第11話 「守護者たちの絆」
霧島家の隠れ家に戻ると、守とエリザベスが心配そうに待っていた。
「無事だったか!」守が駆け寄り、ハヤテの肩をつかんだ。
「ええ、みんな無事よ」エリザベスはリリィを抱きしめた。「でも、あなた疲れているわね」
リリィは弱々しく微笑み、「少し力を使いすぎちゃった…」と答えた。
全員が広間に集まり、学校での出来事を詳しく報告した。守とエリザベスは真剣な表情で聞き入った。
「『炎の心臓』を使ったか…」守は眉をひそめた。「予想以上に事態は進行している」
「しかし、リリィの『星の涙』の力が彼らを撤退させたのは興味深いな」エリザベスは考え込むように言った。
「あれは…」リリィは少し頬を赤らめた。「『血の誓約』の力も関係していたと思う…ハヤテくんの力を感じたの」
ハヤテも頷いた。「俺も感じた。まるで力が一つに繋がったような…」
守とエリザベスは意味深な視線を交わした。
「『血の誓約』の力が成長しているようだな」守が静かに言った。「だが、まだ完全に覚醒してはいない」
「どういうことですか?」ハヤテが尋ねた。
エリザベスが説明した。「『血の誓約』の真の力は、二人の魂が完全に共鳴したときに現れるの。あなたたちはまだその途上にある」
「共鳴…」リリィは自分の右手首の印を見つめた。
この時、拓海のパソコンから通知音が鳴った。「北海道からの連絡です」
彼は画面を開き、メールを読み上げた。「『極光の門』に異変あり。『氷雪の一族』の長、雪村 凛からの緊急連絡。『灼熱教団』の動きを確認。支援要請あり」
「北海道か…」守は思案した。「『極光の門』も狙われているようだな」
「行くべきでしょうか?」ユズキが尋ねた。
守は深く考え込んでから、「分担して行動するしかない」と決断を下した。「私とエリザベスは東京に残り、『月蝕の門』の封印強化の準備をする。ハヤテとリリィは、体力が回復次第、北海道の『氷雪の一族』を支援してほしい」
「わかりました」ハヤテはしっかりと頷いた。「でも、リリィの回復が先決です」
「私は東北の風間家本家と連絡を取ります」ユズキが言った。「『霧氷の門』の状況も確認しなければ」
「私たちは九州の『火山の踊り手』と連絡を取ってみます」真琴が提案した。「彼らとは昔から交流があるので」
全員が了承し、それぞれの任務に取り掛かった。リリィは疲れ果てていたので、別室で休むことになった。ハヤテが彼女を部屋まで送った。
「ゆっくり休んで」ハヤテは優しく言った。「明日から北海道に向かうから」
「うん…」リリィは彼の手を握った。「ハヤテくん、ありがとう」
彼女の青い瞳には、感謝と何か言葉にできない感情が混ざっていた。ハヤテは少し戸惑いながらも、その手を優しく握り返した。
「礼を言うのはこっちのほうだ。あなたの力がなければ、今日は皆やられていたかもしれない」
リリィは微笑み、そっと部屋に入っていった。ハヤテは障子が閉まるのを見届けてから、自分の部屋へ向かった。彼の心には決意と、リリィへの気持ちが複雑に絡み合っていた。
翌朝、霧島家の隠れ家は早くから活気づいていた。朝日が障子を通して柔らかな光を投げかける中、全員が朝食を取りながら最終的な打ち合わせをしていた。
「北海道への交通手段は確保したぞ」
守は孫に言った。彼は朝から忙しく電話をかけ続けていた。
「雪村家の私用ヘリが東京まで迎えに来る。午後には北海道に着くはずだ」
「ヘリですか?」
ハヤテは驚いた様子で尋ねた。
「雪村家は北海道で相当な影響力を持っているんだ」
守は説明した。
「表向きは自然保護団体と観光業を営んでいるが、実際は何世代にもわたって『極光の門』を守ってきた名門だ。彼らの力は馬鹿にできない」
「『氷雪の一族』…」
リリィは興味深そうに呟いた。彼女は一晩の休息でかなり回復しており、頬にも色が戻っていた。
「彼らの魔法は氷と雪に特化していると聞いたことがあるわ。祖母から教わったけど、私たちの星の魔法とは起源が違うらしいの」
「そうだ」
エリザベスが頷いた。彼女は朝食の紅茶を優雅に一口飲んでから続けた。
「彼らの力は自然の力と直接結びついている。特に雪村凛は『霧氷の舞』という古い技を極めた方よ。会えば、きっと多くを学べるでしょう」
「ユズキさんは?」
ハヤテは風間ユズキの方を見た。彼女は既に荷物をまとめ、出発の準備を整えていた。
「私は昼過ぎに東北へ向かいます」
彼女は静かに答えた。
「風間家本家から、不吉な予感があるという連絡が来ています。『霧氷の門』にも何か起きているかもしれません」
「真琴さんと拓海さんは?」
「我々は今日中に九州入りします」
拓海が答えた。彼はノートパソコンに向かい、複数の地図を開いていた。
「『火山の踊り手』のリーダー、火神 燈との連絡が取れました。九州でも異変が起きているようです」
「全ての門が…」
守は重々しく言った。彼の顔には深い憂いが浮かんでいた。
「『灼熱教団』の目的は明らかだ。五つの門全てを開き、異世界との融合を引き起こそうとしている」
「でも、なぜ?」
リリィが尋ねた。彼女の純粋な疑問に、部屋が一瞬静まり返った。
「それは…」
エリザベスが言いかけたが、言葉を選ぶように躊躇した。
「彼らは『新たな世界の創造』を信じているのよ。異世界との融合によって、現実世界を彼らの理想に作り変えようとしている」
「狂気だな」
ハヤテが低い声で言った。
「多くの命が失われることになる」
「だからこそ、我々が止めなければならない」
守は立ち上がり、窓の外を見た。空は晴れ渡り、穏やかな一日になりそうだった。しかし、彼らの心は嵐の前の静けさを感じていた。
「満月まであと13日。それまでに、五つの門の封印を強化し、『灼熱教団』の計画を阻止しなければならない」
