第29話
黒いローブの男性はその後もたまに来店するようになった。
彼はいつも同じ服装で、相変わらず顔を隠していたが常連になるにつれて少しずつ言葉数も増え、お互いに名前を教えあう程度の中になった。
彼の名前はジークという。
ジークは町の外。僕が住んでいた森とは真反対の方角にある別の森で一人暮らしをしているらしい。
「私は動物が好きでね。買い物に町に寄った時、ピークを見かけてこの店を知ったんだ」
アレン薬品店を訪れた経緯をジークはそう語った。
彼がいつも買っていくのは決まって同じ傷薬だった。
森の奥で過ごす彼にとって怪我は割と身近な物らしく、一人で使うにはかなり高い頻度で消費しているらしい。
見かけによらずおっちょこちょいなのかもしれない。いつも姿を隠しているのは身体中に傷跡があってそれを隠すため、とか。
彼と仲良くなるにつれて、時折そんな風に邪推する。それでもジークに直接訪ねることはしない。
わざわざ隠しているということは彼にとって触れられたくないことなのだろうし、無理矢理踏み込んで彼が店に来なくなるのは嫌だったからだ。
とある日の晩である。
その日はかなり早めに店を閉めた。
朝からずっと不穏な天気が続いていて、夕方になる前にはかなり強い風が吹いていた。
店を閉めてすぐに雨が降り出し、またすぐに嵐になった。
「ピークちゃん大丈夫でしょうか」
温かい紅茶にミルクを淹れて飲みながらリリアが呟く。
心配する気持ちは僕も同じだった。
嵐になって随分と経つのにピークはまだ帰って来ていなかった。
いつもなら日が暮れ始めた頃に自分で食事を済ませ、二階のベランダに戻ってくるのだが今日はまだ姿を見せないのだ。
何でもない日ならばそこまで心配もしないのだが、嵐の夜では勝手が違う。
ピークは力強く羽ばたけるようになったが、強風に煽られて飛ばされてしまうかもしれない。
賢い彼のことだから、どこかで雨風を凌いでいると信じたいが心配は尽きなかった。
窓が揺れる。
風が強く叩いているのだ。
雷が鳴り、勢いが増している。
「ピークだ」
僕の肩の上でトマトが叫んだ。
反射的に立ち上がる。リリアが驚いた顔をした。それにかまわずに窓に立ち寄る。
確かに僕にも聞こえた気がした。
雷の音に紛れてピークの鳴き声が。
店の中が濡れるのも構わずに窓を開けた。強い風が吹き込んで来て、それと一緒にピークが流れ込んでくる。
「ピーク、よかった!」
ずぶ濡れのピークを抱きしめる。リリアがすぐにタオルを持ってきてくれて、僕が優しく吹き上げる。
「こら、だめだよ。ジッとして」
いつもはそんなことはないのに、この日のピークは拭かれるのをとても嫌がった。
しきりに窓の外に目を向けて悲しそうに鳴いている。
「なぁ、どこかに行きたがっているんじゃないのか?」
トマトが言った。僕にもそう見える。
「でも……どこかって、どこに?」
いつもはそんなことはしない。自ら危険に飛び込むような真似は。でもこの時ばかりは違った。焦燥感に駆られるようなピークに触発される。なんだか嫌な予感がして、すぐにでも動き出さなければいけない気がしたのだ。
「リリア、ごめん。ちょっと出てくる」
彼女にそう告げて、返事も待たずに支度する。
雨具を身に着けて、薬を淹れておくための籠を二つ持った。
そのうちの一つにトマトが入り込む。もう一つの籠で蓋をするように塞ぎ、わずかな隙間を開けて固定する。
ピークを肩に乗せて扉の前に行く。
「朝になる前に絶対戻るから。心配しないで待っていて」
何が何だかわからず、不安そうにしているリリアにそう告げる。僕自身何故行かなければいけないのかよくわからない。
しかし、準備をする間に胸騒ぎは確信めいたものに変わっていた。まるでピークの気持ちが伝わって来たかのような気分である。
「ピーク。君が頼りだ。行きたいところに案内して。でも疲れたり、危ないと思ったりしたら一度この籠に戻ってくるんだよ」
トマトのいる籠を示しながらそう言うとピークが返事をするように鳴いた。
扉を開ける。強風が部屋の中に入って来て、髪がなびく。
その風に立ち向かうかのようにピークが飛び立ち、僕も走り出した。
暗闇と雨で視界がかなり悪い。ピークはなるべく低空を飛び、僕を誘うように風の中を泳ぐ。
背中に背負った二つの籠から時折トマトの悲鳴が聞こえる。僕が走るたびに籠が揺れ、中がすごいことになっているのだろう。
「ねぇ、大丈夫?」
背中越しにそう尋ねると籠の中からくぐもった声が返ってくる。
「大丈夫だ! うぉっ……俺にも何か一大事ってことはわかる。俺に構わず頑張ってピークを追え!」
僕にしか見えない野菜の精霊の応援を受けて暗闇の中を走り続ける。
ピークは町の外に向かっている。
門の前にはこの嵐だというのに衛兵がいた。呼び止められても悠長に話している場合ではない。
何と説明していいのかもわからないし、引き止められるのは目に見えている。
僕は速度を落とさずにそのまま門を通る。「おい、君!」と僕に気付いた衛兵が叫ぶが聞こえないふりをして駆け抜けた。
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