第7話 「血の誓約」

静寂に包まれた相良家の道場。月光が障子を通して床に落ち、淡い光の道を作り出していた。ハヤテとリリィは向かい合って座り、互いの手を強く握り合っていた。

「今日こそ、必ず成功させる」

ハヤテの静かな決意の言葉に、リリィは微かに頷いた。彼女の金色の髪が月明かりに照らされ、不思議な輝きを放っている。二人の周りに描かれた魔法陣は、わずかに青白い光を発していた。

「『血の誓約』の最終段階だ」守は道場の隅から見守りながら言った。「二人の魂が完全に調和し、一つになる必要がある」

「でも、これまでの特訓では...」リリィの声には不安が混じっていた。

エリザベスが優しく笑みを浮かべた。「大丈夫よ。二人とも随分と成長した。今日は違うわ」

「失敗を恐れるな」守は厳しくも温かい眼差しで孫を見つめた。「相良の『影』と星乃の『光』は、本来互いを求めるもの。それを拒む必要はない」

ハヤテとリリィは目を閉じた。彼らの呼吸がゆっくりと同調していく。

ハヤテは心の中で、リリィの存在を感じ取った。それは温かく、眩しい光だった。彼は自分の「影」の力をゆっくりと解放し、リリィへと流し始めた。

リリィも同様に、ハヤテの静かで安定した「影」の存在を感じながら、自分の「光」の魔力を少しずつ彼へと流していった。

最初は穏やかだった二人の力の交換が、徐々に活発になっていく。魔法陣の光が強まり、黒と青の光が美しい螺旋を描き始めた。

「そう、その調子」エリザベスが静かに見守った。「力を恐れず、受け入れなさい」

二人の周りの光が強まり、やがて部屋全体を包み込むほどになった。ハヤテとリリィの体が宙に浮かび上がり、二人を中心に強烈な光の渦が発生する。

「今だ!」守が叫んだ。「『血の誓約』の言葉を!」

ハヤテとリリィは同時に口を開いた。彼らの声は一つに溶け合い、古代の言葉が道場に響き渡った。

「我らが血を以て誓う、影と光の調和により、門を封じん」

魔法陣が爆発的に輝き、二人の手首から一筋の血が滴り落ちた。血は宙に浮かび、光の中で蒸発するように消えていく。

突然、強烈な光の柱が二人を包み込み、天井を突き抜けるように伸びた。その瞬間、ハヤテとリリィの意識は現実から引き離され、別の次元へと引き込まれていった。

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ハヤテが目を開けると、そこは見たこともない風景だった。

空は紫がかった赤で、不規則に揺らめく雲が漂っていた。大地は荒れ果て、所々に奇妙な形の岩や枯れた木々が散在している。遠くには、巨大な光の渦—おそらく「月蝕の門」—が見えた。

