第9話
彼女は満足していた。幼い頃からの友人、知人たちを助けられたのだから。
その上で僕との取引もしっかりと守ってくれていたらしい。
困っている人には何の対価も要求せずに薬を渡したが、誰から貰ったかは決して言わなかった。
森の奥に住む僕のことは誰にも話さなかったと、真摯なまなざしで誓ってくれた。
その表情に疑う余地はない。
しかし、その一方で噂は一人歩きしてしまったらしい。「よく効く薬を取り扱っている奴がいるらしい」そんな噂が広がり始め、気づけば貧民区にある彼女の祖母の家には毎日誰かしら急病人が押し掛けるようになったという。
薬が残っているうちはそれでもよかった。困っている人を見捨てるというのはリリアの心情に反した。彼女は尋ねてくる人には薬を渡した。
僕が渡した分の薬はあっという間になくなった。彼女の祖母の分だけは残っているらしいが、訪ねてきた人に渡せる分はもうない。
それでも家を訪ねてくる人は減らないらしい。「もう薬はないんです」とリリアが何度説明しても「頼む譲ってくれ。何でもするから」と懇願する人が多い。
貧民区の人たちからしてみれば普段は高くてとても手の届かない薬を手にする数少ないチャンスなのだろう。
「浅はかなことをしたと責められれも仕方ありません。貧民区で薬を配ればこうなることはわかりきっていました。……それでも私にはあの人たちを無視することはできなかった」
「どうかお許しください」とリリアは伏し目がちに謝罪した。僕に彼女を責める理由はない。同じ立場ならば恐らく僕も同じことをしただろう。
自分にできることが残っているのに困っている人を放っておく。言葉にすれば簡単が実際はそれが中々難しいことを僕は知っている。
助けない選択をしてもその存在を認識してしまった時点で意識はそちらへ向かってしまうのだ。
中には「そんなこと知るか」と突っぱねて時間と共に忘れられる人もいるのだろう。
僕はそうじゃない。恐らく彼女も。
忘れようとしても忘れられず、「あの時助けておけばよかったな」といつまでも引きずってしまうのだ。
それは平穏な生活を送るにはノイズになる。そのノイズを抱えて生きるよりもノイズを生まないように選択を誤らないというのが僕の理念である。
リリアが「平穏な生活」を目指しているかは知らないが、彼女も選択を後悔するタイプなのだと思う。
ようやく話の流れが見えて来た。
恐らく無くなった薬を補充したいという申し出だろう。
暇さえあれば「次はこうしたい」と自ら品種改良をせがんでくる薬草たちのおかげで薬のストックは多すぎるくらいにある。
僕が席を立ち、小屋の奥の倉庫へ向かおうとすると彼女は慌てて立ち上がった。
「もちろん今回はお題をお支払いします。到底足りるとは思えませんが、残りは少しずつ返していきますのでどうか……」
そう言って彼女が差し出した袋の中には硬貨が入っていた。それなりの額だ。数日分の兵士の給料だろうか。
差し出された硬貨を前に僕は困り、視線を泳がせる。試しに「いりません」と言おうとしたら「いり」と言った時点で
「受け取ってください」
と強く念押しされてしまった。
無償の善意が良くないことは僕にもわかっている。きっと僕のためにも彼女のためにもならない。しかし、お金は必要としていない。
「リリアさん。僕の周りをよく見てくれますか」
そう言うと彼女は少し不思議そうな顔をして首を傾げた後、言われた通りに部屋の中をぐるりと見まわした。
広くはない小屋の中。それなりの家具とそれなりの道具が揃っている。すべて祖父が手作りした物である。祖父ほどの腕はなくても僕も食器や鍋なんかを自作する。
「外には畑があります。それほど大きくはないですが、一人暮らしなので十分です。すぐ近くには川が流れていて水には困りません。魚だって獲れる」
そう言って肩をすくめてみせると彼女はハッとした様子だった。僕に言わんとすることが伝わったらしい。
「まぁつまり……僕の生活でお金は必要ないんです」
実際は町に言って買い物をすることもある。自分ではそうしても作れないもの買った方が質がいい物が手に居はいる場合だ。でもそういう時は大抵育てた野菜を売ったり作った木工品を売ったりすれば事足りる。
ただでさえ大変なのに頑張って稼いだお金で祖母の薬を買い続けて来た殊勝な人からお金を巻き上げようとは思えなかった。
「でも……それじゃあ」
彼女はまだ納得していなかった。金銭の類が必要ないというのは理解してもらえたようだがそれでは彼女の気が収まらないらしい。
こうなると話は平行線だ。お互い気分よくことを進めようとするとぶつかるのならば、お互いが納得できる妥協点を探り合わなければならない。
少し頭を悩ませて、僕は少し閃いた。
「急な質問ですけどリリアさんはどうして兵士になったんですか?」
突然の質問に彼女は多少驚いたようだ。それでも素直に答えてくれる。その答えがある程度僕の予想していたものと同じだったので僕はにやりと笑ってしまった。
そんなつもりはなかったけどもしかすると少し不気味に見えたかもしれないと後になって後悔した。
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