第4話 笑わないピエロ

「笑わせたかったんだ。ただ、それだけだったのにな」


 控え室の中で、三谷徹(みたに・とおる)は虚ろな目で私を見ていた。


 かつては芸人だったという。けれど、今の彼にその面影はない。


 細くやせた頬、笑顔の形を忘れた口元。もはや、彼自身が“笑わないピエロ”だった。


「私は“執行人”です。……命を送る、その役目です」


 私がそう言うと、彼はふっと笑った。


 「そっか。じゃあ、アンコールはないってことだな」


 私は目を閉じた。


 すると、胸の奥が熱くなる。見えないはずの光景が、脳裏に流れ込んでくる。


 ――始まった。彼の「過去」が。


 



 


 舞台の上、まばらな客席。若い三谷がマイクの前で必死に喋っている。横には相方。


 だが、誰も笑っていない。空気は冷たく、客の目はどこか侮蔑すら含んでいた。


 それでも彼は、ネタを続けた。大げさに転げ、下品なギャグを叫び、頭を下げた。


 「ありがとうございましたァ!」


 無反応。いや、後ろの席で、誰かがあくびをした。


 袖に戻ると、相方が言う。


 「もう無理だよ、こんなの。……お前さ、滑ってるって気づけよ」


 それが別れだった。


 翌日、三谷のSNSから、相方の名前は消えた。


 


 それから、彼はひとりでネタを作り、街頭で芸をした。ピエロの格好で風船を配った。通行人に頭を下げてビラを渡した。


 それでも、笑いは戻ってこなかった。


 いや、笑いはあった。ただ、それは彼を「笑う」声だった。


 「必死すぎて逆にキモい」


 「痛々しいな、あのオッサン」


 あざける笑い。嘲笑。憐れみ。


 それらが彼の胸を、ゆっくりと腐らせていった。


 



 


「見たんですね、俺の過去」


 私が目を開けると、三谷はぼそりと呟いた。


「あなたは……“誰も笑わなかった”と言っていました。でも、あなた自身が笑うことを忘れていたんじゃないですか?」


「……」


 彼はしばらく黙っていたが、やがて、ぽつりと語り出す。


「最後のネタを考えたんだ。衝撃的なやつ。誰もが無視できない、強烈な一発ギャグ……」


 「……無差別殺人」という名の、最後の舞台。


 彼の狂気は、観客に笑ってほしいという願いの裏返しだった。


「でも、誰も笑わなかった。……当然だよな。俺、もう何をしてるのかわかってなかった」


 彼は笑った。今度は、悲しい目で。


 


 私は、彼の肩をそっと叩いた。


 「あなたの“最後のネタ”、確かに見届けました」


 「……ほんとに?」


 「ええ。そして、私は――笑いました」


 彼の目が、大きく開く。


「それは、あなたが滑稽だったからではありません。あなたの過去を見て、あなたの必死さが、痛いほど伝わってきたから。……だから私は、心から笑いました」


 三谷は、ゆっくりと手で顔を覆った。


 肩が、小さく震えていた。


 


 やがて、顔を上げた彼は、ようやく「人間」の表情を取り戻していた。


「ありがとう。……あんた、いい観客だったよ」


 


 時間が来る。


 私は立ち上がる。


「さよなら、三谷さん」


 「……またどこかでネタやってたら、見に来てくれよな」


 その言葉を最後に、彼は静かに歩き出した。


 


 その夜、私は夢を見た。


 誰もいない舞台の上。三谷が、ピエロの格好でひとり立っていた。


 だが、その顔は穏やかだった。


 誰のためでもなく、彼自身のために、初めて心から笑っていた。


ご希望があれば、章タイトルや文体の調整、死刑執行後の余韻なども追加できます。










 

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