第15話 「新月の夜襲」

夕暮れ時、神社には緊張が漂っていた。

ハヤテとリリィは神社の奥の部屋で休息を取っていた。先ほどの共鳴で相当な魔力を消費したようだ。

「飲むか?」ハヤテはリリィにお茶を差し出した。

「ありがとう」リリィは微笑みながらカップを受け取った。「少し元気が戻ってきたよ」

ハヤテは窓の外を見た。日が沈み始め、空が赤く染まっている。

「今夜が勝負だな」

リリィは不安そうに言った。「本当に私たちだけで大丈夫かな...」

「心配するな」ハヤテは冷静に答えた。「祖父も来るはずだ」

その時、部屋のドアが開き、鈴木先生が入ってきた。その背後には杖を突いた老人の姿があった。

「おじいちゃん!」ハヤテは立ち上がった。

相良守はゆっくりと頷いた。「ハヤテ、無事で何よりだ」

鈴木先生が口を開いた。「時間がない。作戦を説明するぞ」

四人は神社の地図が広げられた低いテーブルを囲んだ。

「『灼熱教団』は五つの方向から攻めてくる可能性が高い」鈴木先生は地図の五カ所を指した。「『炎の五芒星』、それぞれが一方向を担当するだろう」

「彼らの目的は明らかだ」相良守が続けた。「『月蝕の心臓』を奪い、五つの門を開くこと」

「でも、なぜ門を開こうとしているんですか?」リリィが尋ねた。

相良守と鈴木先生は顔を見合わせた。

「『大いなる存在』を復活させるためだ」相良守がゆっくりと言った。「異世界を支配する存在...かつて私たちの世界を滅ぼそうとした」

「三十年前、私たちはその存在を封印した」鈴木先生が続けた。「星乃家と相良家の力を合わせて」

リリィは息を呑んだ。「わたしの祖母も...」

「そうだ」相良守は頷いた。「彼女の魔力と私の忍術の共鳴で封印したのだ」

ハヤテとリリィは顔を見合わせた。

「だから、俺たちに共鳴の特訓をさせていたんですね」ハヤテは理解した様子で言った。

「そうだ」鈴木先生は頷いた。「お前たちは血筋的にも最も共鳴の可能性が高い。今日の昼間、学校でも感じただろう?」

二人は驚いた顔で鈴木先生を見た。

「どうして...」

「神社の結界は学校にも繋がっている」鈴木先生は説明した。「お前たちの共鳴は結界を通じて感知できたのだ」

相良守が立ち上がった。「さて、準備をしよう」

「私たちは何をすればいいですか?」リリィが尋ねた。

「お前たちは神殿の中心で待機する」鈴木先生が言った。「そして必要な時に共鳴の力を発動するのだ」

「私と鈴木先生は外で敵を迎え撃つ」相良守が言った。「できるだけ時間を稼ぐ」

ハヤテは眉を寄せた。「それでは祖父たちが危険すぎる」

「他に方法はない」相良守は厳しく言った。「お前たちの力が最も重要なのだ」

リリィがハヤテの袖を引いた。「ハヤテくん...」

彼は彼女を見て、ため息をついた。「わかった。命令通りにする」

相良守は満足そうに頷いた。「良い心がけだ」


夜が深まり、新月の闇が神社を包み込んだ。

ハヤテとリリィは神殿の中心、御神体のある部屋で待機していた。二人とも赤い石を握りしめ、何か起こった時にすぐに共鳴できるよう準備していた。

「外は静かだね」リリィがささやいた。

ハヤテは頷いた。「静かすぎる」

その時、突然外から爆発音が聞こえた。

「始まったか!」ハヤテは立ち上がった。

次の瞬間、神社全体が揺れた。

「結界が攻撃を受けている」リリィが言った。「感じるよ...魔力の波動が」

ハヤテも目を閉じ、周囲の気を感じ取った。「五つの方向から...やはり『炎の五芒星』全員が来ている」

外からは戦闘の音が聞こえてくる。相良守と鈴木先生の声も時折聞こえた。

「祖父たちは大丈夫だろうか...」ハヤテは不安を隠せなかった。

リリィは彼の手を取った。「信じよう。私たちにできることをするしかないよ」

ハヤテは彼女の手を握り返した。「ああ」

その時、神殿の扉が突然開いた。

「おや、お邪魔してもよろしいかしら?」

甘い声と共に、金髪の女性が姿を現した。琥珀焔だ。

「お前は...!」ハヤテは身構えた。

「どうして中に...?」リリィは驚きの声を上げた。

琥珀焔は軽やかに笑った。「外の騒ぎは単なる気晴らし。本命は最初から私だったのよ」

彼女は手のひらを開いた。そこには小さな黒い結晶があった。

「影潜りの結晶」ハヤテが呟いた。「結界を潜り抜ける禁術の道具...」

「よく知ってるわね」琥珀焔は感心したように言った。「相良家の伝統教育は素晴らしいわ」

「何をする気だ」ハヤテは警戒を強めた。

「明らかでしょう?」琥珀焔は御神体を見た。「『月蝕の心臓』をいただくわ」

