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 だんだんと空が明るくなってきた。なんとか論述試験の解答を作り終えたころには朝の五時近くになっていた。

 ちなみに論述試験の解答を作り終えたからといってこれはゴールではない。これからこの論述を暗記する作業が待っている。ゴールどころかスタート地点に立っているんだかいないのだかといったところである。

 試験開始が午前九時。とは言え出席カードの記入や問題用紙配布の時間もあるため試験開始十分前には試験会場の教室に着いていなければならない。

 このアパートから大学までが徒歩二十分ほどかかるため、余裕を持って八時にはアパートを出たい。となると残り三時間でA4用紙五枚ほどを暗記するわけだ。

 正直なんとかなりそうだった。

 人間死ぬ気になればなんとかなるものである。ただ心配なのは連日の試験で疲れがピークだと言うところと、布団で寝ている魔法使いの誘惑に勝てるかどうかといところである。

 魔法使いの寝顔は徹夜明けの僕のやる気を無くすには十分すぎるほど愛らしいものであった。彼女が「うん……」と小さな寝息を漏らすたび、ゆっくりと寝返りをうつたび、僕の全ての行動はストップしてしまうのだ。

 よく考えてみれば侘びしい男の一人暮らしアパートに女の子が一人寝息を立てているのだ。 この状態を平常を保てというほうが無理ってやつだ。

 実際のところもう試験勉強どころではない。それでもなんとか論述試験の解答だけはこなすことができていた。

 ただ解読したアラビア文字と教科書とネットから拾ってきた文章を組み合わせるだけの作業だからだ。これは何も考えなくても作業だけはできる。

 頭の中が彼女の寝顔で一杯になっても手だけは動かせる。

 だが暗記となるとそうはいかない。この組み立てた文章を頭の中に入れるためには頭の中の千里さんをどこかへ飛ばしてしまって、頭の中を空っぽにしないといけない。

 けどたぶんそれはどうにかなる気がした。

 頭が「火事場の馬鹿力」ならぬ「試験前の馬鹿力」というモードに切り替わればあとはもう楽勝である。このモードに切り替われば休憩なしでいくらでも暗記が可能なのだ。

 ただこのモードの欠点は試験終了のチャイムと同時にすっぽりと知識が抜けてしまうことと、早くとも試験開始三時間ぐらいにならないと発動しないというこという不便さにある。

 だが今まで何度このモードのお世話になったかわからない。おかげで前学期に学んだことのほとんどを覚えてなんていないのだが――。

 というわけで僕はこの「試験前の馬鹿力モード」へ頭が切り替わるのを待つことにした。そうなればこの単位はもらったも同然である。


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