第3話 特訓
乾いた鈍い音が響き渡る。
大きく息を荒げて、俺は両手を地面についた。顎から垂れる汗が地面に滴り落ちる。空高くに弾き上げられた木剣がようやく頂点を超えて、落下を始めた。
「オーレウス様」
俺の目前で息ひとつ乱さずにエリーが問う。
「どうして急に強くしてくれだなんて仰ったんですか?」
木剣が真横の地面をえぐって、その半ばまでを地中に埋めた。鉄よりも遥かに重く、しなやかで強靭な素材らしい。
俺が振り上げるのにも苦労するそれを、子供が拾った木の棒と同じくらい軽々と振りまわしていた。
エリーは俺の言葉をどうやら特訓に付き合ってほしいということだと解釈したらしい。彼女がどこからか取り出したこの木剣で、それはもう特訓と言う名の一方的な暴力にさらされていた。
数度打ち合っただけでわかる。彼女は遥か高みから俺を見下ろせるくらいには熟達した剣士だ。
というか、
圧倒的に強すぎるだろ……。
さすがに中盤の敵キャラとして出てくるだけのことはある。最序盤のチュートリアルそしてドーピング序盤ボスである俺とは比べ物にならない。
しかも、俺が剣だけでもと努力をしているのを知っているからか、それだけ自分が強いことをまったくこちらに察知させていなかった。足運びとかね、普段は完全に素人のそれなんです。
でも今、対峙して分かったけどわざと素人の足運びをしていたんですね。泣きそう。
「俺は……力を貸してくれって言ったんだけど……」
エリーがきょとんと目を丸くする。
「え、だから今、私が」
「ノンノン。純粋に力だけ貸してほしい」
「純粋に? 力だけ?」
「そう。具体的にはちょっとどこかで一回俺の代わりに戦ってくれるだけでいいんだ」
鈍痛。
鼻から地面に頭を強かに打ち付けて、俺はもんどりうって転がりまわった。
「痛ってえ!」
こ、こいつご主人様であるこの俺の頭をクソ重い木剣で殴りやがった!
「剣くらいは頑張ってるから、手伝ってあげようかと思っていたんですけれど。そういうお願いは私より強くなってからしてくださいね」
にっこりと、満面の笑みと呼ぶにふさわしい顔でそう言った。しかし、目だけ笑っていない。
俺に残された答えはたった一つしかない。
「はい……」
どうやらあの木剣は身体強化魔法の補助輪みたいなものだという話だ。身体強化を維持して、さらに木剣にも強化魔法をかけることでこの一振りするだけで息が上がるほどの重さが軽減されて、最後には羽くらい軽く感じられるようになるとかなんとか。
エリーによるとこの木剣が羽くらい軽く感じられるようになれば、まあ及第点レベルらしい。中盤の敵ってすごい。改めてそう思った。
身体強化魔法はこの世界では最もポピュラーな魔法のひとつで、戦闘の際にはみんなやっている。
言われてみればそんな設定あったな~、と思い出すのと同時に、
なんでそんなこともできないんですか、みたいな顔をするエリーを前に木剣を軽々と――いややっぱりさっきよりマシだけどすっごい重いんですけど――持ち上げた俺。その切っ先を彼女に突き付けて再び剣を交える。
そして冒頭へ戻る。
おお、オーレウスよ。負けてしまうとは情けない。
いくら木剣をまあちょっとはマシなくらいに振れるようになったからと言って、ストーリー中盤のステータスを相手にできるだけのステータスは俺にないのである。
元はゲームなんだからステータスとか見れないのかな。
「ステータスオープン」
しーん。
何も出ない。
いや、物凄いドン引きしているメイドは出た。
「何しているんですか」
変質者を見る目つきだった。
は、恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「わ! 急に地面を掘らないでください! 何しているんですかホントに!?」
木剣はかなり重量があるので地面に突き立てやすかったのだが、恥ずかしさを誤魔化すために穴に入る作戦はエリーの手によって頓挫させられた。
半目でこちらを見やる彼女の視線はとっても冷たい。真夏ならクーラーの代わりになったかもしれない。
「オーレウス様、そのボコボコになった土は綺麗に直していただけますね?」
「え、こういうのは使用人の」
「直していただけますよね?」
頷くことのみが許されていることは明々白々だった。