全員が黙って頷いた。朝食後、それぞれが最終準備に取り掛かった。
昼過ぎ、霧島家の裏庭に大型のヘリコプターが着陸した。雪村家の紋章である雪の結晶が側面に描かれていた。
「行ってくる」
ハヤテは祖父と握手を交わした。守は孫の手をしっかりと握り、その目をまっすぐに見つめた。
「気をつけろ。雪村凛は厳しい人物だが、信頼できる同志だ。彼女の指示に従い、『極光の門』を守るんだ」
「わかってる」
ハヤテは頷いた。彼は既に忍装束に身を包み、背中には特殊な短刀を携えていた。
リリィはエリザベスと抱き合い、別れを告げた。
「リリィ、あなたの力はまだ発展途上よ」
エリザベスは孫娘の頬に手を添えた。
「北の地で、新たな力に出会うかもしれない。心を開いて、学びなさい」
「はい、おばあちゃん」
リリィは微笑み、頷いた。彼女は淡い青のドレスに星の模様が施された外套を羽織り、金色の髪を一つにまとめていた。その腰には、魔力を増幅させる水晶のペンダントが下がっていた。
ユズキとも別れの挨拶を交わした後、二人はヘリコプターに乗り込んだ。プロペラの風が周囲の木々を激しく揺らす中、機体はゆっくりと上昇し始めた。
ハヤテとリリィは窓から見下ろし、地上で手を振る仲間たちに別れを告げた。ヘリコプターが高度を上げるにつれ、東京の街並みが広がり、やがて彼らは北へと向かっていった。
「北海道か…」
ハヤテは雲の切れ間から見える海を眺めながら呟いた。
「行ったことある?」
リリィが隣から尋ねた。エンジン音が大きく、彼女は少し声を張り上げていた。
「いや、初めてだ」
ハヤテは首を振った。
「祖父から話は聞いているが…」
「私も初めて!」
リリィは少し興奮した様子で言った。彼女の目は好奇心で輝いていた。
「『極光の門』がどんなものか、見てみたいわ。『月蝕の門』とは違うのかしら」
「きっと違うだろうな」
ハヤテは考え込むように答えた。
「門は、その土地の特性を反映すると聞いている。『月蝕の門』が東京の喧騒と複雑さを映し出すなら、『極光の門』は北の地の厳しさと美しさを持っているはずだ」
機内は再び静かになった。二人はそれぞれの思いに耽りながら、北への旅を続けた。窓の外では、景色が徐々に変わり、大都市の喧騒から緑豊かな山々へ、そして次第に雪化粧した大地へと変わっていった。
一方、東北への列車の中で、風間ユズキは車窓に映る自分の姿を見つめていた。彼女の心には不安が渦巻いていた。前夜、彼女は奇妙な夢を見た。『霧氷の門』が割れ、そこから黒い煙が噴き出す夢だった。
彼女は小さなメモ帳を取り出し、その夢の詳細を記録した。霊媒師として、彼女は自分の直感と予知夢を大切にしていた。
「何か大きなことが起きる…」
彼女は呟き、心の準備を整えた。
九州へ向かう新幹線の中で、霧島兄妹は会話を交わしていた。
「教団の真の目的は何だと思う?」
真琴が兄に尋ねた。彼女は水の入ったペットボトルを手に持ち、その水を指先で操り、小さな渦を作っていた。
「世界の支配か、破壊か…」
拓海は考え込みながら答えた。
「しかし、それだけではないような気がする。彼らには何か、我々が知らない目的があるはずだ」
「火神さんなら何か知っているかな」
「かもしれない。『火山の踊り手』は古い歴史を持つ。彼らの伝承には、我々が知らない真実が隠されているかもしれない」
兄妹は窓の外を流れる景色を見つめた。彼らもまた、これから直面する試練に向けて心を固めていた。
東京では、守とエリザベスが『月蝕の門』の封印を強化する儀式の準備を始めていた。彼らは霧島家の隠れ家の地下室で、古い巻物や魔法の道具を並べていた。
「三十年前と同じだね」
守は壁に掛けられた月の地図を見上げながら言った。
「いいえ、今回は違うわ」
エリザベスは首を振った。彼女の青い瞳には決意が宿っていた。
「前回は私たちだけだった。今は次世代が立ち上がっている。ハヤテとリリィ、そして彼らの仲間たち…」
「そうだな」
守は微笑んだ。それは誇りと期待に満ちた笑顔だった。
「彼らなら、きっとやり遂げるだろう」
二人はろうそくに火を灯し、儀式の準備を続けた。部屋には神聖な雰囲気が満ち、彼らの決意は固く結ばれていた。
空の高みから見下ろす北海道の大地は、雪に覆われ、壮大な白銀の世界が広がっていた。ハヤテとリリィを乗せたヘリコプターは、大雪山系の山々の間を縫うように飛行し、やがて険しい山の中腹にある平らな場所へと降下し始めた。
「あれが雪村家の屋敷です」
パイロットが振り返り、前方を指し示した。
そこには、雪に囲まれた広大な日本家屋が姿を現していた。古い神社のような正門から始まり、いくつもの建物が雪原の中に点在していた。周囲には巨大な針葉樹の森が広がり、その向こうには山々が連なっていた。
ヘリコプターが着陸すると、正門から数人の人影が現れた。先頭に立つのは、長い白銀の髪をなびかせた凛とした女性だった。その姿には威厳があり、周囲の雪さえも従わせているかのようだった。
「雪村 凛だ」
ハヤテはその人物を認識し、リリィに告げた。
「『氷雪の一族』の当主…」
二人はヘリコプターから降り、雪を踏みしめながら出迎えの一行へと向かった。北国の冷たい風が頬を撫で、息が白く凍りついた。
ハヤテとリリィは雪村 凛の前に立ち、深々と頭を下げた。
「相良 ハヤテ、星乃 リリィです。『月蝕の門』の守護者として参りました」
凛は二人をじっと見つめ、その目は氷のように透明で冷たかった。しかし、わずかに柔らかさも秘めていた。
「よく来てくれた」
彼女の声は予想外に温かく、安心感を与えるものだった。
「『氷雪の一族』を代表して歓迎する。さあ、中へ入りなさい。話すことは山ほどある」