「ここが...異世界?」

ハヤテの横にリリィが立っていた。彼女も驚きの表情で周囲を見回している。

「違う、完全な異世界ではないわ」リリィが静かに言った。「『狭間』ね。現実と異世界の間にある空間」

「よく知っているな」

「祖母から聞いていたの。『血の誓約』を行うと、一度だけここに意識が来るって」

二人が立っている場所から、光の渦—「月蝕の門」—へと一本の道が伸びていた。

「行かなきゃ」リリィは決意を固めたように言った。「門を封印するために」

二人は黙って歩き始めた。道の両側には奇妙な植物や、時折見慣れない生き物の影が見え隠れした。しかし、不思議なことにそれらは二人に危害を加えようとはしなかった。

「『血の誓約』の力が、俺たちを守っているのかもしれない」ハヤテは呟いた。

歩くにつれて、周囲の景色が変化していく。最初は荒れ果てていた大地が、徐々に緑豊かな風景へと変わっていった。紫がかった空も、明るい青へと変わっていく。

「これは...記憶?」リリィが驚いて立ち止まった。

二人の前に広がったのは、見覚えのある風景だった。相良家の庭と、星乃家の洋館が並んで建っている。しかし、それはずっと若い頃の建物のようだった。

「おそらく、30年前の光景だ」ハヤテは静かに言った。「じいちゃんとエリザベスさんが『門』を封じた時の」

その時、若き日の守とエリザベスが庭に現れた。二人は今のハヤテとリリィよりもやや年上の若者だった。

「あの二人が...」リリィは息を呑んだ。

若き日の守とエリザベスは、今のハヤテとリリィと同じように手を取り合い、『血の誓約』の儀式を行っていた。彼らの周りにも、同様の魔法陣が輝いていた。

「彼らも同じ道を歩んだんだな」ハヤテは感慨深げに言った。

幻影のような光景は、すぐに霧散した。再び二人の前には「月蝕の門」への道が伸びていた。しかし今度は、道の途中に人影が立っていた。

二人が近づくと、それが先日家に現れた光の存在であることがわかった。しかし今回は、より明確な姿をしていた。半透明ではあるが、人間のような顔つきが見え、青白い光の中に浮かぶ姿は厳かでさえあった。

「遂にここまで来たか、若き守護者たちよ」光の存在が語りかけた。

「お前は何者だ」ハヤテは警戒を解かなかった。

「私は『門』の番人。『月蝕の門』を監視し、また時に開かせる者」

「門を開こうとしているのか?」リリィが問いただした。「どうして?」

光の存在はゆっくりと二人の周りを回った。「二つの世界は本来、繋がるべきもの。人間が勝手に封じたのだ」

「繋がれば、災いが起きる」ハヤテは断固として言った。「異世界の存在が現実を侵食し、世界のバランスが崩れる」

「それは人間の偏見だ」光の存在は冷たく言った。「異世界と現実が融合すれば、お前たちの想像を超える進化が待っている。新しい力、新しい知識...」

「そんなこと...」リリィは首を振った。

「まだわからぬか」光の存在はリリィの方に向き直った。「お前の魔力は、異世界に由来するもの。門が開けば、その力はさらに増大する」

リリィは一瞬、動揺したように見えた。確かに彼女はいつも、自分の魔力が完全に解放される日を夢見ていた。魔力が暴走せず、思いのままに操れる日を。

「そして相良ハヤテ」光の存在はハヤテに向き直った。「お前の『影』の力も本来、もっと大きな可能性を秘めている。『血の誓約』による封印は、お前たち自身の可能性も閉ざすことになる」