「よろしい」
主従関係が一瞬で逆転している。世が世なら処されていてもおかしくないくらい主人に対する敬意の欠片さえないぞ。俺が主人で助かったな。よきにはからえ。
俺は素直に従って穴を埋めて土を踏み鳴らした。
「埋めたぞ」
腕を組んで俺の動向を見守っていたエリー。
いつの間にか彼女の足元にも穴がある。俺が掘りかけていた拳大の小さな穴ぼこなんて目じゃないサイズだ。片足のふくらはぎくらいまですっぽりとはまってしまうくらいの大きさがある。
「まだありますよ」
にっこり笑顔だ。
有無を言わさないふいんき(なぜか変換できない)。
「あの、土は……」
木刀の切っ先が屋敷を指す。
さらに上へと傾く。
俺の視線もつられて屋敷の入り口からその上へと向く。
何か、屋根の上に、うずたかく積みあがったものが見える。茶色。もうちょっと言うと土気色。もっと言うと土。
「屋根の上にあるのって、土?」
「そうみたいですね」
「そうみたいですね!? あんなのどうやって運んだ!?」
俺がエリーの顔を見て、もう一度屋根の上を見た時にはなんだか山が大きくなっていたような気がした。
彼女の足元の穴が心なしか大きくなっているような……。具体的には俺の下半身がすっぽり入りそうなくらい。
恐怖の眼差しでエリーを見た。一歩も動いてないよな……?
屋根を見る。山がもっと大きくなっている。
穴を見る。俺が入れそうだ。
エリーを見……いや、
「まだあるみたいだから穴を埋めさせていただきます」
「よろしくお願いしますね」
続けていたらいったいどこまで穴を深く広くされていたかわかったもんじゃない。エリー、恐ろしい子……。
とはいえ、俺が持っているのは木剣だ。スコップでもなければシャベルでもない。あの量の土をどうやって運べと言うんだろうか。というかそもそもあの屋根の上にどうやって登ればいいんだろう。
捨てられた子犬のごとき相貌でエリーの顔を覗き込んだからか、やれやれしょうがないですねと言わんばかりに彼女が肩をすくめた。
「まったく、一度だけお手本を見せてあげましょう」
なんでもなく一歩を踏み出し、その場でひょいと軽くジャンプ。エリーは屋根にいた。
「え、何今の。もう一回やって」
聞こえてないのか、無視しているのか、エリーはこちらを一瞥することもなく手に持った木刀をすぐそばの土に突っ込んだ。そして、すくいあげる。まるでそこにシャベルがあるかのように何もないところで土が浮遊していた。
いや、あれは魔法剣だ。
魔法剣は下級魔法に属する簡単な魔法だ。魔法とは言うものの、魔法というイメージにあるような派手さは少しもない。単純に魔力を押し固めて剣の形にするだけの魔法だ。
ゲームでは最初から覚えている魔法なのだが、いかんせん威力が低く普通に剣を使うほうがよほど有用なのでほとんど使ったことがなく、すっかりそんな魔法の存在を忘れていた。
「なるほど、魔法剣をシャベルみたいにすれば一度にたくさん運べるのか」
俺は木剣の先に魔力の刃を生み出す。
ちょこん。
赤ちゃんの手くらい小さな刃が生まれた。十徳ナイフかな?
「遊んでるんですか?」
いつの間にか戻ってきていたエリーがため息交じりに声をかけてきた。
その手に握られている木剣の先には、幅広の魔力がシャベル状になって維持されている。
エリーは屋根からすくい上げた土を穴に放り入れ、木剣をざくりと地面に刺した。こういうやり方をしろ、ということだろう。
左手で空へと魔法剣を発動させると、驚くほどすんなりとシャベルサイズの刃を生み出せる。同じ感覚でやると木剣の先には小さな刃しかできないのは、おそらくこの木剣が魔力を遮っているからだと思われる。
この木剣を羽のように軽く振れるようになる頃には、この木剣を通じてでも思った通りの魔法剣を生み出せるようになっているだろう。
「まあ、意図はわかった。意図はわかったんだけど」
屋根の上を指す。
「なんであんなところに土を置いたの? というかどうやって行くの?」
「気合で」
「気合で行けるか!」
結局のところ気合と身体強化にものを言わせて壁をよじ登るしかないのであった。
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