第一章
新生 (1)
朝日が差し込むエマロ学院は、ガラスと金属の建物が海を見下ろす丘に聳え、霧のような符紋結界に包まれていた。
時折揺れる波紋は、この場所がただの学校ではないことを物語る。
今日も生徒たちが登校してくる。人間、異能者、混血――異なる背景を持つ者たちが、この学園で交錯する。
ノックスは校舎へと続く石段の途中に立ち、人混みを静かに見下ろしていた。
深灰の制服に映える赤い髪、額に落ちる一筋の白髪は、どんなに視線を逸らしても目立つ。
彼は帽子のツバを下げ、誰とも目を合わせず、眉をひそめながら心の中で父の言葉を繰り返す。
「トラブルを避けろ。秘密に近づくな」
「よっ、ノックス!」
いつもの声が背後から飛んできた。
ノックスが振り返ると、黒髪のポニーテールを揺らしながら、アリアンが自転車に乗ってやってきた。
白いシャツに灰色のスカート、袖をまくった腕には青インクの跡――教科書のせいか、落書きのせいか。
階段の脇でブレーキをかけると、彼女はさっと降りて自転車を押しながら近づいてきた。
「また会ったね」
にやっと笑いながら、からかうように言う。
「今日は上機嫌って感じ? “普通の学生さん”」
ノックスは眉をひそめ、無言で視線を逸らす。
この女の子が現れると、“目立たない”という計画は決まって台無しになる。
そんな彼の反応を気にもせず、アリアンは話を続けた。
「ねぇ、知ってる? 昨日の符紋室の件、結構大ごとになってるって。
上級生の間でも噂になってるらしいよ。結界が爆発寸前だったってさ」
ノックスは彼女に一瞥を向け、声を落とす。
「……なんでそれを知ってる」
「普通科のネットワーク、なめないでくれる?」
肩をすくめながら、いたずらっぽく笑う。
「でもね、面白いのはそこじゃなくて――事件の後、学園の雰囲気が変わったって話。なんか、不穏っていうか」
「……お前には関係ない」
ノックスは冷たく言い放つが、アリアンは歩みを止めない。
自転車を押したまま、一歩、彼に近づいた。
「関係あるに決まってるじゃん。だって、私たちの“小さな秘密”だし?」
ノックスは無言のまま、踵を返して校舎へ向かって歩き出す。
「とぼけてもムダだよ~」
後ろからアリアンの声が追いかけてくる。
「ノックスだって、気になってるでしょ?」
彼は足を止め、深く息をついた。
「……好奇心が過ぎると、ロクなことにならない」
「はいはい、“気をつけます”ってことで」
アリアンは笑って肩をすくめる。
本気か冗談か分からない――だが、ノックスにはわかっていた。
彼女は決して見ず知らずの好奇心で動く女ではない。
ノックスは再び歩き出す。
彼女の声は聞こえなくなったが、言葉の余韻が耳に残る。
まるで、消えないエコーのように。
◆ ◆ ◆
歴史の授業は、校舎二階の多目的教室で行われる。
壁には、魔族の歴史と符紋に関する絵がいくつも飾られていた。
魔界の通路が初めて開かれたときの描写、最初の人魔戦争、そしてハンター制度の起源……
どれも物語の一部のようでいて、今やこの世界の「常識」になっていた。
教室の前方ホワイトボードには、今日のテーマが映し出されている。
【魔界と人間世界の初接触】
この授業は、数少ない全科合同の授業。
普通科、符紋科、特異科、狩人(ハンター)科の生徒が一堂に会し、それぞれの席に座っていた。
表面上は静かでも、教室内の空気はどこか張り詰めている。
アリアンがドアを押し開けると、迷わず前方の席に着いた。
筆箱を机に“パタン”と投げ出し、何人かの生徒が眉をひそめる。
「ごめんって~」
彼女は手を振りながら、軽く笑って誤魔化す。
その様子は、まるで仲のいい友達の輪に溶け込むようだった。
ノックスはそれから数分遅れて教室に入り、静かに窓際の席を選んだ。
周囲に気づかれないように動き、席に着くと黙って教科書を開く。
視線の先には、アリアンが隣の生徒とひそひそ話している姿。
ノックスはわずかに眉をひそめ、顔を伏せるようにして教科書に集中した。
教壇に立つのは、白髪混じりの年配の教師。
細身のメガネをかけ、落ち着いた声で授業を始めた。
「本日は、魔界の通路が初めて開かれた歴史的背景、そして人類社会への影響について解説します」
スクリーンに古地図が映し出され、そこには門が開かれたとされる地点と、当時の主要な戦争が示されていた。
「約五十年前、魔界の通路が地上に現れた。当初は自然災害として処理されましたが、後に悪魔による侵攻が激化し、現在の“ハンター制度”が誕生したのです」
ノックスは静かに話を聞きながら、ペンを走らせていた。
この“歴史”の裏側には、まだ明かされていない何かがある。
父から少しだけ聞いた断片――だが、決して深く語られることはなかった。
「先生、通路が開いた原因って、いまだにわかってないんですか?」
ふいに、アリアンが手を挙げた。声は真剣そのもの……だが、その瞳には興味の光が宿っていた。
「良い質問ですね」
教師はメガネを押し上げ、ゆっくりと頷いた。
「現在でも明確な原因は解明されていません。ただし、いくつかの研究では、符紋陣の誤作動が関与している可能性が示唆されています」
「符紋、ね……」
アリアンはペンの先を唇に当て、小さく呟いた。
無意識のうちに、その視線は教室の後方――ノックスの方へと向けられていた。
「ねぇ、あの符紋科の転入生、どう思う?」
アリアンの隣に座る女子が、ひそひそと声を潜めて聞いた。
「ちょっと無愛想だけど、よく見たら……結構イケてない?」
アリアンは肩をすくめ、意味深な笑みを浮かべる。
「どうだろうね? 案外、私たちよりも“符紋”のこと、よく知ってるかも」
そして、わざと間を置いて、悪戯っぽくささやいた。
「もしかして、そういうタイプが好きなの?」
「ち、ちがうってば!」
女子生徒は顔を赤くして慌てて手を振るが――
その目は、やっぱり後ろのノックスをまた追っていた。
ノックスは視線を感じ、黙って教科書に目を落とす。
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