第47話 ジョージからの婚約破棄

取り巻きのうちの誰かが言い出した。


「噂を聞きましたよ。なんでもハンナ嬢はフィリップ殿下狙いだったとか」


ジョージは鷹揚にうなずいた。


「伯爵家令嬢ではあるが、相手が王家では、何とも身分違いというか」


「ジョージ様がお気の毒ですわ。そんな方が婚約者だなんて」


いかにも同情するように、ヒルダ嬢が言った。


このヒルダ嬢、背が高いが少しばかり猫背だった。痩せていて、薄っぺらく、カサカサした印象だった。声もカサカサした声質だった。それにもかかわらず、とてもよく響く。ハンナもびっくりした。

カサカサした声なので、まるで内緒話をしているようなのに、広い食堂の隅々まで声が響く。


「まるで、平民の娘が物事をわきまえず、高位貴族に食いつくようなありさまだったとか。それにフィリップ殿下だけならまだしも、他にも大勢の貴族の子弟と出歩いていたそうですわ」


ヒルダ嬢は、ハンナが一緒に出歩いていたと言う何人かの貴族の子弟の名前を挙げた。


ハンナはめまいがしそうだった。

そのうちの誰とも話したこともない。何だったら、顔も知らない。


しかも、なぜ、こんなカサカサした声がりんりんと響き渡り、部屋の隅々まで通るのか。

音楽まで止まってしまって、全員が黙り込んでしまったせいなのか。


「でも、わたくしには、ありがたいお話だったのです。いっそフィリップ殿下と仲良くなさったらいいかと思いますわ」


猫背を伸ばし、毅然としてヒルダ嬢は言った。公爵家の誇りという言葉がにじんでいるようだった。


取り巻きの誰かが、なぜですかと聞いたらしい。


「わたくしとフィリップ殿下は婚約状態でしたの」


この暴露話に、聞いていないふりをしながら、必死で耳を澄ませていた会場中が小さくどよめいた。


「ですけれど、隣国に留学されていたころのフィリップ殿下の素行は酷いものだったそうですの」


聴衆は身を乗り出した。


「フィリップ殿下は、自信満々で女性と接していたそうですけど……」


ヒルダ嬢はわらっているかのように口元を扇で隠した。


「髪を伸ばして目元を隠した、あの見た目でございましょ? 人様から聞いた話なので、真偽のほどはハッキリしませんが、なんでも被害届が出たらしいんですの。中身までは存じません。接近禁止令も出たそうですわ。こちらは確かな筋から聞きました」


え? 殿下は何したの? いつも無口なのに?


