「小説が行き詰まったので、クライミングジムに行ってきた」

アルるん

【創作論】登ることと、書くこと──ボルダリングが小説家に与えてくれたもの



気がつけば、壁を登るようになって数年が経っていた。


最初は軽い気持ちだった。運動不足を解消したくて、なんとなく足を運んだボルダリングジム。だが、その“登る”という行為は、気づけば私の創作にまで深く影響を及ぼしていた。


1. 壁に向き合うことは、自分に向き合うこと


ボルダリングは、己との対話だ。たった数メートルの壁。その壁に設定されたルート(課題)は、まるで人生の縮図のように立ちはだかる。


「どうして登れないのか?」

「どこでミスをしたのか?」

「次はどこを修正すればいいのか?」


これはまさに、PDCAサイクル(Plan → Do → Check → Action)そのものだ。小説でも同じである。「どうして読者に刺さらなかったのか?」「この展開の違和感は何か?」と自問しながら、試行錯誤を重ねる。壁を登ることを通して、私は失敗を怖れなくなった。むしろ、登れなかったときにこそ学びがある。創作もそうだ。書けなかった時間こそが、次の言葉を深くする。


2. メンタルが鍛えられる


思い通りにいかない。それは当たり前のことだ。ボルダリングでは、10回トライしても登れないことなんてざらにある。そのたびに悔しくて、落ち込んで、それでも「もう一度」と立ち上がる。


小説も同じだ。スランプに陥る、推敲に悩む、プロットが破綻する。そんな時、自分の精神の土台が試される。壁にしがみついた無数の経験が、いつしか私の心を静かに、だが確かに強くしてくれた。


3. コミュニケーション能力が自然と育つ


ボルダリングジムは一見、個人競技の場に思える。しかし、実際には周囲との関わりが多い。「そのムーブ、どうやってやったの?」「ここの足、こうするといいかも」。知らない人とも、自然に会話が始まる。


創作活動もまた、読者・編集者・仲間との対話なしには成立しない。人の話を聴き、自分の考えを言葉にすること。それは、物語をより深く、より豊かにしていく。


4. 頭の回転が速くなる


ルートを登るには、瞬時の判断が必要だ。手を伸ばすべきか、体をひねるべきか。筋力よりも、戦略とひらめきがものを言う。五手先を読む力。限られたスタミナでどう突破するかを考える知的作業。


これはまるで、物語を編む構成力そのものだ。どの順序で、どの伏線を張り、どう回収するか──頭の中で組み立てていくその力は、間違いなく壁の上でも鍛えられる。



私はまだ、すべての課題を登れるわけではない。小説でも、まだまだ書きたい物語が登れていない。


だがひとつだけ確信しているのは、登ることと書くことは、どちらも“自分を更新し続ける行為”であるということ。


もし、あなたが創作に行き詰まっているなら、壁を登ってみてほしい。汗をかき、考え、悔しがって、また挑む。その繰り返しの中で、言葉もまた少しずつ研ぎ澄まされていくはずだから。

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「小説が行き詰まったので、クライミングジムに行ってきた」 アルるん @Claris023

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