第17話
リリアにトマトの種を渡した二日後の昼下がり。
貧民区の彼女の家。玄関の外に置かれた木製のベンチに腰かけて僕は唸っている。
「うーん。どうしようかな」
目の前に何枚かの紙切れを並べ、真剣に考え込む。家の中ではフレアさんがお昼寝中。リリアは午後の分の薬を持って町に売りに出ている。
悩みの種は彼女が感じる視線についてではない。もちろんそちらも心配だが、今はもっと明確な問題を抱えている。
眺めているのはオッコムの町にある空き家の情報。それから馬の販売についの情報だった。
「僕自身は生活を変えずに薬を売れるようになる」というリリアと取引をする前の僕の考えは完全に間違っていたのだと今更ながらに思い知る。
彼女の付きまとわれ事件に比べ、フレアさんたちとのお茶会。渡した薬の様子が気になってなど僕がオッコムの町を訪れる理由が増えた。
それ自体は別にいい。一度気になると放っておけないというのが僕の性格だし、理由はどうあれ自発的に行っていることだ。生活の変化によって生まれた新たな関係もある。
ただ問題が無いわけではなかった。現在僕はオッコムまで荷馬車に乗って通っているが、それは町で出会った商人に値段交渉をして得た移動手段である。
オッコムに拠点を置くが仕入れで頻回によその町に出向く商人の荷馬車だ。仕入れに向かう町の通り道が小屋のある森と比較的近く、仕入れの帰りに拾ってもらう形で取引が纏まった。
僕が歩くよりもずっと短い時間でオッコムに着けるし、疲れもしない。帰りは都合が合えば再び同じ荷馬車に乗せてもらい、合わなければ森方向に行く他の荷馬車を探し、一回分の料金を支払う必要があった。
徒歩で町に向かっていた時は行きに半日、帰りに半日。滞在時間を含めるととても日帰りはできないため宿を取る必要があった。
フレアさんたちはしきりに僕を自宅に泊めたがったが、甘えすぎな気がしたのと女性が二人で住む家(しかも一人は僕とそう歳がかわらない)にお世話になるのは気が引けた。
これがもっと治安の悪いところならば、効果があるかどうかはさておき防犯のために一泊させてもらうことも考えたのだろうが、オッコムの貧民区ではその必要もなさそうだった。
ずっと住むというのならまだしも、町に来た時だけでは大して意味もないだろうし。
そんなわけで今までは最低でも二日はオッコムに滞在する必要があったのだが、荷馬車を利用するようになってから一日で済むようになった。
代金も宿代をそのまま転用できるので大きな支出の変化はない。ただ新たな問題が浮かび上がって来たのである。
まず一つが完全には快適にならなかった移動の問題。
小屋からオッコムまでの往来の時間を短縮できるのは良いのだが、来れる日が不定期になってしまうという点だ。
荷馬車が出るのは仕入れや他の町に用事のある時。僕は予め荷馬車の商人に予定を聞いておき、都合の良い日を伝えて拾ってもらうようにしている。
これでは僕の好きな時に来ることはできず、急を要する時にも対応できない。
個人で馬車を雇えば好きな時に呼びつけて移動することもできるのだが、それには今よりも何倍もの金額がかかるため気が引ける。
そこで目を付けたのが馬の購入だった。オッコムのはいくつかの農家があり、牧畜も行われている。
兵舎では騎馬用の馬も飼育している。
森の奥の小屋ならば土地は余っているし僕にも育てられるのではないかと思ったのだ。
馬を一頭買う。それにも当然お金がかかるが、長期的な目で見れば馬車を雇うよりは断然安上がりだと思う。いまいち踏み切れずにいるのは馬に乗った経験がないからだった。
子供の頃から割と隔絶された世界で育った僕にとって移動と言えば足でするもの。それも小屋の半径数十メートル圏内。どんなに離れても森の中までという条件付き。
うっすらと残る前世の記憶に頼っても覚えているのはやたらハイテクな乗り物ばかりで乗馬どころか馬を見た記憶さえ見つけ出せない。
初めて荷馬車に乗った時ですら感動を覚えた僕に馬を乗りこなす自信はなかった。
馬車より安上がりというだけで本当に安いわけではない。それなりの金額を支払うことになるし、「乗れなかったから返します」というわけにはいかない。
移動手段のためとはいえ命を預かることになるのだ。これといった決め手がないとなかなか決断できなかった。
もう一つの悩みは「薬売り」に関してである。
思い付きから始めた僕とリリアの商売は運も味方して上々だと言える。定期的に買ってくれる固定客も増えて来たし、評判もいい。
ただそのおかげで一週間に渡す一箱分の薬では足りなくなることが増えていた。
それならば数を増やせばいいということになるのだがそれもまた大変なのだ。
僕では薬の詰まった箱を満足に持ち上げられない。毎回軽々と持ち上げるリリアを見ていたから余裕だと思って試してみたら情けない結果を知るはめになってしまった。
オッコムどころか荷馬車と待ち合わせをしている森の境界付近まで運ぶのも不可能だろう。
「私が二箱持っていきます!」とリリアは申し出てくれたが、さすがにふらついていたのでこれも却下。僕より力があるとしても女性なのだ。危ないことはさせられないししてほしくもない。
他にも取りに行く日を増やす、とか荷馬車に積み込みまでしてもらうという案も出たのだが薬を売る時間が減ってしまったり、商人に追加の料金を支払う必要が出てくるため未だにどうするか決めあぐねているのである。
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