉には鍵がかかっていなかった。悪い気もしたが緊急事態なので勝手に入らせてもらう。

扉を開けると母シカが小屋の中に入り、大きめのベッドの前で再び膝をつく。

何を求められているのかはすぐにわかった。


ジッと僕を見つめる母シカに近づき、背中の上に乗ったジークを抱え起こしてベッドに乗せる。


シカの親子はそこまで見届けると役目を終えたかのように森の中へ消えていく。

後は僕の仕事だ。


まだ刺さったままの枝を抜くために薬を探す。

こんなことになっていると知っていれば使えそうな薬を店から持ってきたのだが、来る前はピークが何故騒いでいるのかわからなかった。


しかし、ここにはジークが店で買っていった傷薬があるはずだ。あの薬には多少の血止めの効果もある。腹部に刺さった枝を抜くには必要だ。


ジークが店に来たのはつい先日のことだ。

頻度的にもまだ使い切ってはいないだろう。


そう思って部屋の中を軽く探すと見慣れた傷薬の小瓶を見つけることができた。

量は結構減っている。でも傷を塞ぐには十分だろう。


ジークのところに戻り、枝を抜きながら薬を塗る。彼が気絶していてくれて助かった。意識がはっきりしていたら痛みで暴れていたかもしれない。

表情は苦悶に歪んだが、取り押さえるような事態にはならなかった。


処置を完全に終えた後、四苦八苦しながらも彼の服を着替えさせる。

雨に濡れたままでは風を引いてしまうだろう。


服を脱がせると見事な体毛が現れる。焦げた茶色のような濃い色で全身が覆われている。

ズボンを脱がせると立派なしっぽまで生えていた。


「一体彼はなんなんだろう」


寝ている姿を見ると大型のイヌ。あるいはオオカミのように見える。

口元には牙が見えている。尻尾もある。


思い浮かぶのは「獣人」という言葉だが、それは前世の記憶に基づいた知識であり、この世界にはその言葉自体存在していないはずだ。


まるで獣のような人間。彼が常に顔や体を布で覆っていたのはこのためか。


「まだいるな。動物たち」


窓の外を見ながらトマトが言った。

森の中に姿を消したと思っていた動物たちはまだ近くにいるらしい。


森の木々に身を隠しながら時折顔をのぞかせる。

ジークを心配しているのは間違いない。彼は動物から好かれる体質なのだろうか。


小屋に入ってからピークも随分と大人しくなった。

小屋の中を自由に動き回り、我が物顔でいじくりまわしている。


彼の大きさにぴったりの止まり木があるところを見るにもしかするとピークは良くここに遊びに来ていたのかもしれない。


薬の瓶が置いてあった棚の横に薬草を使って作られた手製の包帯らしきものを発見する。


サイズが数種類あり、かなり小さめのものから大きいものまで揃っている。

その中からジークに合うサイズを取り出して腹部の傷に巻いておいた。


乾いた服を探し、なんとか着せる。そこまでやってようやく落ち着くことができた。


「……ここは」


しばらくしてジークが目を覚ます。

状況が飲み込めていないのかまだ混乱している様子だ。


「痛っ……」


起き上がろうとして苦痛に顔を歪ませる。


「まだ起きちゃだめだよ」


僕がそう告げるとジークは驚いた表情を見せた。小屋の中に人がいるとは思っていなかったようだ。それから自分の腹部を確認する。


「この処置は、君が?」


彼に尋ねられ頷く。


「ごめん。緊急事態だったから勝手に色々使わせてもらったよ」


ジークはだんだんと何が起こったのか思い出してきたらしい。

切迫した様子で僕を見る。


「あの子たちは? あのシカの親子は無事か」


痛みなど忘れたように起き上がり、僕の両肩を掴む。その剣幕と力の強さに圧倒されながら僕は何とか彼を安静にさせようとした。


「シカの親子? その子たちならジークをここまで運ぶのを手伝ってくれたんだ。無事だよ」


そう言いながら彼を再びベッドに寝かせる。フッと彼の身体から力が抜けるのを感じた。

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