第四章 僕とおでんと魔法使い 1

「あけましておめでとうございます」

 魔法使いは僕の部屋に入ってくるなりぺこっと一例する。

 普段は挨拶の一つもしないで入ってくるのになんという気の変わりようだろう。

 彼女は栗色のマフラーと見覚えのある白いミトンの手袋をはめていた。

 この白いミトンは去年には季節を問わずに見かけたものだが、最近はめっきりご無沙汰である。これはきっと彼女が強くなったのだと思う。

 レベルで言ったら二十くらいはゆうに上がっている。魔法使いとしての熟練度も相当のものかもしれない。

 彼女が強くなっているのは僕にとって嬉しい反面、少し寂しいような気もする。

 もう僕が守ってやらなくても大丈夫になっていっている気がするのだ。

 そうすると魔法使いは僕の元からいなくなってしまうかもしれない。

 立派な魔法使いになって、独り立ちをしてしまうかもしれない。

 それがなんとなく怖い。


 寒い中を歩いてきたようで彼女の頬が真っ赤になっていた。

 僕はその頬を暖めてやりたい衝動に駆られてしまう。

こちらこそ、あけましておめでとうございます。

 僕がそう言って頬に両手を当ててやると銀縁眼鏡の魔法使いは「ひゃう」っと小さな声をあげた。

「――なんてことするかな」

寒そうだったら。

「だとしてもやりかたってもんがあるよ。これから両手を当てますよーってさ」

だって手をあてたかったのだもの。しょうがないじゃないか。人間だもの。

「人間だものって言えばなんでも許されると思っているでしょ」

うん。

 寒がりの魔法使いに思いっきり抱きついてみる。

 魔法使いは「ふぁう」と小さくつぶやきゆっくりと僕の背中に手を回してきた。

 何をやっても許されるのだよ。人間だもの。いきなり抱きついても許されるのだよ。人間だもの。

「相変わらず正月らしくない部屋だね」

 僕の部屋に入るなり、驚きの速さで僕のこたつに入る千里さんは猫みたいだった。

 きっと魔法使いになる前は猫だったに違いない。

 それにしても男の一人暮らしに「正月らしさ」を求めるのはいかがなものだろう。

 逆に正月らしい男の一人暮らしがあったら見てみたいものだ。そもそも正月らしい部屋ってどんな部屋なのさ。

「え? 正月らしい部屋。そうだねー。とりあえず門松がどーんと!」

 門松は部屋に飾るものじゃないよね。

「獅子舞が部屋中に舞い踊り――」

 邪魔でしょうがないだろうね。

「そして君はテーブルクロス引きの練習をしている」

 別にそれは正月とは関係ないし――。どれだけの一般家庭で隠し芸大会が行われているというのだろう。

「けど、そんな正月らしい部屋でお正月を迎えるっていうのが私の夢なのだ」

 そんなとってつけたような夢を抱いて僕の部屋に来られても困ります。

 僕はなんでも出てくる四次元ポケットもなんでも願いを叶えてくれる七つあるオレンジのボールも持ち合わせてはいないのだから。

ごめんね。僕に君の夢を叶えられそうにないよ。

 ぜひ来年あたりは夢をかなえられるように努力はしてみる。

 けど、四次元ポケットもオレンジのボールもどこにいったら手に入るのか僕にとっては全く見当がつかない。

 おもちゃ屋に行けばそれに似たようなものはあるような気がするけど。

「叶わないのが夢だからね。しょうがないよ」

 そんな現実的なことをさらっと言ってしまうのか、この魔法使いは――。

 けど、僕はそんなあなたが大好きです。僕はそれを口に出さず胸にそっとしまった。


 それにしても――夢か。

 魔法使いが適当に言った二文字がなんでかわからないが頭にこびりついてしまう。

 ゆめ、ユメ、YUME。

「また何か考えているの?」

 どうやら彼女には僕の頭の中が見えるらしい。

 彼女が魔法を使ったのか、はたまた、僕の頭の中が元々透けていて考えていることが丸見えなのか、それはわからない。

ゆめ。

「ゆめ?」

そう、千里さんは夢って何かある?

