第4話 笑わないピエロ
「笑わせたかったんだ。ただ、それだけだったのにな」
控え室の中で、三谷徹(みたに・とおる)は虚ろな目で私を見ていた。
かつては芸人だったという。けれど、今の彼にその面影はない。
細くやせた頬、笑顔の形を忘れた口元。もはや、彼自身が“笑わないピエロ”だった。
「私は“執行人”です。……命を送る、その役目です」
私がそう言うと、彼はふっと笑った。
「そっか。じゃあ、アンコールはないってことだな」
私は目を閉じた。
すると、胸の奥が熱くなる。見えないはずの光景が、脳裏に流れ込んでくる。
――始まった。彼の「過去」が。
◆
舞台の上、まばらな客席。若い三谷がマイクの前で必死に喋っている。横には相方。
だが、誰も笑っていない。空気は冷たく、客の目はどこか侮蔑すら含んでいた。
それでも彼は、ネタを続けた。大げさに転げ、下品なギャグを叫び、頭を下げた。
「ありがとうございましたァ!」
無反応。いや、後ろの席で、誰かがあくびをした。
袖に戻ると、相方が言う。
「もう無理だよ、こんなの。……お前さ、滑ってるって気づけよ」
それが別れだった。
翌日、三谷のSNSから、相方の名前は消えた。
それから、彼はひとりでネタを作り、街頭で芸をした。ピエロの格好で風船を配った。通行人に頭を下げてビラを渡した。
それでも、笑いは戻ってこなかった。
いや、笑いはあった。ただ、それは彼を「笑う」声だった。
「必死すぎて逆にキモい」
「痛々しいな、あのオッサン」
あざける笑い。嘲笑。憐れみ。
それらが彼の胸を、ゆっくりと腐らせていった。
◆
「見たんですね、俺の過去」
私が目を開けると、三谷はぼそりと呟いた。
「あなたは……“誰も笑わなかった”と言っていました。でも、あなた自身が笑うことを忘れていたんじゃないですか?」
「……」
彼はしばらく黙っていたが、やがて、ぽつりと語り出す。
「最後のネタを考えたんだ。衝撃的なやつ。誰もが無視できない、強烈な一発ギャグ……」
「……無差別殺人」という名の、最後の舞台。
彼の狂気は、観客に笑ってほしいという願いの裏返しだった。
「でも、誰も笑わなかった。……当然だよな。俺、もう何をしてるのかわかってなかった」
彼は笑った。今度は、悲しい目で。
私は、彼の肩をそっと叩いた。
「あなたの“最後のネタ”、確かに見届けました」
「……ほんとに?」
「ええ。そして、私は――笑いました」
彼の目が、大きく開く。
「それは、あなたが滑稽だったからではありません。あなたの過去を見て、あなたの必死さが、痛いほど伝わってきたから。……だから私は、心から笑いました」
三谷は、ゆっくりと手で顔を覆った。
肩が、小さく震えていた。
やがて、顔を上げた彼は、ようやく「人間」の表情を取り戻していた。
「ありがとう。……あんた、いい観客だったよ」
時間が来る。
私は立ち上がる。
「さよなら、三谷さん」
「……またどこかでネタやってたら、見に来てくれよな」
その言葉を最後に、彼は静かに歩き出した。
その夜、私は夢を見た。
誰もいない舞台の上。三谷が、ピエロの格好でひとり立っていた。
だが、その顔は穏やかだった。
誰のためでもなく、彼自身のために、初めて心から笑っていた。
ご希望があれば、章タイトルや文体の調整、死刑執行後の余韻なども追加できます。
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