凛は二人を促し、雪の中の細い道を通って屋敷へと向かった。道の両側には、青く光る氷の灯籠が立ち並び、彼らの行く手を導いていた。
ハヤテとリリィは互いに視線を交わし、新たな出会いと冒険への期待を胸に、雪村家の屋敷へと足を踏み入れた。彼らの任務は、ここから本格的に始まるのだった。
北国の空には、早くも夕暮れの色が広がり、遠くの山々の向こうには神秘的な光が揺らめき始めていた。それは『極光の門』の存在を示すかのように、静かに、しかし確かに輝いていた。
雪村家の屋敷内部は、外観の厳かさとは対照的に、温かな雰囲気に包まれていた。廊下には暖かい光を放つ灯りが並び、床下からは心地よい暖気が立ち上っていた。壁には『氷雪の一族』の歴史を描いた絵巻や、北国の風景を描いた絵画が飾られていた。
凛は二人を広間へと案内した。そこには大きな囲炉裏があり、青白い炎が静かに燃えていた。その炎は通常の火とは異なり、氷の結晶のような輝きを放っていた。
「さあ、座りなさい」
凛は二人に囲炉裏の傍らの座布団を指し示した。ハヤテとリリィが座ると、若い女性が現れ、湯気の立つ茶と北海道の和菓子を運んできた。
「まずは体を温めなさい。東京から来るのは大変だったでしょう」
凛の声には思いやりがあった。彼女自身も囲炉裏の向かい側に座り、二人を観察するように見つめた。凛は六十代半ばの女性だったが、その姿からは若々しさと強さが感じられた。白銀の髪は長く、背中まで流れ、淡い青色の着物は氷の女王を思わせる気品を放っていた。
「相良守の孫と、エリザベス・星乃の孫娘…」
彼女は二人を見比べるように言った。
「二人とも、祖父母に似ている。特にあなた、相良のお孫さんは、若かりし頃の守の姿そのものね」
「祖父からは、雪村さんとは三十年前から面識があると聞いています」
ハヤテは恭しく答えた。
「ええ、あの時も五つの門が揺らいだ時だった」
凛は懐かしむように目を細めた。
「私たちは若く、そして無謀だったわ。だけど、力を合わせて危機を乗り越えた。今回も同じようにね」
「今回の状況を教えていただけますか?」
リリィが丁寧に尋ねた。彼女は温かい茶を一口飲み、身体の芯から暖まるのを感じていた。
凛は深く息を吐き、囲炉裏の青い炎を見つめた。その目には憂いと決意が混在していた。
「三日前、『極光の門』に異変が起きたの」
彼女は静かに語り始めた。
「私たちの結界に何者かが侵入を試みた。最初は山の異変か、自然現象かと思ったわ。でも…」
凛は立ち上がり、部屋の隅にある小さな祠に歩み寄った。そこには、水晶のような透明な石が祀られていた。それは「極光の心臓」だった。彼女がその近くに立つと、石は淡く光を放った。
「昨夜、『極光の心臓』が反応したの。そして、これを見たわ」
彼女は手を翳すと、祠の上方に幻影のような映像が浮かび上がった。それは山の中腹にある氷の洞窟の入り口だった。そこに五人の人影が立ち、赤い光を放っていた。
「『炎の五芒星』…」
ハヤテは低い声で言った。
「そうよ」
凛は頷いた。
「彼らは『灼熱教団』の中心人物たち。東京でも現れたと聞いているわ」
「はい」
リリィが答えた。
「学校で彼らと戦いました。『炎の心臓』を使って、門を開こうとしていました」
「ここでも同じことをしようとしているのね」
凛は祠に戻り、「極光の心臓」に触れた。
「この結晶は、『極光の門』の封印を維持する力を持っている。でも同時に、門を開くための鍵にもなり得る。だから、私たち『氷雪の一族』はこれを代々守ってきたの」
「教団は結晶を狙っているんですね」
ハヤテが確認するように言った。
「ええ。そして彼らには新たな手段があるようだわ」
凛は再び囲炉裏の側に座り、続けた。
「昨夜の侵入者たちは、普通の結界を簡単に突破した。私たちの氷の防壁さえ、まるで溶かすかのように通り抜けてきた」
「彼らの炎の力が強くなっているのでしょうか?」
リリィが心配そうに尋ねた。
「それだけではないと思う」
凛は頭を振った。
「彼らは何か…古い力を手に入れたようだ。歴史書にも記されていない力を」
部屋は一瞬静まり返った。囲炉裏の炎だけが、静かに揺らめいていた。
「その力について、何かわかることはありますか?」
ハヤテが尋ねた。
「断片的にね」
凛は立ち上がり、壁に掛けられた古い巻物の前に立った。
「我々の祖先の記録によれば、五つの門が同時に開かれたことは一度だけあったらしい。千年以上前のことよ」
彼女は巻物をそっと開き、古い文字が書かれた紙面を示した。
「その時、世界は一度崩壊の危機に瀕した。しかし、五つの『心臓』の力を持つ守護者たちが団結し、門を閉じることに成功した」
「どうやって?」
リリィは好奇心に満ちた目で尋ねた。
「それが…記録は不完全なの」
凛は悔しそうに言った。
「ただ、『血の誓約』という言葉が何度も出てくる。二つの力が一つになる絆…」
その言葉に、ハヤテとリリィは無意識に自分たちの手首を見つめた。『血の誓約』の印は、かすかに光を放っていた。
「あなたたち…」
凛は二人の手首を見て、驚きの表情を浮かべた。
「『血の誓約』を結んでいるの?」
「はい」
ハヤテが答えた。
「一ヶ月ほど前、『月蝕の門』の封印を強化する儀式の最中に、このような印が現れました」
「そうだったのか…」
凛は深い理解を示すように頷いた。
「それで守とエリザベスがあなたたちを送ってきたのね。『血の誓約』の力が、『極光の門』の防衛に必要だと」
彼女は二人の前に膝をつき、その手首の印をよく見た。
「素晴らしい…本物の『血の誓約』よ。何世代も見られなかった神聖な絆だわ」
「どういう意味ですか?」
リリィが戸惑いながら尋ねた。
「『血の誓約』は単なる印ではない」
