《六つの影》8



 王宮最大の舞踏の間。天井高く吊られた百のシャンデリアが、無数の宝石のように光を撒き、音楽家たちが奏でる旋律はまるで星のしらべのように優雅に流れていた。

 紅と蒼の絹が舞い、彩られた男女が静かに踊りを交わす。



 仮面舞踏会の只中。

 香の煙がたゆたう中で、音楽は最高潮に達し、貴族たちは、それぞれの笑みを交わしていた。


 だが、ふとリィゼの足が止まる。


 窓からのぞく〈カメリアの造花〉。

 死を運ぶ密使たちの、静かな合図。


「……来る」

 その直後、空を裂いた黒きの閃光――暗器。


 一直線に、王の胸を狙って放たれたそれを、リィゼは背で受け止めた。


 そこにあったのは「防壁」。

 幻ではない。結界の糸が、音もなく展開していた。


「リィゼ!?」


「セイル、下がって。」


 天井から舞い降りるように二人、セイルの後ろから二人、正面から一人黒装束の者たちが現れる。

 顔を覆ったその身のこなしは、兵ではない。暗殺者。


「私だけじゃなくセイルまで……」



 貴族たちは叫び声を上げ、四散する。

 ドレスが裂け、仮面が床に落ちる音が空気を斬るように響く。


 リィゼはセイルの前に立ち、片手を広げた。


 敵は五名。うち二名は貴族の輪の中に紛れ、短剣を抜いていた。

 リィゼはその視線を一閃。


 ドレスを纏った若い公女の背後、影から現れた刺客の腕を、魔力の一撃が砕いた。


 宙を駆けるもう一つの短剣を、彼女は糸の魔法で巻き取り、ひねり返す。

 空中で軌道を変えられた刃は、逆に敵の肩へと突き刺さる。


 残り三人


「恐れるな!」

「彼女は一人――!」


「一人で、十分よ」


 そう告げた刹那、リィゼは自らの魔力で細剣を形作る。

 その刃は、魔術で研ぎ澄まされていた。


 接近戦。

 リィゼの足元に、敵の魔術師が呪文を刻む。


 だがその魔方陣は、展開されるより早く、リィゼの踏み込みによって砕かれる。

 煙の中から姿を見せたリィゼは、敵の首筋へ刃を滑らせ、返す刃でもう一人の腹をなでた。


「……諦めなさい」


 立ち尽くした最後の一人。

 彼の喉元には、死が添えられていた。


 すべては、二分足らずの出来事。

 幻兵も、剣戟すらない、ただ静謐で、それゆえにおぞましい戦だった。


 ---


 倒れ伏す暗殺者たちの中、リィゼは王のそばへ戻る。


「ご無事で……何より」


「……君が守ったんだ」


「でも、怖がられちゃったみたい」


 会場にいた人々は、声を失っていた。

 魔法も剣も、すべてが静かで、圧倒的だった。




 王都セリヴァ、旧市街の地下。

 煤けた石壁に囲まれた、朽ちかけた密室の奥。

 燃え尽きぬ囲炉裏の焔が、壁に長く揺らめく影を刻んでいた。


 六つの椅子が、囲炉裏を囲むように並んでいる。

 そのひとつひとつに、異なる紋章を刻んだ仮面が沈黙していた。


「――失敗だな」


 最初に落ちた声は、濁りを含んだ低音。

 仮面の奥にある表情は読めずとも、その悔恨と苛立ちは火の揺らぎよりも明確だった。


「否。失敗ではない」


 すぐに、別の仮面が応じる。

 その声音は冷徹で、あくまで静謐を保っていた。


「“魔女”は恐れを植えつけた。王の傍らに立ち、民の前で力を振るった……それだけで、我らの目的は果たされつつある」


「本来なら、排除されていたはずだ。計画は未遂に終わった。これは明白な誤算」


「誤算だったのは“幻兵”ではない。“魔女”だ。――あそこまで動けるとは思わなかった。あの〈封印術式〉さえなければ……」


 言葉が途切れると、場に一瞬、息を潜めたような沈黙が落ちた。


 囲炉裏の火がぱちりと音を立て、一本の蝋燭が静かに涙を流す。

 蝋のしずくが、冷たい石の机にぽたりと落ちる。


 やがて、仮面のひとつがゆっくりと口を開いた。


「六焔会は……まだ、終わってはおらぬ」


 その声音は囁きにも似た熱を孕み、まるで未完の呪文のように、空間に残響を残した。


 火がゆらぎ、最後の灯が、ひと筋の影を長く伸ばす。

 そして、音もなく蝋燭が消えた。


 王都の地下――そこに残されたのは、焔の記憶と、闇に沈む静寂だけだった。


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