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「それじゃあ、さっそく作るよ!」
小さなカセットコンロにステンレスの手鍋、パック入りの味噌に豆腐に増えるわかめ、そして袋に入った大量の煮干し――、これらがテーブルの上に所狭しと並べられている。
一瞬ここが一人暮らしの男子大学生の部屋だということを忘れてしまいそうになるくらい実に家庭的な図である。
……で何をするつもりなの? 千里さん。
「何するって味噌汁を作るの! 今日は煮干しの日だからね! 外野は引っ込んでて!」
どこから持ってきたのか千里さんはエプロン姿だった。魔法使いもエプロンをするものらしい。また魔法使いに関する微妙な知識が増えた。
エプロンはハートマークにイニシャルがついたような「小学校の時に家庭科の授業で作りました」感が満載のもの。
――ってわざわざエプロン取りに一回彼女のアパートにもどったのか。何だろう。このどうでもいいことに対する千里さんの尋常なまでの行動力。
別に今こんなことにしなくったって……とは思うのだが、確かに外野には違いないので引っ込んでおくことにする。
全国煮干し協会だってバレンタインを差し置いて煮干しのダシを取ることは推進してないと思うよ。それにしても何だよ日本煮干し協会って。
「えーと」
テーブルの上の材料たちを見ながら何か考えごとをしている千里さん。きっとまたろくでもないことを考えているに違いない。
「え……と? ねえ」
外野である僕のことを言っているのかな?
「うー、ごめんよー。悪かったよ。君は外野なんかじゃないよ。ゼネラルマネージャーだよう」
より外野感が強まったのはどうにかならんのか。
それでどうしたね?
「味噌汁ってどうやって作るの?」
夢にしちゃあまりにも千里さんがいつも通りなのでこれは現実なのだろう。僕はいったん落ち着いて現実に立ち向かう準備をした。
この魔法使いは味噌汁の作り方を知らないようだった。どうやら何をやっていいのかわからずに途方に暮れているらしく、彼女の目には軽く涙が浮んでいる。
なんでここまで完璧に材料を用意しておいてそれがわからんのだろう。
「スーパーに行ってね、お味噌汁作りたいんですけど! って言ったらね。店員さんがそろえてくれた」
なるほど。優秀な店員さんもいたものだ。僕が店長だったらただのバイトからバイトリーダーに昇格させているだろう。
ただ、その優秀なバイトリーダーさんも彼女が魔法使いだとはわかならかったようで、しかも料理に関してはどんな魔法も使えないほどの料理オンチであることも知らなかったようだ。
ここでもし作り方まで教えていたとしたら、ただのバイトから契約社員まで昇格させているところだが、そうなてくると、そのバイトさんが魔法使いってことになってしまう。
「君は作り方知ってるでしょ? 味噌汁の貴公子、って地元ではぶいぶい言わせてたんでしょ」
より僕の立場が複雑化してくるのはもうどうにもならないらしい。
残念ながら、味噌汁の貴公子とは呼ばれていなかったのだよ。もちろん地元をぶいぶい言わせてた覚えもない。
「なんだよー。さては君は泥棒だな?」
どうやら「嘘つきは泥棒の始まり」を彼女なりに略したらしい。しかし泥棒呼ばわりされたこっちはたまったもんじゃない。
味噌汁の貴公子とか言い出したのは千里さんだしね。それに本当に今更だけど何だよそのキャッチフレーズ。誇れる自信が全くないよ。
まあ、味噌汁の貴公子とは言われてないけど味噌汁がどういうものかっていうことぐらいはわかるよ。要はその煮干しでダシをとってだし汁を作ってそれに具を入れて最後に味噌を溶かすんだよ。たぶん。
「最後のたぶん、は気になるけどなんかそれっぽいね。さすがエグゼクティブプロデューサー!」
また役職が変わった様子。もはや昇進したんだか左遷されたんだかもよくわからない。
「じゃあさっそく煮干しを――うう、煮干しが睨んでる」
はい?
「煮干しが睨んでるって言ってるの! ほら見てみんなそろって私を見てるよ! ソリティアをクリアしたくらいで生意気な! って怒ってるんだよきっと!」
どんな小さいことで怒ってるんだよこの乾物達は。煮干し達の間のソリティア事情はこっちは知ったこっちゃないし。
「えーと、これでダシをとるんだったっけ? この睨んでるやつで」
そうそう。その睨んでるやつで。
「えっと……ダシをとるっていうのは……何をすべき?」
本当に何も知らないんだな。ここまで料理について知らないのに「煮干しの日」に対する執着心はどこから来るんだか。
「えっと、ダシっていうのはあれですか? お湯ですか?」
お願いしますから日本語でお願いします。
何を言ってるかはよくわからないけど、千里さんが思ってる通りにやればいいんじゃないですか?
こんな気楽なアドバイスをしているのだけれど。結局味見するのは僕なわけで……。けっこう大変なポジションに立ってしまったと今になって思う。
「よし、やってみる! 私やってみる! じっちゃんの名にかけて」
千里さんのおじいさんまだご存命じゃ……。あと別に探偵ではなかっただろうし。
そんなツッコミを僕がいう前に千里さんは腕まくりをしてこっちが見るからに用意周到な様子で煮干しを見ている。
「てやっ!」
千里さんの挑戦が今始まる。
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