「だから言ったじゃん。お正月らしい部屋でお正月を過ごすことだって」

それって子どもの時から?。

「――う、うん。も、もちろん。七夕の短冊に書いたくらいだよー」

 もし、将来僕に子どもができたなら、一つ教えたいことがある。

 七夕の短冊にくだらないことを書くことはやめよう。それだけを伝えたい。あとはやんちゃでもいい。たくましく育って欲しい。

千里さんそれ嘘でしょ。

「嘘じゃないよ。エイリアン嘘つかない」

 それを言うならインディアンだし、エイリアンはしゃべらないだろうから、嘘はつかないだろうし、そもそも千里さんはエイリアンじゃないし――と全部ツッコミを入れていたら僕の身がもたない。

嘘でしょ。

「嘘じゃない」

本当?

「本当!」

 じーっと彼女の顔を見つめる。しっかりと目を見る。薄青くすんだ瞳はしっかりと泳いでいた。

 それでも僕はじ――っと彼女の顔を見る。

 だんだん向こうの顔がにやけてきた。

「ぷ……ぷふふっ」

 どうやら僕の勝ちのようだ。別に勝負はしてないけど。

ほら、やっぱり嘘をついていた。

「うん、ごめん嘘ついた」

あーあ、嘘付いたからりせんぼん飲まされるよ。大変だね。頑張ってね。人生為せば成るよ。

「あ、そう! それ! 前から思っていたんだけど、嘘付いたらはりせんぼん飲ますってさ、針を千本飲ませるの? それともハリセンボンを飲ませるの? どっちなの?」

 どうでもいいなー。素晴らしくどうでもいい。

「私、それが気になって気になってご飯が食べられないくらいで――」

 それはあなたが日頃お酒とおつまみしか口にしてないからでしょう。

けどさ、千里さん。針を千本用意するにしても、魚のハリセンボンを用意するとしてもそれ相応の労力と財力を使うから、その罰ゲームはなしの方向で。

「そうだね。針を千本も買っちゃったら日本中から針がなくなっちゃうものね」

 そこまでではないだろうけど、みんなボタン付けができなくて困っちゃうかもね。

「そうだね。じゃあ、これから嘘をついたらいけないってことにして指切りしよっか。はい、じゃあ君も指出してー」

 魔法使いは小指をたてて僕の目の前に持ってきた。

 僕も小指をたてて彼女の手に近づける。

「指ー切ーりげんまん、うっそついたーら」

 優しい声で千里さんは歌いだした。

 音程が少しずれているがそれは今に始まったことではないので黙っておく。

「正月らしく、つきたてのお餅のーます!」

 そこに正月らしさ求めなくていいから!

「ゆびきーっ」

 彼女はそう言いかけて、指を動かすのをやめた。

どうしたん?

「いや、あの……君に変に思われてしまうかもしれないのだけれど」

言ってごらん。

「指切りっていいもんだなーって思ってた。このまま切るのがもったいないくらい」

 目の前には彼女の小さな小指があった。

 爪はちゃんと整い、ささくれひとつない彼女の小指。

 確かにこれはこれでたまらなく――なんて言うか――気持ちがいい。

けどさ。このまま、指切りしないと僕たち何もできないよ。

「そうですよね。じゃあ」


ゆーびきった!


 僕の小指に絡んでいた彼女の指がするりと抜ける。なんだか寂くて切なくて――。

「なんだか味気なくなっちゃったね」

うん。

「ねえ」

 彼女の目配せは本当に可愛らしい。

 もしも小型犬が「100かわいい」だとしたら彼女の目配せはきっと「300億かわいい」に匹敵すると思う。

「もう一回、いい?」

――うん。

 また小指を絡め合う。

 これが何回でもできるのならば僕は針を千本だって、ハリセンボンだって飲んでやる。

 ――と声たかだかに宣言したいところだが、痛そうだし、胃にも悪そうだからちょっと遠慮したいかもしれない。

 そんなことを考えながら、魔法使いの小指をぎゅっと掴んだ。

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