《問われる意志》1

 王宮の空は、鉛色の雲に覆われていた。

 政務の刻限を告げる鐘が低く響き、玉座の間にはいつにも増して重い気配が漂っている。


 若き王セイルは玉座には座らず、窓辺に立っていた。

 雲間からわずかに差し込む光が彼の背を照らし、遠く霞む山並みにその眼差しを落としている。


 その静けさを破ったのは、静かに軋む扉の音だった。


「陛下――南の哨戒隊より、急報が届きました」


 現れたのは、副将ランデル。若きながら王国軍の中枢を担う冷静沈着な指揮官だ。

 彼は膝をつき、封印の紋をあしらった巻簡を恭しく捧げる。


 セイルは黙ってそれを受け取り、封を解いた。

 書き記された筆跡は乱れており、伝令の焦りが滲んでいた。


「……壊滅した軍の残党、アレス旧砦付近に集結中。指揮官名不明。推定兵力三百以上」


 その声は静かに抑えられていたが、一語一語が空気を重たく揺らした。


 セイルは巻紙をそっと巻き戻し、しばし沈黙する。


「……彼らは、ただの敗残兵ではない。命を捨てる覚悟の行軍だ」


「迎撃を?」


「当然だ。だが、王都から多くの兵を動かせば、ここが手薄になる。敵はそれを狙っている可能性がある」


 ランデルの眉がわずかに動く。やや躊躇いがちに、低く問うた。


「では……魔女を、前線に?」


 その言葉が落ちた瞬間、場の空気がわずかに震えた。

 窓の外、雲間に差していた淡い光が翳る。


 セイルは目を閉じ、深く息を吸った。


「……私から彼女に話す」


 その声に宿るのは、王命としての響きではなく、人としての誓いだった。


「彼女を、再び“使う”だけの存在にしてはならない。

 ――彼女が生きる道を拓くこと。それが、あの封印を解いた私の責務だ」


 副将はそれ以上言葉を継がず、ただ深く頭を垂れた。


 やがてセイルは、静かに命じる。


「伝令を。第三軍団、南方へ進軍の準備を整えよ。アレス旧砦に集う残党を制圧する」


「はっ」


 その声には、王としての義務を超えた決意が灯っていた。


 ◇ ◇ ◇


 王宮の最上階、静寂に包まれた回廊を、セイルは足音を響かせながら進んでいた。

 石の壁に淡い朝光が射し込み、季節の境目を知らせるように冷たい空気に春の匂いが混じっている。


 彼の手には、先ほどの急報があった。

 そこに記された残党の動きは、すでに終わったはずの戦乱が、なおも深い影を王国に残していることを物語っていた。


 部屋の扉は開かれていた。

 リィゼは窓辺に立ち、青白い光をその肩に受けていた。長い黒髪が風に揺れている。


 気配に気づいていたのだろう。振り返ることなく、彼女は囁いた。


「……また?」


 その声に、驚きも怒りもなかった。ただ、諦念と微かな痛みが滲んでいた。


「南の砦に不穏な動きがある。……敵の残党だ」


 セイルの言葉には、押し殺した熱が潜んでいた。


 リィゼは瞼を伏せたまま、静かに呟く。


「……そう」


「君の力が、また必要だ。だが……強いるつもりはない。望まぬなら、俺が戦う」


 その言葉に、リィゼの唇が微かに震えた。

 だがそれは悲しみでも怒りでもない。――記憶の底から浮かび上がった、過去の痛みだった。


 何度も命じられるままに剣を取り、ただ道具のように戦い続けた日々。

 そうして彼女は、幾度も命を削らされてきた。


 窓の外では、王都の朝が目を覚まし始めていた。

 石畳の通りに商人たちの声が戻り、子どもたちの笑い声が空へ昇っていく。


 リィゼはその景色をしばし見つめ、そして静かに問いかけた。


「……あなたが、どうやって戦うの?」


 セイルは言葉に詰まり、やがて低く答えた。


「……君に無理強いはできない」


 その言葉に、リィゼは初めて振り返る。

 淡い光の中で揺れるその瞳は、まっすぐに彼を映していた。


 そして、しばしの沈黙ののち、彼女はそっと頷いた。


「……行きましょう」


 窓が開かれ、春の風が二人のあいだをすり抜けていく。


 再び歩むその道は、脆く、痛みを孕んだものかもしれない。

 けれど今――魔女は、自らの意志でその道を選んだ。

 若き王もまた、その歩みに並び立ち、共に進む覚悟を抱いていた。き王もまた、その歩みに並び立ち、共に進む覚悟を抱いていた。

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