凛は畏敬の念を込めて言った。
「それは二つの魂が共鳴し、互いの力を高め合う絆。忍と魔法使い、月と星…相反する力が一つになることで生まれる究極の力よ」
ハヤテとリリィは驚きの表情を交わした。彼らは自分たちの絆の本当の意味を、今初めて理解し始めていた。
「その力を使えば、『極光の門』を守れるかもしれない」
凛は立ち上がり、二人を見下ろした。
「でも、まだ誓約は完全ではないようね。力を完全に引き出すには、魂の共鳴が必要だわ」
「どうすれば…」
ハヤテが尋ねかけたとき、突然、屋敷全体が大きく揺れた。窓の外から、青白い光が閃いた。
「来たわ!」
凛は窓に駆け寄り、外を見た。遠くの山の中腹が赤く光り、その光は次第に広がっていた。
「彼らが動き始めた。『極光の門』を開こうとしている!」
凛は素早く行動し始めた。彼女は壁に掛けられた古い錫杖を手に取り、氷の鈴を鳴らした。澄んだ音色が屋敷中に響き渡った。
すぐに、数人の『氷雪の一族』の成員が部屋に駆け込んできた。彼らは皆、青白い装束を身にまとい、厳しい表情をしていた。
「準備を!」
凛は命じた。
「『炎の五芒星』が『極光の門』に向かっている。全員、防衛態勢に入りなさい」
成員たちは素早く頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。
「あなたたちも来なさい」
凛はハヤテとリリィに言った。
「『極光の門』を守るために、あなたたちの力が必要だわ」
二人は躊躇なく立ち上がり、凛に従った。彼らは急いで武装し、屋敷の裏手にある小さな神社へと向かった。そこからは、山への秘密の通路があるという。
外に出ると、夕暮れの空は既に暗く染まり、遠くの山々の間には奇妙な光が揺らめいていた。それはオーロラのような美しさと、不気味さを併せ持っていた。
「あれが『極光の門』の兆候」
凛は山を指差した。
「門そのものは、山の中腹にある古代の洞窟の奥にある。そこに『極光の心臓』のエネルギーが集まり、異世界への通路となるの」
彼らは神社の奥にある石の祭壇に近づいた。凛が錫杖で祭壇を叩くと、地面が揺れ、石段が現れた。それは地下深く続いているようだった。
「この通路を通れば、山の中腹に出る」
凛は説明した。
「途中で私の族人たちと合流して、門を守りましょう」
ハヤテとリリィは頷き、凛の後に続いて階段を降り始めた。通路は意外に広く、壁には古い壁画が描かれていた。それは『極光の門』の歴史と、『氷雪の一族』の守護の様子を描いたものだった。
「準備はいい?」
通路を進みながら、凛が二人に尋ねた。
「はい」
ハヤテは答えた。彼は既に忍の装束を整え、特殊な短刀を手に握っていた。
「私も大丈夫です」
リリィも頷いた。彼女は星のペンダントを胸に当て、魔力を集中させていた。
「良い」
凛は満足げに言った。
「これから先は険しい戦いになるかもしれない。だが、あなたたちの『血の誓約』の力があれば、きっと勝てる」
三人は決意を胸に、『極光の門』へと続く道を進んでいった。通路の先には、青白い光が見え始めていた。それは彼らを待ち受ける運命の場所へと導くかのようだった。
一方、東北では、風間ユズキが風間家本家に到着していた。本家は深い森の中にあり、霧に包まれた古い屋敷だった。彼女が玄関に立つと、年老いた管理人が出迎えた。
「お帰りなさい、ユズキ様」
彼は深々と頭を下げた。
「長老たちがお待ちです」
ユズキは静かに頷き、屋敷の奥へと進んだ。長い廊下を抜け、彼女は大広間に入った。そこには風間家の長老たち五人が、円を描くように座っていた。中央には、霧のようにもやもやと光る球体が浮かんでいた。
「ユズキ、よく来てくれた」
最年長の老人が言った。彼は風間 霧彦、ユズキの祖父だった。
「『霧氷の門』に異変が起きている。昨夜から、門の封印が弱まり始めた」
「私も感じていました」
ユズキは円の中に入り、霧の球体に手を伸ばした。球体は彼女の手に反応し、形を変えた。そこに映し出されたのは、山奥の霧に包まれた鳥居だった。
「『霧氷の門』…」
ユズキは呟いた。彼女の心には不吉な予感が強まっていた。
九州では、霧島兄妹が『火山の踊り手』の里に到着していた。火山の麓にある小さな集落で、赤い鳥居が何本も立ち並ぶ独特の景観を持つ場所だった。
「霧島真琴、拓海、よく来てくれた」
彼らを出迎えたのは、炎のような赤い髪を持つ若い女性、火神 燈だった。彼女は『火山の踊り手』の新しいリーダーで、強い意志と優れた能力を持っていた。
「状況は?」
拓海が直接尋ねた。
「良くない」
燈は顔を曇らせた。
「『噴火の門』の近くで、『灼熱教団』の動きが確認された。彼らは何かの儀式の準備をしているようだ」
「やはり…」
真琴は心配そうに言った。
「私たちを案内してくれないか。できるだけ早く状況を把握したい」
「もちろん」
燈は頷き、二人を火山への道へと導いた。夕暮れの空には、不吉な赤い雲が広がっていた。
東京の霧島家隠れ家の地下室では、守とエリザベスが複雑な魔法陣を描き終えていた。部屋の中央には「月蝕の心臓」が置かれ、かすかに光を放っていた。
「準備は整った」
守は言った。彼は忍の儀式用の装束を身につけ、古い巻物を手に持っていた。
「あとは満月を待つだけだ」
「いいえ、まだよ」
エリザベスは首を振った。彼女は星の模様が散りばめられた青いドレスを着ていた。
「『血の誓約』の力が完全に目覚めないと、五つの門を同時に封印することはできない」
「ハヤテとリリィは大丈夫だろうか…」
守は心配そうに呟いた。
「彼らを信じましょう」
エリザベスは優しく微笑んだ。
「二人は強い。そして、彼らの間には特別な絆がある。きっと成し遂げるわ」