ハヤテは一瞬、迷いを感じた。確かに、彼はもっと強くなりたいと思っていた。リリィを、大切な人たちを守るために。

しかし—

「だが、それは違う」ハヤテは強い意志をこめて言った。「力は目的ではない。俺が守りたいのは、この平和な日常だ」

リリィも決意を取り戻したように頷いた。「私も同じ。魔力が増えても、大切なものを失うくらいなら...今のままでいい」

光の存在は二人の意志の強さを感じ取り、わずかに後退した。

「それでも止める気か」

「ああ、止める」ハヤテは断固として言った。「それが俺たちの使命だ」

「よかろう」光の存在は声のトーンを変えた。「ならば、お前たちの覚悟を試してやろう」

突然、光の存在が巨大な光の嵐へと変貌した。渦巻く青白い光が二人を取り囲み、激しい風が吹き荒れる。

「リリィ!」ハヤテはリリィの手を強く握った。「俺についてこい!」

二人は手を握り合ったまま、光の嵐の中へと飛び込んだ。嵐の中では、無数の幻影が彼らを攻撃した。過去の記憶、未来への不安、恐れ、欲望—すべてが形を取って現れる。

「怖い...」リリィの声が震えた。

「俺が守る!」ハヤテは彼女を引き寄せ、背中で守るようにした。「集中するんだ、リリィ。俺たちにはできる!」

二人は再び『血の誓約』の言葉を唱え始めた。彼らの体から黒と青の光が放たれ、嵐と対抗する。

「我らが血を以て誓う、影と光の調和により、門を封じん」

二人の力が融合し、光の嵐を少しずつ押し返していく。ハヤテとリリィの意志が固く結びつき、その絆が力となって現れた。

「よし、行くぞ!」ハヤテが叫んだ。

二人は最後の力を振り絞り、光の嵐の中心へと突き進んだ。その中心には、巨大な「月蝕の門」があった。半ば開きかけた門からは、異世界の風景が垣間見えた。

ハヤテとリリィは門の前に立ち、最後の封印の言葉を唱えた。

「我らが血と魂を懸けて誓う—」

二人の声が一つになり、空間全体に響き渡る。

「—影と光の永遠の調和によりて、此の門を永久に封じん!」

その瞬間、二人の体から眩い光が放たれ、「月蝕の門」を包み込んだ。門はゆっくりと閉じ始め、異世界の風景が見えなくなっていく。

光の存在は最後の抵抗を試みたが、二人の力の前にその姿は徐々に霧散していった。

「興味深い...」光の存在の声が遠のいていく。「お前たちの絆は、予想以上に強い。だが...これで終わりではない。いつか門は再び...」

その言葉が消え、「月蝕の門」が完全に閉じた瞬間、強烈な光が二人を包み込み、意識が現実へと引き戻されていった。

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相良家の道場。爆発的な光が収まると、ハヤテとリリィは床に横たわっていた。二人はまだ手を握り合ったままだった。

「二人とも!」エリザベスが駆け寄った。

「大丈夫...だよ」リリィが弱々しく目を開けた。

ハヤテもゆっくりと起き上がり、周囲を見回した。「成功...したのか?」

守は窓の外を見て、静かに頷いた。「ああ。空の歪みが消えた。『月蝕の門』はしっかりと封じられた」

二人はほっとして深く息を吐いた。しかし同時に、言い知れぬ喪失感も感じていた。

「これで...終わりなのかな」リリィが小さな声で言った。

ハヤテは黙って彼女の手を見た。そこには小さな傷があり、封印の儀式で流した血の跡がまだ残っていた。彼の手首にも同じ傷があった。

「いや、終わりじゃない」ハヤテは静かに言った。「これは新しい始まりだ」

守とエリザベスは意味深な視線を交わし、静かに微笑んだ。

「さあ、二人とも。休息が必要だ」守が言った。「明日からはまた普通の日常に戻るんだからな」

「普通の...か」ハヤテは何かを思い出したように言った。「そうだ、明日から学校だ」

リリィは突然、顔を赤らめた。「あ...そうだった」

二人は道場を出て、それぞれの部屋へと向かった。しかし心のどこかで、彼らは変化を感じていた。『血の誓約』により、二人の魂は確かに繋がった。その絆は、単なる任務のためだけのものではなくなっていた。

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翌日、相良学園特別区認定校。

教室に入ったハヤテとリリィを見て、クラスメイトたちは驚いた表情を見せた。

「おはよう、二人とも」鈴木先生が眼鏡を直しながら言った。「体調は良くなったかい?」

「はい」リリィが明るく答えた。「完全に回復しました」

教室の中を見回すと、すべてが以前と変わらないように見えた。しかし、ハヤテとリリィには世界が少し違って見えていた。彼らの感覚は鋭くなり、互いの存在をより強く感じるようになっていた。

