第2話 オーレウス・バン・バルバード
「あ、ちょっとあんまり動かないでくださいよ。ほら、ボタンが留められないですよ」
可愛いメイドさんことエリーにお着替えを手伝ってもらうという羞恥プレイに身を悶えさせながらも、俺は冷静に現状を見つめていた。
腕ほっそ。ボタン留めるからってそんなとこ触られたらくすぐってぇ。てか、手も小さいしなんか柔らかそう。
「今日のオーレウス様はいつにも増してトチ狂っていますね……。あら、ベルトが緩んで――」
すかさず自分でベルトを締めなおした。そこはちょっとまずい。
エリーは一歩離れると、俺の全身を隅々まで観察して、よしと頷いた。
「身だしなみも整いましたし、お食事へ。オーレウス様」
俺の後ろをついて歩くエリーを伴って、豪奢な廊下を歩く。
記憶にある通り、俺はこの屋敷を知っている。俺の意識は初めて見る光景にワクワクしているようなドキドキしているようなそんな気持ちだが、それでもなおこの景色を知っている。
バルバード家。
その三男として生まれたオーレウスは、家督を継ぐことはないと考えており、家の支援を受けてそれはそれは悠々自適な生活を送っている。
これはひとえにオーレウスの魔法の才能がてんでないことに起因する。
すべての道は魔法に通ず。
とまで言われるほど、この世界では魔法というものがそれはそれは重要なものとして扱われているのだ。ローマくらいすごいらしい。
オーレウスには二人の兄がいるのだが、これがもう魔法の才能に溢れているし、弟なんかはもっとずっと魔法の寵愛を受けている。
などという設定だけゲーム本編で出てきた。
ひるがえってオーレウスは魔法について才能がないこともないが、まあ家族の中では一番ないことは間違いないという、何とも言えないところにある。
そうなってくるとまあオーレウスに家督が回ってくるとすれば、優秀な兄弟がみーんなこの世からいなくなったときだけである。家の支援を受けて悠々自適な暮らしができるだけ、つまり実家の太いニートの立ち位置を得ているのである。
そのせいで魔法がちょっとしたコンプレックスで、剣術をちょっとかじってますよって顔して結構頑張っているのである。
まあ、そんなことはどうでもよくて、重要なのはここがオーレウスの生家であるバルバード家が所有する屋敷であるということだ。
白亜に刺し色の金がよく映える廊下。一面に敷かれた真っ赤な絨毯の毛並みは少しの乱れもない。窓のサッシにいきなり小姑みたいに指を這わせても埃のひとつだって拾えないだろう。いや、この窓ってサッシがあるんだろうか。
俺のゲーム用デスクの上とは大違いだと言わざるを得ない。というか、昨日まで俺がいた1K築34年のアパートとさえ大違いだ。こんな光景を前にして堂々と歩を進めていられるのにはワケがあった。
何しろ俺はこの光景をよく知っているのである。
というよりは、オーレウスがよく知っているというべきか。
俺はオーレウス・バン・バルバード。
全俺が泣いたゲームランキング第一位こと『永久に刻まれて』の序盤ボスを務める男だ。
そして、そんな男は今の俺である。
つまり、オーレウス・バン・バルバードなので、オーレウス・バン・バルバードが知っていることを知っているんですね。
俺にも何がなんだかよくわからないのだが、どうもそういうことらしい。
俺はオーレウスになったのだ。まるで意味不明だが、そうだとしか言えない。
オーレウスが知っていることは当然のように俺も知っているし、俺が知っていることも当然俺は知っている。
なので当然のようにこの屋敷の中を歩き回っても迷子にならないのである。
「オーレウス様、そっちは違いますよ」
「はい……」
しゅんと縮こまって俺はエリーの後ろについていった。
俺の名誉のためだけに断っておくと、ちょっと知ってるようで知らない光景を前にして、うっかり色んなところに行きたくなっただけなので道を間違えたわけではない。
記憶にある中では、俺はどうもこのエリーという女の子に頭が上がらなかったようだ。
それもそのはずで、小さい頃から甘やかされていたオーレウスはまあクソガキだったわけである。お目付け役の大人は、そうはいっても貴族の子供に強く出られるはずもなく、そこで目をつけられたのが使用人の娘で厳しく躾けられていたエリーだ。
同じくらいの年齢で、しゃんとしている彼女と比べられて、生来の負けず嫌いであるオーレウスは彼女に対抗してそこそこしゃんとするようになった。
まあ、その生来の負けず嫌いが原因で序盤ボスとして主人公に立ちはだかっちゃうんですね。
その実、エリーは結構なおてんばであり、オーレウスに対する敬意があんまりなさそうで、しかもオーレウスはそれを許している。
これはなぜか。
オーレウスがエリーのやり方に感動さえ覚えたからである。
大人の前ではいい子であり、ちょっとしたミスを見せても愛嬌で済まされるくらいの立ち位置を確保。そうやって我儘を適度に叶えるという妙技をオーレウスに見せつけ、あまつさえそのやり方を伝授してくれたのである。
そりゃもう俺にとってエリーはこの悠々自適な暮らしを与えてくれた恩人と言っても過言ではない。
生家を離れてこんな屋敷に使用人と居を構え、来月には入学式が控えているアルバンダー魔法学園へとここから通うのだから。
立ち止まる。
頭を抱える。
うずくまる。
ものすごい怪訝な目でエリーがこちらを見る。
「オーレウス様? 廊下で寝るのはさすがにどうかと思いますけど」
