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夏休み。

 僕はどこかへ遊びに行くわけでも、どこかに旅行へ行くわけでもなかった。

 ただ毎日毎日机の角を眺めていた。

 朝起きてラジオ体操には行っていた。学校からラジオ体操のスタンプカードが配られていてそれを学校に提出しなければならなかったからだ。

 朝起きてラジオ体操の会場である近所の公園に向かうと同級生は既に集まっていた。

 同級生はまず僕を見つけるといやな笑顔で僕に寄ってきて「とりあえず」の感覚で僕の腹部に打撃を与える。その行為は僕の中で「とりあえずパンチ」と呼んでいた。

 一人目、二人目、三人目、と続き、大人しめの同級生は明らかに手加減して殴ってくれる。 だけどその手加減に対しても僕は同じような「痛い」というリアクションをする。

 そいつが手加減しているのが周りにばれないように――だ。

 ばれた日にはそいつが「とりあえずパンチ」の標的になってしまう。パンチの標的になっている間僕は笑顔を忘れない。これは周りの大人にいじめだと思われないようにだ。

これは遊びでやってるんですよー、という笑顔を僕は大人達にみせる。

 それが僕にとっては正義だと思っていた。

 僕は自分自身を正義の味方だと信じて疑わなかった。

 僕が大人に君たちのやってることをばらしたら君たちの人生は大変なことになりますよ。僕はそれを阻止してるんです。すごいでしょう。褒めてもいいんですよ。僕のことを。

 そう思いながら僕は笑顔を作る。

 そしてラジオ体操が始まったと同時に同級生は僕の元を離れる。

 僕の中には「新しい朝」も「希望の朝」もこない。もちろん「喜びに胸を開け」と言われても喜びなんてどこにもない。当然のことながらラジオ体操中はじわじわと腹部の痛みが広がる。


いち、に、さん、し、開いて、閉じて、開いて、閉じて。


 この一連の流れは決して「とりあえずパンチ」をされた後の人間がする行為ではない。

 健康のためにあるはずのラジオ体操でこれだけ健康を害しているのはたぶん日本広しと言えども僕ぐらいのもんだったに違いない。それでもラジオ体操第二が終わるころになったら腹部の痛みは治まってくる。

 係の人にハンコを押してもらっているころにはもう完全になくなっているのだが、今度はラジオ体操恒例行事である「さようならパンチ」の五連続が僕の腹部にやってくるので夏休みの朝はとにかく腹部が痛かった。

 そして家に帰ったら絵日記という名前の創作活動を開始するのである。

 自分の夏休みを頭の中に想像してノートに書く。絵日記の中での僕はものすごく優等生でものすごく物語の主人公気質であった。

 あるときはお年寄りを道に案内し、またある時は近所の子供達の遊び相手になっていた。

 実際は腹部をさすりながら机の角を見ていただけだったのに。


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