6 風の詩
――ちょっと待って……この流れだとハルオ君もその…吟遊詩人ってことなの?
アカネは、少し混乱してしまいました。
リーーーン
老女は、腕をだらりと下げ、歩を止めました。
あのベルの音には、意識をゆるやかにとめるような、不思議な力があるのかもしれません。
ライトが言葉を紡ぐと、ハルオがその声を追いかけるように言葉を継ぎます。
ふたりの声は、抑揚や緩急をつけながら、交互に連なり響き合っていきます。
けれど先ほど、ライトがひとりで老女に語りかけたときとは、少し様子が違っていました。
ただ静かになるのではなく、ときおり苦しむように身じろぎをし、激しく葛藤しているように身悶えするのです。それは自分の中にある何かを、必死に追い出そうとしているかのようでした。
ライトもハルオも、その営みを支え、ときに導いているようでした。そっと勇気を示しているかのようでした。アカネの目にはそう映ったのです。
「風がふれるたびに」
ライトとハルオの声が、ぴたりと重なりました。
「風がふれるたびに」
それはくり返されました。
――あ、また…
とアカネは思いました。
さきほど光が見えたように、今度は風が見えます。ほのかに青白い輪郭をまとった風が、言葉に合わせてゆっくりと動いています。
「風がふれるたびに」
遠くで、何かが鳴るのを老女、グルシャは聞きました。
――ああ……これは、ベルの音、かしら。
小さな雫が、胸の内の水面に落ちたような音色でした。
その波紋が静かに広がり、心は凪いでいきます。
若者の声が聞こえてきます。
声は、ふたつあります。
最初ははっきりとは聞き取れませんでしたが、やがて、その言葉が少しずつ意味を帯びて届いてきます。
風だ…風の
がらんどうの私が、心地よい風に満たされていく。
……わたし、きっと、わけがわからなくなっていたんだ。
こころが形を保てなくなって、ぐちゃぐちゃになっていたんだ…
すべて、過ぎてしまって……
みんな、いってしまって……
ひとりで老いて弱って、
ひとりでゆっくりと壊れてきた…
そして――やがて、忘れ去られていくんだ…
誰の記憶からも、わたしは消えるんだ…
ああ、また風だ……風の詩だ。
さっきよりも、はっきりと近くに……
――風がふれるたびに
子どもたちの笑い声が聞こえました。
――風がふれるたびに
家族と食卓を囲んで語らいました。
――風がふれるたびに
友人たちと並んで歩きました。
――風がふれるたびに
若き日の恋のぬくもりが、頬に触れました。
……吹かれるたびに、こんなにも私から記憶がこぼれてくる。
季節が、この身体の中にしまわれていて
過ぎし日すべてが、この心の奥に刻まれている。
わたしは――がらんどうなんかじゃない
そうだ……わたしは――
「……思い出でできている」
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