守は頷き、「月蝕の心臓」を見つめた。それは月明かりのように柔らかく輝いていた。
北海道の山中、『極光の門』への通路を進むハヤテ、リリィ、凛の三人は、突然の振動に立ち止まった。
「何か来る」
ハヤテは素早く構えた。彼の鋭い感覚が危険を察知していた。
通路の先から、赤い光が見え始めた。それは次第に強くなり、やがて人影が現れた。
「『灼熱教団』の『炎の五芒星』か…」
凛は低い声で言った。彼女は錫杖を構え、氷の力を集中させ始めた。周囲の空気が急速に冷えていくのを感じた。
影から現れたのは、金髪の美しい女性だった。彼女の周りには炎のオーラが揺らめいていた。
「『氷雪の一族』の長、雪村 凛」
女性は冷たく言った。
「そして『月蝕の門』の守護者たちも一緒とは…予想外だったわ」
「琥珀 焔…」
凛は相手の名を口にした。
「あなたたちの目的はわかっている。『極光の門』を開くことは許さない」
焔は薄く笑った。その微笑みには残酷さと狂気が混ざっていた。
「もう遅いわ」
彼女は右手を上げた。その手のひらには小さな赤い結晶が光っていた。
「見て。これが『極光の心臓』のかけら。先ほど、あなたの族人から頂いたわ」
「何!?」
凛の表情が変わった。怒りと恐怖が交錯していた。
「酷いことをしないでよ…みんな無事なの?」
「心配しないで」
焔は余裕の表情で言った。
「彼らは生きているわ。ただ、少し…冷たくなっただけ」
彼女の冷酷な言葉に、凛の怒りが爆発した。彼女は錫杖を振り上げ、氷の刃を呼び起こした。
「許さない!」
氷の刃が焔に向かって飛んでいったが、彼女は軽く手を振るだけで、それを炎で溶かした。
「無駄よ」
焔は冷静に言った。
「私たちの力は、もはやあなたたちの比ではない。『炎の心臓』を手に入れてから、私たちは進化したの」
彼女の背後から、さらに四つの影が現れた。『炎の五芒星』の残りのメンバーだった。
灰塚 燃、紅園 灯、黒炎 滅、火野 煌。
彼らは全員が赤い装束を身につけ、炎のようなオーラを放っていた。
「五対三か…」
ハヤテは状況を冷静に分析した。
「不利だな」
「でも、諦めない」
リリィが前に出た。彼女の青い瞳には決意が輝いていた。
「私たちには『血の誓約』の力がある。それに…」
彼女は凛を見た。
「雪村さんの氷の力も」
「そうね」
凛は頷き、再び構えた。
「『氷雪の一族』は千年以上、この門を守ってきた。簡単に明け渡すわけにはいかない」
三人は並んで立ち、『炎の五芒星』と対峙した。通路の中で、氷と炎の力がぶつかり合い、緊張が高まっていた。
「始めましょうか」
焔が言った。彼女の周りの炎が一段と強くなった。
「『極光の門』は、今夜開かれる!」
彼女の宣言とともに、五人が一斉に攻撃を仕掛けてきた。通路は一瞬にして戦場と化した。氷と炎が激しくぶつかり合い、閃光と爆発音が洞窟内に響き渡った。
三人は必死に抵抗したが、『炎の五芒星』の力は予想以上に強かった。特に焔の炎は凛の氷をも簡単に溶かし、彼らを徐々に追い詰めていった。
「このままでは…!」
苦戦する中、ハヤテはリリィを見た。彼らの手首の印が、かすかに光を放っている。
「リリィ、『血の誓約』の力…一緒に」
彼は右手を差し出した。リリィはすぐに理解し、彼の手を取った。二人の手が触れ合った瞬間、強い光が放たれた。
「なっ…!?」
焔は目を細め、その光から顔を守るように手を挙げた。
ハヤテとリリィの周りには、月と星の光が混ざり合うようなオーラが現れた。それは彼らを包み込み、新たな力を与えているようだった。
「これが…『血の誓約』の力…」
凛は驚きの表情で二人を見つめた。
光の中で、ハヤテとリリィの姿が変わっていく。ハヤテの忍装束には星の模様が浮かび上がり、リリィのドレスには月の紋章が現れた。二人の目は神秘的な光を放っていた。
「行くぞ、リリィ!」
ハヤテの声は力強く、決意に満ちていた。
「うん、一緒に!」
リリィも力強く応えた。
二人は手を繋いだまま、『炎の五芒星』に向かって歩き始めた。彼らの一歩一歩が、地面に星と月の紋様を残していった。
「あの力は…」
焔は初めて動揺を見せた。
「みんな、全力で止めて!」
彼女の命令で、五人は最強の炎の技を放った。赤い炎の渦が、ハヤテとリリィを飲み込もうとした。
しかし、二人を包む光のオーラは、炎を弾き返した。それどころか、光は次第に炎を押し返し、『炎の五芒星』を追い詰めていった。
「こんなことが…」
焔は信じられないという表情で後退した。
「撤退する!目的は達成した。今は引くわ!」
彼女の命令で、五人は急いで通路の奥へと逃げていった。彼らの姿は、闇の中に消えていった。
光が収まると、ハヤテとリリィは元の姿に戻った。二人とも疲れ切っていたが、目には勝利の喜びが宿っていた。
「やりましたね、ハヤテくん」
リリィは微笑んだ。
「ああ、一緒にな」
ハヤテも笑顔で応えた。
しかし、凛の表情は晴れなかった。
「彼らは『極光の心臓』のかけらを手に入れた」
彼女は重々しく言った。
「『目的は達成した』と言っていたわ。つまり…」
「彼らは最初から、心臓のかけらだけを狙っていたのか」
ハヤテは理解した。
「はい」
凛は頷いた。
「彼らは五つの門の『心臓』のかけらを集めようとしている。それらを使って、何か大きな儀式を行うつもりなのよ」
「東京の『月蝕の心臓』も…」
リリィが心配そうに言った。
「祖父母に連絡を取らなければ」
「そうね」
凛は急いで言った。
「すぐに屋敷に戻りましょう。連絡を取って、他の門の状況も確認する必要があるわ」
三人は急いで来た道を引き返し始めた。戦いには勝ったが、『灼熱教団』の真の目的を知った今、彼らの心にはより大きな不安が広がっていた。
