第15話 前世について
「わたしには前世の記憶がある」
そうエレノアは口火を切った。
「前世……?」
「そう、前世だ。かつてのわたしはこことはまったく異なる世界に住んでいた。田中花子という名前の一人の女であり、医療にたずさわる者であり、そして……」
エレノアは悲しげに目を伏せた。そしてゆっくりと首を横に振る。
「社畜だった」
「しゃちく?」
「うん、社畜だった」
一体何の話だと首をひねるロラン達にはかまわず、エレノアはほう、と息をつく。
「そしてある夜わたしはいつものように残業をして帰り、酒をかっくらって風呂に入り、そこで寝落ちして溺死して死んだ」
「そ、それは……」
「そして目が覚めると目の前には女神がいた」
そのままエレノアは自身の過去への追想へと入った。なんと相づちを打つべきか戸惑う周囲、特にロランは置いてけぼりにして、エレノアはあさっての方向へと視線を飛ばした。
気づけば花子は真っ白い空間に立っていた。
「目は覚めたかしら?」
目の前には美しい人が立っていた。
純白の長い髪に虹色にきらめく瞳。その肌も身にまとった服も瞳以外のすべてが雪のように白い。身体全身がまるで光を発しているかのように淡く光り、そのあまりの純白さゆえかわずかに身にまとう影は青かった。
(人じゃない……)
確かに美しい人の姿なのに、その美しさに花子はなぜかぞっとする背筋を震わせるものを感じた。
「あなたは……」
「わたくしは女神アリア。リジェル王国の女神よ」
にこにこと彼女は応じる。
「りじぇる……? 聞いたことのない地名です」
「ええ、そうね。あなたにはそうでしょう。可愛い人の子よ」
「あなたは死んだわ」
その言葉に花子は息をのんだ。そんな気はしていたが、こうして改めて突きつけられるとくるものがある。
動揺してかたまる花子に、アリアはにっこりと花の咲くような笑顔を浮かべた。
「でも大丈夫! わたくしが転生させてあげるから!」
「……は?」
思わずぽかんと口を開けて呆ける。展開についていけない花子のことは置き去りにして、彼女は楽しげにきゃっきゃっと続けた。
「転生するのは我がリジェル王国よ。あなたはわたくしの聖女として転生するの。大丈夫、今回はとても素晴らしい人生になるわ!」
「『今回は?』」
「ええ! だって前回の人生は悲惨だったでしょう?」
花子の問いかけにアリアは同情するように眉を寄せてみせる。
「生まれてすぐに親に捨てられて、貧しい中で苦学してやっと働きだしたと思ったらとても過酷で職場の上司の嫌みな人ばかり。友達もなくとても孤独で哀れで可哀想な一生だったでしょう」
「…………」
(うるせぇな)
切実に放っておいてほしい。
しかし花子の願いは届かず女神は続けた。
「だから今回は、とても素晴らしい幸福な人生をあげる!」
「はぁ……」
「大丈夫よ、辛かったわね、偉かったわね。でもその苦しい人生とはもうお別れよ」
彼女は花子のことを労るように抱きしめた。そうしてゆっくりと背中をさする。
「あなたはこの新しい世界で、人生をやり直すの」
そうして花子は、エレノアとなってリジェル王国へと生まれたのである。
エレノアが話しを終えると、その場に沈黙が落ちた。
ちらりと側で控えるケイトのことを横目で見ると、彼女は「またそのような話を人前でして」とじっとりとした目で見ており、向かいに立つレスターを見ると彼は「大変な目に遭われたから……、ちょっと空想に逃げ込んでしまったのかな」という労るような目でエレノアのことを見ていた。
そしてちょうど正面にいるロランのことを見ると、
「ええと、俺にはあまり難しいことはわからないのだが、」
戸惑うように彼は口を開く。そしてどこまでも生真面目な口調で彼は言った。
「つまり、俺は君のことをタナカハナコと呼ぶべきなのだろうか?」
曇りなき眼である。
エレノアは思わず吹き出した。
「ロラン様……、素直で正直なのはあなた様の美徳ですが、あまりすべてを正面から受け止められますな」
レスターは呆れたように主人をたしなめる。
「あっ、えっ? 嘘なのかっ?」