「わたくしたちは、被害者なんですのよ」


とっても偉そうな被害者だなーとハンナは思った。


「令嬢を悪しざまに言うことは、本来、ありえないのだが、この場合は事実だからな」


ジョージは、いかにもわざとらしくため息をついて見せた。


「生徒は全員知っている。毎週、ハンナは授業をサボって街へ出かけて行って、デートを重ねていたらしいのだ」


「まあ。どなたと?」


わざとらしいな、ヒルダ嬢。ハンナは怒りが湧いてきた。自分たちは何よ。毎週デートしていたじゃないの。


「身分の低い騎士とだ。残念なことだ。何をしていたかはわからない。婚約は破棄することとなった」


ヒルダ嬢が突然、ジョージに何事かささやいた。そしてハンナを指さした。

ジョージの目が大きく見開かれた。


「あなたはハンナ・ハミルトン嬢か? 出席していたのか」


出席はしている。出席しろと手紙をよこしたのは、ジョージだ。

でも、ハンナに気が付いているとは知らなかった。ジョージとは親しくない。


会場全員が、サッとハンナの方に視線を向けた。


ハンナは怒りで真っ赤になったが、ヒルダ嬢に負けないくらい、背筋を伸ばしてキリッと立った。


「よくもまあ、ダンスパーティに顔を出せたな。ハンナ嬢の悪行は噂になっている。他の男と出歩き過ぎだ。フィリップ殿下に出した手紙も証拠として挙がっている」


ハンナは、ジョージに向き合った。

こんなところで言い負かされるわけにはいかない。


「でたらめでしょう。私はフィリップ殿下のご学友ではありません。アレクサンドラ殿下の学友です。フィリップ殿下に手紙を出したことなどありません」


「嘘を言うな。これはなんだ」


ジョージの手下は思ったより大勢いたらしい。黙って押し寄せてきた男子生徒に押し出されるように、ハンナは勝ち誇ったようなヒルダ嬢とジョージの近くまで歩かされた。


アレクサンドラ殿下、助けて。


フィリップ殿下に手紙を書いたことなんかない。嘘の証拠だ。


ジョージは紙をひらひらさせている。


「読んでみろ」


婚約者相手にしてもひどい言葉使いだ。


ハンナは、手紙を見た。ハンナの字だ。


『一度、会って申し上げたいことがあります』


ハンナの字に間違いない。隣国の言葉で書かれている。これはフィリップ殿下あてではない。エリック様あてだ。


イヤリングをもらった時、もらうべきか真剣に迷って、エリック様に手紙を書いた。

それを護衛騎士様の一人に託した。エリック様が誰なのか、ハンナは知らない。護衛騎士仲間なら届くだろう。


「フィリップ様は隣国語に堪能だ。それを狙って書いたのだろう。誘い文だな」


「あからさまね。よくもまあ、わたくしの婚約者に向かって」


いかにも見下げ果てたと言わんばかりに、ヒルダ嬢が言った。


あなたの婚約者ではないとフィリップ様はおっしゃっていました。

でも、この場で、公爵令嬢に恥をかかせるようなことを言っていいのかしら。それに誘い文なんかじゃない。


「それはフィリップ殿下あてではございません。単なる事務的な用件で、別人に向けて書いたものです。宛先がないではありませんか」


勇気を振り絞って、ハンナは出来るだけ大きな声で反論した。


「これはフィリップ殿下の机の上にあったのだぞ? 私は学友という身分なので、殿下のお部屋を片付けることもあって、これを見つけたのだ」


「おかしいですわ」


それは、してはいけないやつでは? 人の所持品をかき回すだなんて。


「フィリップ殿下宛てじゃないのなら、誰宛てだと言うの? 言ってごらんなさい」


妙に優しそうにヒルダ嬢が言った。


「それは……」


エリック様宛だ。エリック様の本当の名前を知らない。でも、誰なのかは知っている。ハンナにとって、どういう人なのかは知っている。


ハンナはエリック様の言葉を思い出して、少し赤くなった。困った表情になったと思う。


「名前を言えないんでしょう!」


ヒルダ様って、公爵令嬢のくせに品がないなあとハンナは感想を抱いた。アレクサンドラ殿下なら、あんなこと言わない。


「もはや言葉にするまでもなく、浮気の事実が認められたと言うことだ」


声高らかにジョージが宣言した。


これには会場全体が、大っぴらにざわめいた。


「ハンナ・ハミルトン嬢、あなたとの婚約は破棄する。ここにおいでの方々が証人だ」


ハンナは呆然とした。


ジョージはヒルダ嬢の前で跪いた。そしてその手を取って、ヒルダ嬢を見上げた。


「そして、ヒルダ嬢、私との婚約をご検討いただけませんでしょうか」


ヒルダ嬢は見る間に真っ赤になった。


「あら。でも、私はフィリップ殿下と事実上の婚約状態なのです」


事実上の婚約状態って何?

などと、ハンナはあまりのことに呆れて、思考が自分のことじゃない方向へ、一瞬飛んだが、これは好機だ。


こんな男、要らない。


ここは頑張らなくちゃ。


それに周りの様子も目に入ってきた。


婚約破棄する! と宣言した時、最も大きなどよめきが起きたが、そのほとんどが失笑だったことにハンナは気づいていた。


「私に何の落ち度もありません。今おっしゃた方々とはお目にかかったこともございません。それから、その手紙とやらは、ただの事務連絡です。何の問題もないと思います」


「あら、それなら、どうして宛先の男性の名前を言えないのですか?」


割と品がない公爵令嬢がしつこく絡んできた。


ハンナは、公爵令嬢は無視することに決めた。高位令嬢を無視すると後でもめるかもしれないが、この女は品格がなさすぎる。ジョージもだけど。


「婚約解消は確かに承りました」


ハンナは出来るだけ大きな声で言った。


ジョージなんか要らない。こんな訳の分からない言いがかりを作り上げ、さも本物のように公共の場で宣言するなんて。


それに今日のメインはアレクサンドラ殿下と(ジークムンド殿下)、フィリップ殿下のはずよ。

まだお出ましにならない時間帯だからって、このパーティ会場をあなた方の小芝居に使っていい訳じゃないわ!


「あら、いいの? 婚約破棄されても? 貰い手が付かないかもしれなくてよ?」


いやー、ヒルダ嬢、あなたの方こそ、そんな口の利き方では、貰い手が付かなくなるかもしれませんよ?

まあ、大公爵家の一人娘なら、他のことは目をつぶると言う方がおられるかもしれませんが。


ハンナは背が高い方でもなければ、威厳あるタイプでもなかった。


しかしこの時の自分は、堂々としていたと思う。


「構いません。このような虚偽の証拠を捏造してまで、私に有責を求めようとする方との結婚は難しいでしょう」




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