雪村家の屋敷に戻る途中、凛は空を見上げた。そこには、不吉なまでに美しいオーロラが広がっていた。
「『極光の門』が揺れている…」
彼女は呟いた。
「もう、時間がないわ」
東北の風間家本家では、風間ユズキが長老たちと緊急会議を開いていた。彼らの前に置かれた霧の球体が、突然激しく揺れ始めた。
「これは…!」
霧彦が立ち上がった。
「『霧氷の門』が反応している!」
球体の中に、赤い炎の姿が映し出された。それは確かに『灼熱教団』のメンバーだった。
「彼らが既に来ている…」
ユズキは顔色を変えた。
「急いで門へ向かわないと」
九州の火山の麓では、霧島兄妹と火神 燈が山道を急いでいた。突然、地面が大きく揺れ、火山から黒い煙が上がり始めた。
「不味い!」
燈は顔色を変えた。
「『噴火の門』が反応している。誰かが門に近づいている!」
「『灼熱教団』か」
拓海は素早く状況を判断した。
「急ごう!」
三人は山道を駆け上がった。遠くからは、不気味な赤い光が見えていた。
東京の霧島家隠れ家では、守とエリザベスが「月蝕の心臓」の異変に気づいた。結晶が突然強く輝き、部屋中に月明かりのような光を放った。
「これは…警告だ」
守は緊張した表情で言った。
「『月蝕の門』も狙われている」
「全ての門が危険に晒されているのね」
エリザベスは心配そうに言った。
「『灼熱教団』は同時に五つの門全てを狙っている」
「なぜだ?」
守は考え込んだ。
「彼らには五つの門全てを開く力はないはずだ。なぜ分散して…」
「もしかして…」
エリザベスは恐ろしい可能性に気づいた。
「彼らは門を開くのではなく、『心臓』のかけらを集めようとしているのかも」
「何のために?」
「わからない…」
エリザベスは不安そうに「月蝕の心臓」を見つめた。
「でも、それは恐ろしい力を持つ可能性がある」
二人は互いに視線を交わし、決意を新たにした。彼らは「月蝕の心臓」を守るため、より強力な防御魔法を施し始めた。
北海道、雪村家の屋敷に戻ったハヤテ、リリィ、凛は、緊急連絡のために集まっていた。凛が特別な通信装置を起動させると、霧のような画面が現れ、そこに風間ユズキ、霧島兄妹、そして守とエリザベスの姿が映し出された。
「全員が揃ったわね」
凛が言った。
「状況を共有しましょう。『極光の門』は攻撃を受け、『極光の心臓』のかけらが奪われました」
「『霧氷の門』も同様です」
ユズキが報告した。
「『灼熱教団』が現れ、戦いの末に『霧氷の心臓』のかけらを持ち去りました」
「九州も…」
燈が悔しそうに言った。
「『噴火の心臓』のかけらが奪われました」
「関西の『炎渦の門』は、すでに『灼熱教団』が『炎の心臓』を持っていますね」
拓海が確認するように言った。
「残るは東京の『月蝕の心臓』だけだ」
守は重々しく言った。
「我々はここで最後の防衛線を張る。彼らが五つの心臓のかけらを集めることは許さない」
「でも、なぜ彼らはかけらを集めているのでしょうか?」
リリィが疑問を投げかけた。
「それが問題だ」
エリザベスが答えた。
「古い伝説によれば、五つの『心臓』が一つになると、『大いなる門』が開くと言われている」
「『大いなる門』?」
ハヤテが尋ねた。
「五つの門を超えた、さらに強力な門」
守が説明した。
「それが開けば、異世界との境界が完全に崩れ、二つの世界が融合してしまう。そうなれば…」
「現実世界は崩壊する」
凛が言葉を継いだ。
「『灼熱教団』は世界の終わりを望んでいるのか?」
ユズキが驚きの表情で尋ねた。
ハヤテはその言葉に拳を握りしめた。世界の終わり—それは単なる脅威ではなく、現実になりつつある危機だった。
「終わりではなく、始まりだ」 凛が冷静な声で言った。 「『灼熱教団』の目的は世界の破壊ではない。彼らは新たな世界秩序を作ろうとしている」
リリィが身を乗り出した。 「新たな世界秩序?」
「彼らの信条は『浄化による再生』。異世界の力を現実世界に流入させ、この世界を『浄化』し、彼らの望む形に作り変えようとしているのです」
霧島真琴が画面越しに資料を手元に広げた。 「過去の記録では、『灼熱教団』は五百年前にも同様の試みをしています。当時は一つの門だけを開こうとしましたが、それでも大きな災害が起きました」
「あの火山の大噴火と関係があるのか」 燈が目を細めた。
「そうです」真琴が続けた。「彼らは当時、『噴火の門』を一部開くことに成功しましたが、その結果、九州南部の火山が一斉に活動し、多くの犠牲者を出しました」
「今回は五つの門すべてを—」 ユズキの声が震えた。
「その通りです」エリザベスが言った。「五つの『心臓』を一つにし、『大いなる門』を開こうとしている。彼らの目的が達成されれば、この世界は彼らが思い描く『理想郷』へと変容する」
「理想郷?」ハヤテは疑問を隠せなかった。
守が重く頷いた。 「彼らにとっての理想郷だ。異能力者が支配する世界。普通の人間は奴隷として扱われるか、あるいは…」
「消される」凛が言葉を引き継いだ。「彼らの考えでは、異能力を持たない者は『不要』なのです」
部屋は重い沈黙に包まれた。
「でも、なぜ今なのですか?」リリィが静かに尋ねた。「なぜ彼らは今、動き出したのですか?」
「天体の配列」 エリザベスが答えた。「百年に一度、五つの門が最も開きやすい時期が訪れる。それが今月の満月の夜」
「あと十日しかない」 拓海が言った。
「そして、彼らにはすでに四つの『心臓』のかけらがある」 ユズキが付け加えた。
「もしも五つ目の『心臓』である『月蝕の心臓』が奪われたら…」 リリィの声が消えかかった。
「そうはさせない」 ハヤテの声は静かだが、決意に満ちていた。「相良家と星乃家が『月蝕の門』を守る限り、『月蝕の心臓』は奪われない」