「ど、どうすればいいんだ……俺は……迷子だ……」
「えぇ? 急にどうしたんですか? ホントに変ですよ今日。お医者様を呼びましょうか?」
このゲームは、アルバンダー魔法学園に主人公が入学するところから始まる。
序盤ボスであるオーレウスの役回りは簡単だ。
アルバンダー魔法学園の生徒はほとんど貴族で構成されている。何か特別な事情のある平民も生徒として通っている。例えば、主人公とか。
主人公、リアン・ストルカート。平民だが冒険者ギルドからの推薦でアルバンダー魔法学園へと通うことになる。
これは、勤勉なリアンを将来的にはギルドの幹部にしたいなぁというギルド側の思惑によるものだ。ギルドにしか寄る辺のない彼は、その意向に逆らうことはなく魔法学園へと入学した。
ギルドが推薦を出せる程度には実力のあるリアンに対する学園内の目は二分する。
ひとつは、平民だけど実力を備え、態度もそれなりにはわきまえているのであいつはよくやっているよ派。
もうひとつは、あの野郎平民のくせにギルドのコネを使ってこの学園に入り込んできやがった派。
当然のごとく本編のオーレウスは後者である。
平民の実力を見てやろうみたいなことを言って、学園入学直後に最初のイベントにおいて、次のようなことが起きるせいだ。
まず、学園では主人公に魔法の実力で劣っているところを見せつけられる。
次に、剣術でさえ負けているという事実に打ちのめされる。
最後に、主人公の選択肢次第で「なんだ、大したことありませんね」なんて言われる。
哀れオーレウスのプライドは木っ端みじんに粉砕という寸法だ。
オーレウスに残される勝ち札は自分が貴族であるということだけ。
そうして出来上がったのが、平民がふざけんな許せねぇ舐めてると潰すぞ、とギラギラの対抗意識を燃やすコンプレックスモンスターである。
コンプレックスをこじらせて、その後はリアンにちょっかいをかける魔神教団に接触。なんと魔神の力を得て、リアンたちの前に立ちはだかるのだ。
この戦いでリアンはとあるヒロインを通じて自分の過去に向き合い、自分の力を嫌悪せずに受け入れられるようになる。
ここから前向きに取り組めるようになったリアンが様々なヒロインたちと笑いあり涙ありの学園生活へと邁進するのである。
なお、オーレウスはこの後も何度か登場するのだが、登場のたびに魔神の力によって異形へと変貌していく。しかも、言葉も失って「うぅ」とか「あぁ」とかしか発せなくなる。
これが俺です。泣きそう。
当然な報いだよねという声もある一方で、優秀な兄や弟に囲まれて期待もかけられず、唯一努力した剣でさえ大した才能がなくて主人公に負けて可哀そうだと擁護する声もある。
俺はまあ別に序盤ボスだし、掘り下げるようなこともないから特に何も思っていなかった。
というか主人公とヒロインのやり取りばかりに注目していたし、なんなら無駄に高い耐久力にヘイトしかなかった。
のだが、これが今や俺なんですね。
魔神の力で化物になっちゃうんですね。へへへ。どうしよう。
そりゃもう頭も抱えたいってものである。
途方に暮れている。
この世界、魔神が復活するのは確定的に明らかで魔神教団は有頂天になってしまうのだが、とにもかくにも魔神はやばい。ラスボス戦で負けたら普通に世界滅亡エンドに向かうのである。
世界が滅亡するとどうなるか。俺が死ぬ。
それは嫌だ。
では世界が滅亡しないために何をしたらいいのか。
主人公であるリアンが魔神を討伐すればいい。
なーんだ簡単な話じゃないか。
と思ったら大きな間違いである。
考察班がはじき出した計算によると、この世界が滅びるエンドはハーレムエンド以外のすべてのエンドなのだから。
そして、序盤ボスである俺を倒したことを契機にリアンはとあるヒロインとの仲を深め、学園生活に前向きに取り組むのだ。
序盤ボス=魔神の力を得て強くなった俺だ。
魔神の力を得るとどうなるか。俺が死ぬ。
それは嫌だ。
では魔神の力を得ないとどうなるか考えてみよう。
序盤ボスを倒さなかったリアンは静かに学園生活を終えようとするだろう。
するとどうなるか。
少なくとも俺を倒すことで深まるはずのヒロインとの仲が深まらずハーレムエンドに行けないのだ。
世界滅亡の足音が聞こえてきたな。
そもそも、世界滅亡を度外視したとしてもハッピーエンドがハーレムエンドだけなのもよくない。個別エンドでハッピーエンドだったらまだ手の打ちようもあったんだけどな。
「オーレウス様。ほら、どうしたんですか。なんでうずくまってるんですか。お腹痛いんですか?」
「完全なハッピーエンドに向かうしかなくて胃がいてぇ……」
「お腹痛いんですね。はいはい、背中さすってあげますから」
今こうやって背中をさすってくれるエリー。
名前に聞き覚えはないが、彼女はバルバード家のメイドだ。
バルバード家の、メイド……?
その瞬間、俺の天才的ゲーム脳に閃光が走った。
バルバード家のメイドじゃないか!
バルバード家のメイドと言えば中盤のクエストで敵として出てくる。
そう、中盤の敵だ。中盤の敵ということは序盤ボスよりも遥かに強い。
彼女の力を借りれば余裕で序盤ボスの面目躍如だ。
この天才的発想、そしてこれまでのオーレウスの記憶が教えてくれる彼女の関係性から導き出される答え。くっくっく、勝ったな。
「エリー……俺は弱い……! 力を貸してくれ……」
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