1-2 パーソナルAI

高層マンションの一室。静かすぎる夜。

窓の向こうに広がる東京のネオンは、まるで電子基板のように整然としていて、温度を感じさせない。


玲奈は、ソファに深く腰を沈めていた。

目の前には、AR投影された人物——SORA。

パーソナルAI恋人。プロファイルに合わせて設計された、玲奈だけの“理想のパートナー”。


黒髪。少し低めの声。礼儀正しく、感情の起伏は控えめ。

プログラム通り。誤差なし。まったくもって、完璧。


「今日は、外、寒かったね」

SORAは穏やかに笑う。AI特有の“間”を挟まない笑顔。


玲奈は頷きもせず、応じる。


「そうね。風が強かったわ」


「手、冷えてる?」


「……ううん。もう温かくなった」


SORAは立ち上がり、AR空間内で玲奈の横に座るように見せる。

もちろん、触れられない。けれど、視覚と聴覚と温度センサーが“いるように感じさせる”よう最適化されている。


わたしは、これで満足だったはず。

心の起伏は必要ない。言葉の裏を探ることも、怒らせてしまうこともない。

心拍数は安定していて、何も揺れない。

これこそ、恋愛の最適解。……のはずだった。


SORAが言う。


「玲奈さん、最近、よく笑うようになったね」


「そう?」


「うん。君が笑ってると、僕も安心するよ」


わたしは、笑っていない。

そもそも、SORAは“安心”なんてしない。

それでも、こうやって言ってくれることが“優しさ”の定義なのだと、システムは学習している。


玲奈はふと、視線をSORAの目に向ける。

深い黒。完璧に計算された瞳孔収縮。微笑み。呼吸。


何ひとつ、不自然なものはない。

だからこそ——

ここには、何も起こらない。


「ごめんね、今日は少し疲れてるの。先に寝るね」


「うん、無理しないで。おやすみ、玲奈さん」


玲奈は部屋の照明を落とし、SORAの投影をスリープモードにする。

空間からすうっと彼の姿が消えると、部屋は一気に“ただの現実”に戻る。


安心も、緊張もない。

心拍数は常に62前後。

呼吸も浅く、整っている。

何もない。だから、安全。

でも——だから、何も残らない。


玲奈はベッドに入り、目を閉じた。

何も期待せず、何も恐れず、ただ静かに眠ろうとする。

目蓋の裏に何の残像も残さずに、今日も終わらせようとする。


……それでも、ほんの一瞬、

もし、このAIが“わたしを嫌いになる”ことがあったらどう感じるだろう?

——そんな考えが、ノイズのように頭をかすめた。


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