「だが、甘く見るな」 守が警告した。「『炎の五芒星』は侮れない。彼らは各々が強力な異能力を持つ」
「彼らのリーダー、火野煌は特に危険だ」 エリザベスが言った。「彼は五百年前の『灼熱教団』の創始者の末裔と言われている」
「彼の能力は?」 ハヤテが尋ねた。
「不明だ」 守が答えた。「彼は自分の力を決して公然と使わない。だが、他の四人は情報がある」
「琥珀焔は炎を自在に操り、灰塚燃は灰から武器を生み出す」 凛が説明した。「紅園灯は幻覚を見せ、黒炎滅は影を実体化させる」
「四人だけでも強力な布陣だ」 燈が言った。「私たちの仲間も多くが彼らに敗れている」
「だからこそ、私たちは団結して戦わなければならない」 ハヤテは言った。「最後の『心臓』を守るのは私たちの使命だ」
「ハヤテ…」 リリィはハヤテの決意に満ちた横顔を見つめた。
「計画を立てよう」 守が言った。「『月蝕の門』は東京の中心部、皇居の地下深くにある。彼らがそこに侵入するには、いくつかのルートしかない」
「それぞれの防衛線を固めるべきです」 真琴が提案した。
「ハヤテとリリィ」 エリザベスが呼びかけた。「あなたたち二人は、特別な任務を担ってもらいたい」
「特別な任務?」 二人は同時に尋ねた。
「『月蝕の心臓』を守る最後の砦として、あなたたち二人を選びたい」 守が説明した。「実は、『月蝕の心臓』は現在、複数の場所に分けて保管されている。そのうちの一つを、あなたたちに託したい」
「祖父さん、そんな重要な—」 ハヤテは言葉に詰まった。
「君たちならできる」 エリザベスが穏やかに言った。「リリィ、あなたの魔力と、ハヤテの忍術の組み合わせは、私たちの中でも最も可能性を秘めている」
「可能性?」 リリィは首を傾げた。
「そう」 凛が微笑んだ。「二人の力が共鳴する時、通常では考えられない奇跡が起こると古い書物に記されている」
「忍術と魔法の融合…」 ユズキがつぶやいた。「確かに、それは強力な盾になるでしょう」
「では、そうしよう」 ハヤテは決意を固めた。「リリィ、一緒に『月蝕の心臓』を守ろう」
リリィは頬を赤らめながら頷いた。 「はい、ハヤテくん」
「ただし、君たちは学校に通いながら任務を遂行することになる」 守が言った。「普段通りの生活を送るように見せかけることが重要だ」
「『灼熱教団』の目を欺くためですね」 拓海が理解を示した。
「そうだ」 エリザベスが言った。「彼らは君たちが『心臓』のかけらを持っていることを知らない。それを利用しよう」
「それから、これを持っていくんだ」 守は古びた小箱をハヤテに渡した。「君たちがピンチに陥った時、開けるといい」
「何が入っているの?」 リリィが好奇心に満ちた目で尋ねた。
「必要な時が来れば分かる」 守は微笑んだ。
「さて」 凛が会議を締めくくるように言った。「それぞれの持ち場に戻り、準備を始めましょう。時間がありません」
「連絡は『意念通信機』で密に取り合いましょう」 真琴が提案した。「あと、これを」 彼女は画面越しに何かを見せた。それは小さな水晶のようなものだった。
「これは?」 ハヤテが尋ねた。
「緊急時の位置発信器です」 真琴が説明した。「危険を感じたら、強く握ってください。私たちに位置が伝わります」
「ありがとう」 リリィは感謝の意を示した。
「では、全員、気をつけて」 エリザベスが言った。「世界の命運は私たちの手に掛かっている」
通信が終わり、霧のような画面が消えた。凛は深く息を吐いた。
「ハヤテくん、リリィさん」 彼女は二人に向き直った。「明日の朝一番の飛行機で東京に戻りなさい。学校は休んでいたことになっている」
「はい」 二人は同時に答えた。
「それまでの間に、私から二人に伝えておきたいことがある」 凛は厳粛な表情で言った。「特に、リリィさんのエモーショナル・マジックについて、重要な情報がある」
「私の魔法について?」 リリィは驚いた様子で尋ねた。
「そう」 凛は頷いた。「あなたの魔法の真の力について、そして…」 彼女はハヤテを見た。「彼との共鳴について」
翌日、東京に戻ったハヤテとリリィは、通常通り学校に登校した。表面上は何事もなかったかのように振る舞い、クラスメイトたちの「二人で何をしていたの?」という冗談めいた質問にも、修学旅行の事前調査だったと答えた。
しかし、二人の胸の内は穏やかではなかった。凛から聞いた話は、彼らの関係に新たな意味を与えていた。
「リリィのエモーショナル・マジックは、単なる感情による魔力変動ではない」 凛はそう語った。「それは、彼女の心が選んだ相手との絆を強める力。二人の感情が共鳴すれば、通常の魔法使いでは到達できない領域に達する可能性がある」
「そして、ハヤテ」 凛は彼にも向き直った。「あなたの忍術も同様だ。相良家の秘伝には、『心を開いた相手と共に技を放てば、その力は倍増する』と記されている」
これは単なる力の問題ではなかった。二人の間に生まれつつある感情は、彼らの力の源になりうるというのだ。
「でも、それって…」 リリィは言葉に詰まった。
「恋愛感情を利用しろと言っているわけではない」 凛は優しく笑った。「ただ、自分の心に正直になれば、力は自然と湧き出る。それだけのことよ」
昼休み、二人は屋上で弁当を広げていた。いつもなら賑やかなリリィも、今日は静かだった。
「リリィ、大丈夫か?」 ハヤテが心配そうに尋ねた。
「う、うん…」 彼女は俯いたまま答えた。「ただ、考えていたの。私たち、本当に『心臓』のかけらを守れるのかなって」
「守るさ」 ハヤテは力強く言った。「俺たちなら」
「でも、『炎の五芒星』はとても強いんでしょう?私たち、まだ学生で…」