リリィが前に出た。「させません!」

琥珀焔はクスリと笑った。「可愛いわね。でも...」

彼女が指を鳴らすと、部屋の影から黒い煙が立ち上り、数体の影法師が現れた。

「少し遊んでいてね」

影法師がハヤテとリリィに襲いかかる。二人は素早く身をかわし、反撃を開始した。

ハヤテは忍術の印を結び、「風遁・鋭刃の術!」風の刃が影法師を切り裂く。

リリィも魔法を唱えた。「光よ、我が掌に!ルミナス・フレア!」

光の弾が影法師を貫き、いくつかは消滅した。しかし、次々と新たな影法師が現れる。

琥珀焔はその隙に御神体に近づいていた。

「ダメだ!」ハヤテは彼女を止めようとしたが、影法師に行く手を阻まれる。

「リリィ!共鳴だ!」ハヤテは叫んだ。

二人は赤い石を握りしめ、互いを見つめた。しかし、戦いの最中で集中することは難しい。共鳴の光は弱々しく、すぐに消えてしまう。

「うまくいかない...!」リリィが焦りの声を上げた。

「もう遅いわよ」琥珀焔は御神体に手を伸ばした。

その時、神殿の扉が再び開き、相良守が姿を現した。

「琥珀焔!」

彼は杖を投げ捨て、素早い動きで印を結んだ。「忍法・時影の術!」

突然、神殿内の時間が遅くなったかのように、琥珀焔の動きが鈍った。

「この術は...!」琥珀焔は驚いた表情を見せた。

「ハヤテ、今だ!」相良守が叫んだ。

ハヤテは機会を逃さず、琥珀焔に向かって突進した。

しかし、彼の攻撃は琥珀焔の防御の壁に阻まれた。赤い炎の障壁が彼女の周りに現れ、ハヤテの攻撃を弾き返した。

「甘いわね」琥珀焔は微笑んだ。「時影の術も私には通用しないわ」

相良守はその場に膝をつき、苦しそうに息をした。「くっ、昔ほどの力が出せんか...」

「おじいちゃん!」ハヤテは祖父に駆け寄ろうとしたが、影法師たちが邪魔をする。

リリィも魔法で影法師と戦いながら、相良守の方を心配そうに見た。

「心配ご無用よ」琥珀焔は優雅に言った。「彼を殺すつもりはないわ。ただ、見ていてほしいの。三十年前に封印した『大いなる存在』が復活する瞬間をね」

彼女は再び御神体に手を伸ばした。御神体の周りに赤い炎が揺らめき始める。

「止めろ!」ハヤテは叫び、印を結んだ。「水遁・水龍の術!」

彼の口から水の流れが龍の形になって噴出し、琥珀焔の炎に向かった。水と火が激しくぶつかり合い、蒸気が神殿内に充満する。

その隙にリリィは相良守の元へ駆け寄った。「大丈夫ですか?」

相良守はかすれた声で言った。「私のことはいい。あの女を止めるんだ」

「でも...」

「聞け」相良守は真剣な目でリリィを見た。「共鳴に必要なのは強い感情だけではない。二人の魂の繋がりだ」

「魂の...繋がり?」

「お前の祖母と私が成功したのは、命をかけた信頼があったからだ」相良守は続けた。「お互いを守りたい、その気持ちが一つになった時...」

彼の言葉は、蒸気の向こうからの爆発音によって遮られた。

ハヤテと琥珀焔の戦いが激しさを増していた。

「もう充分よ」琥珀焔は手を大きく広げた。「炎獄の舞い!」

渦巻く赤い炎がハヤテを襲い、彼は壁に叩きつけられた。

「ハヤテくん!」リリィは叫んだ。

ハヤテはうめき声を上げながらも、立ち上がろうとする。しかし、琥珀焔の次の攻撃が彼に襲いかかった。

「焔風・紅蓮!」

巨大な炎の渦がハヤテを包み込んだ。

「やめて!」リリィは叫び、魔法を唱えようとしたが、影法師がリリィを捕らえ、動きを封じた。

煙が晴れると、ハヤテは床に倒れていた。服は焦げ、複数の火傷を負っている。

「ハヤテくん...」リリィの青い瞳に涙が溢れた。

琥珀焔は満足そうに微笑み、再び御神体に近づいた。

「では、いただくわ」彼女は御神体に手を触れた。

神殿内に強い光が広がり、御神体が輝き始めた。

「これが『月蝕の心臓』...」琥珀焔は恍惚とした表情で言った。「これさえあれば、『大いなる存在』の復活は約束されたも同然...」

リリィは影法師の拘束から逃れようと必死に力を入れる。「離して...離してよ!」

その時、床に倒れていたハヤテがかすかに動いた。

「リ...リィ...」

かすれた声が彼女の耳に届いた。

「ハヤテくん!」

ハヤテは苦しそうに体を起こそうとした。「共鳴...しよう...」

リリィは涙を流しながら頷いた。「うん...でも、どうやって...」

「気持ちを...一つに...」ハヤテは赤い石を握りしめていた。リリィも自分の石を強く握った。

琥珀焔は振り返り、二人を見下ろした。「まだ諦めないの?感心するわ。でも、もう遅いわよ」