「いいや、今話したことはすべて本当だよ」
焦るロランにエレノアは笑いかけた。
(信じてくれるのか)
幼かった頃のエレノアはその精神年齢が肉体に引きずられてしまっていたのもあり気持ちを一人で抱えておられずこの話を何人かにこぼしてしまった。
自分を育ててくれた乳母とケイト、そして婚約者であったジャック王子にである。
その結果、大騒ぎになった。
まず乳母がエレノアのメンタルがやばいと両親に密告、そのまま幼かったエレノアは教会に連行され、そこで悪いものにでもたたられてはいないかと念入りに確認された。特に怪しい魔術の気配もしないことがわかってからはひたすら教皇、ならびに神官達に取り調べられた。
なにせエレノアは虎の子の聖女である。万が一聖女が気ちがいだなどと噂が立っては困るのだろう。
最終的に数ヶ月教会に閉じ込められ、「勘違いだった」と適当な嘘をついてエレノアは釈放された。
そして家に帰ってからはケイトには「もうそのようなことは口にしないでくれ」と泣かれ、ジャックには「つまらん嘘をつきおって」と冷めた目で見られた。
なのでここまで真に受けられたのは初めてのことだ。
エレノアの胸がじんわりと熱を帯びる。
ふふふ、と意図せず笑みがこぼれた。
「けれどまぁ、荒唐無稽と思われてもしかたがないとは思っているよ。ただこれがわたしにとっての事実な以上、説明はしておいたほうがいいかと思ってね」
「なるほど……、そうか」
ロランは真剣にうなずくと、少しの間なにかを考え込むように黙り込んだ。そして尋ねてくる。
「なぜ、きみが選ばれたんだ?」
「え?」
予想していなかった質問にその意味がわからずエレノアは思わず聞き返す。それにロランはどこまでも生真面目にその澄んだ水色の瞳でエレノアに問いかけた。
「亡くなる人間はたくさんいるはずだろう? その中から女神がタナカハナコ、きみのことを選んだ理由はなんだろうか?」
「ん、あ、ああ……。それはなんか、前世のわたしは品行方正で不幸だったからだそうだ。あと『聖女』を任せる都合上、それなりに勤勉な人間がよかったようだね」
確か都合が良いとかなんとか女神は言っていたはずだ。さもありなん、といった感じの理由だ。
前世で不幸だったなら今世に恵まれていれば女神に感謝することだろう。そして元々社畜なら上司である女神の命令も素直に従う。
(そりゃあローコストで便利に使える人間を選べるなら選ぶだろう)
花子はいつだってそうだ。任せられた仕事はやらねばならないと思ってしまうし、それなりにこつこつと続けてしまう。やる気がたいしてないにも関わらずだ。そしてその仕事が犯罪とかでない限りはめったに断らない。そのため人から面倒な仕事を任されやすかった。
(まぁ、それはエレノアとしての今も同じか)
女神からは『聖女』を、国からも『王子の婚約者』という仕事を与えられてそれなりに黙々とこなしていた、つもりだ。
「そうか」
ロランはエレノアのその返答に静かにうなずいた。そして微笑む。それは雪が春の日差しを受けて暖かな小川へと変わるような、そんな穏やかな笑みだった。
「女神にも認められるくらい勤勉で真面目な人なのだな、きみは」
「……っ」
エレノアは言葉につまる。
(そんな上等な言葉をもらえる人間じゃない……)
だってエレノアは、いや、花子にはある願望があるのだ。
この世界に生まれ落ちて、それからずっと望んでいる悲願が。
しかし固まる彼女にロランは気づかなかったようで、彼は無邪気に首をかしげた。
「そうだな、せっかく打ち明けてくれたんだ。きみのことはエレノアではなくタナカハナコと呼んだほうがいいか?」
「ああ、いや、」
思わずうなずいてから、エレノア、否、花子は少し悩む。そして指摘しようかどうしようかをしばし迷い、
(……よし!)
気合いを入れると口を開いた。
「できれば花子で頼む。田中は名字だ」
それは花子にとってはわりと重要な問題だった。
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