《六つの影》7
王都セリヴァに、祝宴の鐘が響いていた。
空に吊された無数の燭台が、夜を昼のように照らし、
王城は光と音楽に包まれていた。
今日、王国は勝戦の舞踏の夜を開いていた。
――だがその華やぎの下には、政治と疑念の深い影が這っていた。
「……よく晴れた夜ね。満月なんて、かえって嘘くさいくらい」
リィゼは、窓辺で静かにつぶやいた。
肩を包む黒金のドレスには、霧の刺繍が散らされている。
それは、魔女としての彼女を、優雅に装ったものであった。
そして、王宮。
月例の祝典――戦後復興を祝う式典の日。
高殿の回廊には彩り豊かな絹がかかり、花々が列柱に飾られ、音楽家たちが軽やかな旋律を奏でる中、貴族、王族、有力商人たちが続々と参列していた。
その空気を裂くように、石の扉が開く。
カツン、と靴音が響く。
夜のようにつやを放つドレス、風にたなびく漆黒の髪。
そして、神と同じ色の瞳を持つひとりの女。
リィゼ・クラウス。
――その名が告げられる前から、空気が変わっていた。
ざわざわと、
誰かが噂を口にしたわけではない。
ただ、彼女が一歩を踏み出すたびに、周囲の囁きが静かな波となって広がる。
扇の陰から覗く貴婦人の目、離れた場所へ移動する老侯爵、子どもの手を引く若き騎士の夫。
「……やはり、あの魔女が来たわ」
「どうして王は彼女を守護者になんぞ……」
彼女の背に幻兵は現れない。
今、彼女はただの人間として、招かれた賓客の一人としてここにいる。
それでも、人々は忘れない。
彼女が軍を超える力を持ち、幾千の幻兵を従え、戦況を一人で覆したことを。
リィゼはそれを感じ取っていた。
目を伏せず、声も震わせない。
ただ、静かに進み――王の席の三歩手前で止まり、優雅に頭を下げる。
「陛下」
「……よく来てくれた、リィゼ」
若き王、セイルの声は、どこか微かな怒りを滲ませていた。
それは、リィゼにではない。
その場に集まる「この国の縮図」――光と影、恩と恐怖を秤にかける者たちに向けられたものだった。
リィゼはそれを知っていた。
けれど、王に礼を返すと、彼女は一歩下がって静かに列の中へと身を置いた。
そこに、誰も近寄らなかった。
まるで見えぬ結界でもあるかのように、彼女の周囲だけが不自然に空いていた。
香の匂い、酒の香り、演奏される舞曲――すべてが、彼女の立つ場所を避けて流れていく。
彼女はふと、窓辺に目をやる。
外は夕刻。
西の空が朱に染まり、王都の屋根が炎のようにきらめいていた。
だがその時、そっと彼女に近づいた少年がひとりいた。
厨房奉公の使いと見られる、小さな皿を運ぶ手の震える少年は、彼女の前で一瞬足を止め、そっと頭を下げて囁いた。
「母が……あの戦で、助けていただきました。ありがとうございました」
目を伏せたまま、彼はすぐに走り去った。
また、遠くから彼女に会釈を送る老医師もいた。
リィゼの幻兵が、病院の崩落を防いだのだと、彼は噂で聞いたのだ。
それらはほんの、砂粒ほどの行為だった。
だが確かにそこには「感謝」があった。
たとえ声高には語られずとも、彼女を“守護者”と認めている者がいる。
夜陰にまぎれ、灯すほどの小さな灯――けれど、それは確かに燃えている。
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