彼女は御神体をゆっくりと持ち上げた。その瞬間、神殿全体が揺れ始めた。

「月蝕の門が開き始めている...」相良守が弱々しく言った。

リリィはハヤテを見つめた。彼の黒い瞳に決意の色が宿っている。

「ハヤテくん...わたし...」

「俺も」ハヤテは答えた。「お前を守る。必ず」

二人の石が同時に輝き始めた。

「何...?」琥珀焔が驚いた表情を見せた。

赤い光が二人を包み込み、影法師の拘束が解けた。リリィは立ち上がり、ハヤテに近づいた。

「共に...」リリィが言った。

「共に」ハヤテも答え、彼女の手を取った。

二人が手を握り合った瞬間、赤い光が爆発的に広がった。その光は神殿全体を覆い、琥珀焔も巻き込んだ。

「なんてことを...!」琥珀焔は御神体を抱えたまま、光の力に押されて後退した。

「返して」ハヤテとリリィが同時に言った。二人の声が一つになって響く。「『月蝕の心臓』を返せ!」

光の中から、二人の姿が浮かび上がった。ハヤテの体の傷は光に包まれ、癒えていく。リリィの金色の髪は風もないのに舞い上がり、青い瞳は星のように輝いていた。

「これが...本当の共鳴...」相良守は感嘆の声を上げた。

琥珀焔は歯を食いしばった。「こんな子供たちに...!」

彼女は御神体を抱えたまま、赤い炎を二人に向けて放った。しかし、炎は共鳴の光の前に消え去った。

「消えない?!」琥珀焔は焦りを見せ始めた。

ハヤテとリリィは静かに前進した。二人の周りに渦巻く光は、まるで生命を持つかのように動き、琥珀焔を追い詰めていく。

「大いなる門が開かれる...『大いなる存在』は復活する...」琥珀焔は狂信的な笑みを浮かべた。「あなたたちに何ができるというの?」

「守る」ハヤテが言った。

「この世界を」リリィが続けた。

「共に」二人が同時に言った。

彼らの共鳴の光が一点に集中し、眩い光の矢となって琥珀焔に向かって放たれた。

琥珀焔は最後の抵抗として赤い炎の壁を作ったが、光の矢はそれを突き破り、彼女の胸を貫いた。

「あ...」彼女の目が大きく見開かれた。「まさか...子供たちに...」

御神体が彼女の手から滑り落ちた。ハヤテが素早く動いてそれをキャッチした。

琥珀焔の体が炎に包まれ始めた。しかし、それは彼女自身の炎だった。自らを焼き尽くそうとしている。

「この程度で...終わりだと...思わないでね」彼女は苦しそうに笑った。「『炎の五芒星』は...まだ四人...残っている...」

彼女の体が完全に炎に包まれ、そして灰となって消え去った。

神殿内が静かになった。共鳴の光も徐々に弱まり、やがて消えた。

ハヤテとリリィは互いを支え合いながら、御神体を元の場所に戻した。

「成功したのね...」リリィは疲れた声で言った。

ハヤテは頷いた。「ああ、今のところは...」

相良守がゆっくりと二人に近づいてきた。「よくやった、二人とも」

神殿の扉が開き、鈴木先生が入ってきた。彼の服は所々破れており、戦いの痕跡が見られた。

「外の敵は撤退した」鈴木先生は報告した。「琥珀焔の気配が消えたのを感じたのだろう」

「先生は無事だったんですね」リリィは安堵の表情を見せた。

鈴木先生は小さく微笑んだ。「何とかな。しかし...」彼の表情が真剣になった。「これは始まりに過ぎない」

ハヤテは御神体を見つめながら言った。「次は、『炎の五芒星』の残りの四人が来るんですね」

「そうだろうな」相良守が頷いた。「そして、彼らはより強力な手段で攻めてくるだろう」

「私たちに勝てるの?」リリィが不安そうに尋ねた。

相良守は二人を見つめ、静かに言った。「今日の共鳴を見れば、可能性はあるだろう。だが...」

「もっと強くならなければ」ハヤテが言葉を継いだ。

鈴木先生は窓の外を見た。「夜が明けてきている。今日は学校を休むよう手配しておこう。二人とも休息が必要だ」

「いいえ」リリィが首を振った。「学校に行きます。普段通りに過ごした方が不審に思われないでしょう」

ハヤテも頷いた。「そうだな。それに...」彼はリリィを見た。「もっと共鳴の練習をしたい。昼休みや放課後に」

鈴木先生は二人の決意を見て、少し驚いたように見えたが、すぐに微笑んだ。「分かった。だが、無理はするなよ」

相良守も満足そうに頷いた。「成長したな、ハヤテ」

神社を出る時、朝日が鳥居を照らし始めていた。

ハヤテとリリィは並んで歩きながら、新たな決意を胸に刻んだ。昨夜の戦いは、彼らにとって本当の始まりに過ぎなかった。

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