第5話

平穏な日常を過ごしていた。前世の僕が望み、今世の僕が共感した通りに。


ピークはしっかりと成長した。羽がすべて生え変わり、空も飛べるようになった。

餌だって自分で確保できる。それでも彼は僕らの元を離れるつもりはないらしい。


僕のことを親だと思っている素振りはない。どちらかと言えば友人だろう。賢い子で、どれだけ元気に空を駆けていても時折寂しそうに一声鳴く。


ケヤキの森。彼の巣があった木の方向に。きっと彼は今でも本当の親が帰ってくるのを待っているんじゃないだろうか。


寂しそうに鳴くピークを見る度に僕も悲しい気持ちになった。彼のことが心配だ。でもそれだけじゃない。彼の鳴き声は僕の心の深いところによく響くのだ。


僕も両親を待っているのかもしれない。時々そう思う。自分の感情のことなのにいまいち確信が持てなくて困る。

一瞬でもそう思う時があるとすぐに別の僕が出てきて否定するのだ。「今が幸せならいいじゃないか」と。


「魔物だ」


森で薪を集めているとケヤキが言った。ドキリとして顔を上げる。しかし目の前には何もいない。この森のケヤキが植生している地帯。彼の知覚できる範囲内に魔物が入り込んだという意味らしい。


魔物とは主に凶悪な気象を持つ魔法生物のことを指すのだと生前の祖父が教えてくれた。「魔を操る者に仕えし獣」という意味らしい。

魔法生物と魔物の違いを祖父は詳しく教えてくれたがまだ幼かった僕にはよく理解できなかった。


わかったのは魔物は人を襲う存在で、その存在を感知したらすぐに逃げろということ。


森の中に魔物が入って来たことは今までに一度もない。彼らの生息地はもっと北らしい。

ケヤキは森に危険な者が来るといつも教えてくれるが、魔物の存在を告げるのは初めてだった。


いつもならケヤキは僕の身を案じてすぐに小屋に戻るように促す。迷いやすい森の特性が侵入者を惑わせるおかげで小屋にたどり着く者はいない。


しかし今日のケヤキはそうしなかった。魔物の知覚に他の侵入者を感知したからだ。


「兵士だ……女性の。ああ……そんな。大変だ」


ケヤキが狼狽える。要領を得ない説明だったがケヤキによると魔物と女性の兵士が鉢合わせたらしい。

どちらも一人きり。迷い込んだ魔物が同じく迷い込んだ兵士と出会い戦闘になったようだ。


「女性は見事に魔物を倒した。だが、彼女もまた大きな傷を負ってしまった」


ケヤキがそう言うのを聞いた瞬間には僕はすでに走り出していた。魔物が死んだということは森の中に危険はない。怪我をしたという女性の兵士が気がかりだった。


僕は平穏を好む。前世の僕がそう望んでいたし、僕自身もそうしたいと強く思っている。だから本当ならばトラブルの匂いがすることには近づかない方がいい。それもよくわかっている。


でも、すぐ近くに助けが必要な人がいたら。その存在を知ってしまったら。僕はそれが気になって平穏な生活を送れなくなってしまう。だから助けることに迷いはない。


後ろをついて来るケヤキが正確な位置を教えてくれる。その声に従って森を進むと木にもたれかかるようにして人が倒れていた。

金属の鎧を身に纏っている。兜の後ろから金色の長い髪が垂れていて、その小柄さから女性とわかる。


彼女は右手で左の脇腹を抑えている。血が滲んでいるのがわかった。

周囲に魔物の姿はない。「息の根を絶つと魔物は黒い塵となって消える」という祖父の言葉は正しかったらしい。


女性は気絶していた。魔物との戦闘で吹き飛ばされ木に頭を強く打ったようだ。倒れていたのが女性でよかったと思った。

もしも男性だったら、僕だけの力では運べなかっただろう。


彼女を担いで小屋に運ぶ。町に行くよりも小屋で治療をした方がいい。そのための薬は十分にある。


小屋に入りベッドの上に彼女を寝かせる。できる限り鎧を外す。兜を外すと金髪の長い髪がはらりと落ちた。かなり整った顔立ちの女性だ。鼻が高く、すっきりとしている。

歳は僕よりも少し上くらいだろうか。


鎧の下に着ていた肌着のようなものを捲くし上げて傷の部分を露出させる。

殺菌効果のある薬草を綺麗な水につけた液に布を浸し、その布で傷を拭った。


次に別の薬草を練って作った止血薬を彼女の傷に塗る。


「おいアレン。この子、息が荒いぞ」


作業の途中から部屋に入って来たトマトが言った。傷にしか注目していなかったが彼の言葉で彼女が熱を出していることに気付いた。


少し動揺し、気を取り直して小屋の奥に向かう。ほとんど物置となっている場所だ。詰まれた木箱の中から目当ての物を選び、蓋を開ける。


詰んだ薬草を保管しておくための箱だ。その箱の中から薬草を一枚選び手に取る。


「ねぇ、起きて。力を貸してほしいんだ」


僕がそう言うと薬草の精霊が顔を出した。薬にした薬草の精霊は一度消えてしまう。薬に加工することで「植物」という概念ではなくなるらしい。

葉っぱのまま保管した薬草たちは一時的に眠りにつき、普段はいたって静かだ。僕が呼びかけるとこうして起きてくれる。


薬草をベッドの上の女性のところまで連れていく。薬草の指示に従いながら作った薬を処方していく。

思った通り、毒だった。


魔物の攻撃に毒が含まれていたのだろう。それがどんな毒なのか、どんな症状が出ているかで使う薬が変わる。けれど僕にはそんなに細かい診断はできない。


毒に効く薬草ならば見分けられると思い精霊を呼び出したのだが、上手くいった。

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