「だからこそ、今日から更に特訓だ」 ハヤテは決意を込めて言った。「放課後、いつもの場所で」
リリィは少し元気を取り戻したように頷いた。 「うん、頑張る!」
しかし、その時、突然の違和感がハヤテを襲った。彼は素早く立ち上がり、周囲を警戒した。
「どうしたの?」 リリィが不安そうに尋ねた。
「誰かに見られている…」 ハヤテは低い声で言った。「気配がする」
屋上は二人の他には誰もいないように見えた。しかし、ハヤテの鋭い感覚は嘘をつかない。
「忍術・影隠れ」 彼は素早く印を結び、二人の姿を霧のように曖昧にした。
「ハヤテくん…」 リリィが不安そうに彼の腕を掴んだ。
「シッ…」 ハヤテは彼女を抱き寄せながら、静かに周囲を観察した。
そして、彼は見た。屋上の物置の陰に、わずかに揺れる影。普通の人間なら気づかないほどの微かな動き。
「見つけた」 ハヤテはつぶやいた。
次の瞬間、彼は素早く動いた。リリィを守るように後ろに置き、三つの手裏剣を影に向かって放った。
「甘いな、若造」 低い声が響き、手裏剣は黒い煙に包まれて消えた。
物置の陰から姿を現したのは、全身を黒い衣服で覆った大柄な男だった。顔は覆面で隠されているが、その目だけは異様に赤く光っていた。
「黒炎滅…!」 ハヤテは名前を口にした。
「よく知っているな」 黒炎滅は低く笑った。「そうだ、『炎の五芒星』の一人、黒炎滅だ」
「どうしてここに…」 リリィは恐怖を隠せない様子だった。
「君たちを観察していただけさ」 黒炎滅はゆっくりと二人に近づいてきた。「興味深いペアだ。忍者と魔法使い…古くからの敵同士が協力するとは」
「俺たちは敵じゃない」 ハヤテは毅然と言い返した。
「そうかな?」 黒炎滅は首を傾げた。「歴史を紐解けば、忍者と魔法使いは常に対立してきた。相良家と星乃家が手を組むのは、実に…異例だ」
「今は違う!」 リリィが強く言った。「私たちは協力して、あなたたちから世界を守る!」
「世界を守る?」 黒炎滅は嘲笑するように笑った。「我々は世界を救おうとしているのだ。腐敗し、堕落したこの世界を」
「救う?」 ハヤテは冷ややかに問いかけた。「世界を混沌に陥れて、どうやって救うというんだ」
「浄化だ」 黒炎滅は両手を広げた。「現在の世界は力のない者たちによって支配されている。本来、力を持つ者が導くべきなのだ」
「だから異能力者による支配を?」 リリィは声を震わせた。「それは間違っている!」
「間違っているのはこの世界の秩序だ」 黒炎滅の声は冷たく響いた。「さて、お喋りはここまでだ。お前たちに用はない」
彼は急に身構えた。 「だが、念のため、戦力を確認させてもらおう」
次の瞬間、黒炎滅の影が床から立ち上がり、無数の触手のようになってハヤテとリリィに襲いかかった。
「リリィ、下がれ!」 ハヤテは叫び、素早く印を結んだ。 「忍法・風神切り!」
鋭い風の刃が放たれ、影の触手を切り裂いた。しかし、切断された影はすぐに元に戻り、再び襲いかかってきた。
「そんな技では私の影は切れない」 黒炎滅は余裕の表情を浮かべた。
「だったら…これは?」 リリィが一歩前に出て、魔法の詠唱を始めた。 「風と光の精よ、我が心に宿りて、闇を照らす光となれ!エモーショナル・マジック・光風旋!」
彼女の周りに風と光が渦巻き、まばゆい光の刃となって黒炎滅の影を切り裂いた。
「なっ…!」 黒炎滅は初めて動揺を見せた。彼の影が光に触れた部分が、煙のように消えていった。
「光か…」 彼は少し下がった。「星乃家の魔法は侮れないな」
「まだよ!」 リリィは勢いづいて、更に詠唱を続けた。「私の心の光よ、全てを…」
その時、不意に彼女の体が揺らいだ。魔力の暴走だ。
「リリィ!」 ハヤテは彼女の体を支えた。
「ふ…不思議ね」 リリィは苦しそうに笑った。「あなたに触れると、魔力が…安定する…」
黒炎滅はその様子を冷静に観察していた。 「なるほど、そういうことか」
彼は突然、攻撃を止めた。 「面白い。お前たちのことは上に報告しておこう」
「待て!」 ハヤテは叫んだが、黒炎滅の体はすでに影の中に溶けるように消えつつあった。
「次に会う時は、本気で相手をするだろう」 彼の声だけが残った。「その時までに、もっと強くなっておけ。特に、その『共鳴』を極めておくといい」
黒炎滅の気配が完全に消えた後、リリィは力なく膝をついた。
「大丈夫か?」 ハヤテは心配そうに彼女を抱き寄せた。
「うん…」 リリィは弱々しく答えた。「ただ、魔力を使いすぎて…」
「もういい。休め」 ハヤテは優しく言った。
「でも、彼は私たちを試しに来たのね」 リリィは深刻な表情で言った。「『共鳴』って言ってたわ。私たちの力の秘密を…」
「ああ」 ハヤテも頷いた。「凛さんの言っていたことを、彼らも知っているようだ」
「これから、どうするの?」 リリィは不安そうに尋ねた。
「予定通り、特訓だ」 ハヤテは決意を新たにした。「特に、俺たちの力の『共鳴』について、もっと理解を深める必要がある」
リリィは顔を赤らめながらも頷いた。 「わかった…一緒に頑張ろう」
二人は互いを見つめ、この危機を乗り越える決意を固めた。しかし、彼らはまだ知らなかった。黒炎滅の報告を受けて、『灼熱教団』がすでに次の一手を打とうとしていることを。
そして、学校の片隅では、鈴木先生が二人を見つめていた。彼の目は、普段の穏やかさとは違う鋭さを湛えていた。
「始まったか…」 彼はつぶやいた。「守さんの孫と、エリザベスの孫娘…」
彼は静かに眼鏡を直すと、職員室へと戻っていった。
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