「なんか二人、雰囲気変わった?」クラスメイトの一人が囁いた。

「うん、なんか...一緒にいるような感じがする」別のクラスメイトが応えた。

授業が始まり、日常が戻ってきた。しかし、ハヤテとリリィの間には新しい現実があった。『血の誓約』による繋がりは、彼らの生活に少しずつ影響を及ぼし始めていた。

昼休み、二人はいつものように屋上で昼食を取っていた。しかし今日は、何か特別な空気が流れていた。

「ねえ、ハヤテ」リリィが空を見上げながら言った。「私、不思議な感覚がするの。あなたの考えていることが、なんとなくわかるような...」

ハヤテは箸を止め、彼女を見た。「俺もだ。お前が何を感じているか、なんとなく...」

「『血の誓約』の影響ね」リリィは微笑んだ。「祖母が言ってたわ。魂が繋がると、感情や思考も共有されることがあるって」

「ちょっと厄介だな」ハヤテは顔を赤らめた。「俺の考えが丸見えじゃ...」

「もう、変なこと考えないでよ!」リリィが頬を膨らませた。

二人は顔を見合わせ、思わず笑い出した。確かに状況は変わった。しかし、それは悪いことではなかった。

「約束は覚えてる?」リリィが真剣な表情で尋ねた。「この全てが終わっても、私たちはずっと一緒って」

ハヤテは静かに頷いた。「ああ、覚えている。それに...」

彼は少し恥ずかしそうに言葉を続けた。「今は、その約束を守るのが、もっと簡単になった気がする」

リリィの頬が赤くなり、彼女は嬉しそうに微笑んだ。二人の間に流れる感情は、もはや言葉にする必要すらなかった。

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放課後、二人は学校の裏手にある小さな森—彼らの「聖地」—へと向かった。そこは以前、彼らが訓練していた場所だった。

「久しぶりだね、ここも」リリィが懐かしそうに周囲を見回した。

ハヤテは森の中心にある小さな空き地に立ち、目を閉じた。「力の流れが...変わった」

リリィも目を閉じ、周囲のエネルギーを感じ取った。「本当だ。前より...穏やかになってる」

「『月蝕の門』が閉じたからか」ハヤテは考え深げに言った。

二人は小さな空き地に座り、静かに自然を感じていた。『血の誓約』を経て、彼らの異能力にも変化が生じていた。より安定し、コントロールしやすくなっていた。

「試してみる?」リリィが興奮した様子で提案した。「私たちの新しい力を」

ハヤテは少し躊躇ったが、彼女の熱心さに負けて頷いた。「軽く、な」

リリィは両手を広げ、魔法の詠唱を始めた。彼女の周りに青い光が現れ、優雅に渦を巻く。以前のような荒々しさはなく、繊細で美しい流れだった。

「すごい...コントロールできてる」彼女は自分の魔力に驚いていた。

ハヤテも立ち上がり、「影」の技を使った。彼の体から黒い霧のようなエネルギーが放たれたが、それも以前より洗練されていた。

「俺も...力の扱いが変わった」

二人が同時に技を繰り出すと、黒と青のエネルギーが美しく交わり、小さな光の舞を作り出した。それは『血の誓約』の時のような強烈なものではなく、穏やかで調和のとれた光だった。

「きれい...」リリィはその光景に見とれていた。

突然、森の奥から物音がした。ハヤテは即座に警戒態勢に入り、リリィを守るように前に立った。

「誰だ!」

木々の間から現れたのは、意外な人物だった。

「先輩方、素晴らしい演舞でしたね」

黒髪の少女が、丁寧に頭を下げた。制服を着ているところを見ると、同じ学校の生徒のようだった。

「あなたは...」リリィは驚いた表情で言った。

「失礼します。一年の風間 ユズキと申します」少女は改めて自己紹介した。「私も...異能者です」

ハヤテとリリィは驚きの表情を交換した。彼らの知る限り、学校内の異能者は限られていたはずだ。

「どうして俺たちのことを...」ハヤテは警戒を解かなかった。

ユズキは真摯な表情で答えた。「『月蝕の門』の封印を感じました。あれほど強力な魔力の波動は隠せません」

「あなたは...何系の異能者?」リリィが気になって尋ねた。

「私は霊媒師の家系です」ユズキは静かに言った。「そして...私にも見えているんです。新たな危機が迫っていることが」

「何だって?」ハヤテは眉をひそめた。「『月蝕の門』は封じたはずだ」

「はい、封じられました」ユズキは頷いた。「しかし...それは始まりにすぎません。『門』は一つではないのです」

リリィは息を飲んだ。「他にも『門』が...?」

ユズキは深刻な表情で頷いた。「はい。そして...」

彼女は一瞬、言葉を躊躇ったが、決意を固めたように続けた。

「『月蝕の門』を封じた相良先輩と星乃先輩のような強い力を持つ者たちが、今、日本各地で狙われています」

ハヤテとリリィは言葉を失った。彼らが思っていた以上に、状況は複雑だった。平和な日常は、まだ完全には戻っていなかったのだ。

「もっと詳しく聞かせてほしい」ハヤテは真剣な表情で言った。

ユズキは頷き、三人は森の中で語り合い始めた。新たな冒険の幕が、静かに上がろうとしていた。

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