第二章 僕とビールと魔法使い 1

どうしてこうも試験前というものは、眠いのだろうか。

 それはたぶん寝ていないからだ。

 なんで寝ていないのか。

 寝ていたら試験範囲の勉強が終わらないからだ。

 なんで終わらないほど勉強しなければいけないのか。

 普段全く勉強をしていないからだ。


 深夜三時。

 僕は今日も今日とてパソコンのディスプレイとにらめっこしていた。

 キーボードの横には栄養ドリンクの空き瓶が並ぶ。たぶん今が人生で一番不健康なんだろうなって思う。

 いっそのこともうあきらめて寝てしまおうか。

 なんだかんだ言ってまだ僕はまだ二年生なのだ。残りの大学生活はあと二年もある。

 明日の「法哲学」の単位を落としたところで後でいくらでも取り戻せる。


 僕は意を決して布団へとダイブしようとすると、どこからか寝息が聞こえてきた。

 安心感に満ちあふれた優しい寝息はどうやら僕がダイブしようとしている布団から聞こえてくるようだ。

 見ると魔法使いが眠っていた。

 この魔法使いの名前は高峰千里さん。僕のクラスメイトだ。彼女とは去年に引き続きクラスメイトという間柄になっていた。

 お互いトーイックの成績が芳しくなく、僕と彼女は必修の英語を基礎コースの中でも最低ランクであるAコースというクラスに割り振られてしまったのだ。

 このクラスは学生の中でAコースの頭文字をとって「アホコース」などと呼ばれている。必修の英語はよっぽどのことじゃない限りこのクラスにはならないらしく、トーイックをサボったり壊滅的に英語ができない学生のたまり場なのだ。

 僕は試験中にこの魔法使いに見とれていたためこの「アホコース」にいるのは仕方がないが、何故成績優秀なはずの彼女までもが一緒なのだろうか。千里さんはあろうことかすべて同じ記号をマークしたために「アホコース」入りしてしまった。

なんで千里さんまでこのコースにいるわけ?

と僕は彼女に聞いてみる。すると魔法使いはこう答えた。

「簡単なクラスほど単位が取りやすいじゃない」

 なるほど。そういう考え方もあるのか。

「君も同じなんでしょ?」と彼女が聞いてきたがまさか「君を試験中ずっとみていたから」とは言えずに、もちろんそうさ、と答えてしまった。

 彼女にだけは嘘をつきたくなかったのだが、今回ばかりはしょうがない。


 そのクラスメイトの魔法使いは僕の布団の中で丸くなって熟睡中のようである。

 この幸せそうな寝顔を見ていると彼女の睡眠を邪魔するということがものすごく大罪で、それでいてものすごく心が痛むのである。 

 僕はゆっくり息を吐くと再びパソコンに向かい論述試験の回答を作る作業へと戻る。

 それにしてもなんでこんなに試験前に気持ちよさそうに寝ていられるのだろう。

 その身持ち良さそうな睡眠を一時間だけでいいから僕に分けてほしい。

 別に彼女は既に試験をあきらめているわけではない。逆に試験の準備が万全なのでやることがないのである。

 同じ講義を同じ回数出ているのに僕とのこの差は何なんだろう。

 確かに僕が試験二日前にやっとこさ試験範囲を確認しているくらいのスロースターターであることは否定しない。

 さらに一夜漬けにすればいいやと昨日は家で映画を見ながらビールを飲んでいたことも否定はしない。

 そして試験勉強を始める前に自分のノートの字が汚すぎて、その文章の解読が勉強そのものをさらに遅らせたのも否定しない。

 まあ言うならば結局僕がだめ学生で千里さんが模範的な学生であるということだけのことだ。


 僕と魔法使いはお互いのアパートを行き来するようになっていた。

 別に何をするわけではない。同じ部屋にいるもののお互い別々のことをしているのだ。

 この自由さは他の男女にはないかもしれない。僕が死にものぐるいでアラビア文字と化している自分の字を解読している最中に彼女は優雅に読書しながらティータイムとしゃれ込んでいたぐらいである。

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