5
もうすぐ夏休みだね。
湯飲みにコーヒーのお代わりを注ぐ。彼女はまだ眠さが残っているようでこたつに丸まってうとうととしている。
話かけないで寝させてやればよかったかな、と思ったら千里さんは「ふに?」と僕の目を見る。 僕はなんだか恥ずかしくなって目をそらしてしまうのだが、彼女はそんな僕を見てにまっと笑った。
「そうだね。夏休みだね」
今度は僕をからかっているようでにまにましながら僕の顔を見つめてくる。
楽しそうな千里さんを見る分には別にいいのだけど、恥ずかしさで顔が熱くなってくる。やっぱりこの赤面するくせはいつまでたっても治らないらしい。
「君は夏休みはどうするの? 家出するの? 実家に」
にやけた顔のまま彼女が聞いてくる。えっと一般的にはそれを「帰省」って呼ぶんだよ? 確かに「家」を「出」てはいるんだけどさ。
ん――去年はそうだったけど今年はここにいようかなーって思って。
「どうして? 地元嫌い?」
どきりとした。なんでこういうところだけ鋭いのだろうか。女の勘ってやつは本当にあるのかもしれない。
いや、地元は嫌いじゃない。
これは本心だった。僕が嫌いなのは地元そのものではなくて地元に住んでいる人間だ。
僕と同じように大学やらで就職やらで地元から出ていってはいるものやっぱり夏休み中は帰ってきているらしく、見ただけで胃が痛くなるような連中が実家の周りをうじゃうじゃしているような環境で過ごすことは僕にとっては苦行そのものである。
去年は大学一年目の夏休みということで地元で夏休みを過ごしたのだが、一向に心休める期間がなかった。
心休めなくて何が夏休みだ、という結論に至ったので今年の夏は大学のあるこの町で過ごすということを決めていた。
それにしても二ヶ月もの長い休みを一人で持てあますのは退屈に違いない。
アルバイトでもしてみようかとは思ったが、体力と社交性と根気が欠けるという駄目人間代表の僕にできるバイトなんてあるだろうか。
とにかく一人でモラトリアムを満喫しようと思ってさ。
とりあえずそんなことを言ってごまかした。
「ふーん。そんな楽しげな計画があるんだったら私の入る余地はないようだね」
え? 君もこっち残るの?
「まあね。帰ったら家の手伝いさせられていることはわかりきってるからね。家には夏休みの課題が大変で帰れないーってことにしてある」
そういえば彼女は温泉宿の一人娘だったっけ。中学から高校にかけては部活もしないで家の手伝いばっかりしていたらしい。
「夏休みは字の通り『休む』日だよ。家で寝転んで双子の兄弟が南ちゃんを甲子園に連れて行くんだか行かないんだかよくわかないアニメの再放送を見ながらガリガリくんを食べておなか壊す――そんな一般的な夏休みの過ごし方をしたいんだ私は」
いや、それが一般的な夏休みの過ごし方かどうかはわからないんだけど、とにかく彼女も僕も今年の夏はこっちに残るということだけはわかった。
一人で退屈に夏を過ごすことしか考えてなかったから、なんだか嬉しくなってきた。疲れた脳にカンフル剤が入った感じだ。
「君には夏休みの思い出って何かないの?」
僕にそう尋ねた彼女の顔はもうにやけてはいなかった。
夏休み――と言われて振り返っても友人と呼べる存在がなかった僕にとっては楽しかった夏休みの記憶はない。
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