第4話 旅立ちの夜に
ここは喫茶ユメツキ。
日が沈んだ頃から、深夜の四時まで開く、ちょっと不思議なお店だ。
人間でも、幽霊でも、おばけでも、誰でもふらりと立ち寄れる、夜だけのやさしい時間。
ドアのベルが、ちりんと鳴った。
静かな風のように、小さな足音がひとつ。
入ってきたのは、真っ白なワンピースに、背中にふわふわの羽根を持った、天使の女の子だった。
まだ幼さの残る頬には、涙のあと。
おそるおそる椅子に座った彼女に、私は声をかけた。
「いらっしゃいませ。寒くなかったかい?」
彼女は、こくりと頷くだけ。
けれどその瞳は、どこか遠く、光を宿していないように見えた。
「明日から、修行の旅に出るんです」
小さな声で、ぽつりとこぼす。
一人前の天使になるための旅。
天界の掟で、子ども天使は皆、ある年齢になると“地上を歩く”経験をするのだと、彼女は言った。
「……でも、こわくて。お母さんに、ひどいことを言っちゃって……」
唇をぎゅっとかみしめて、彼女はまた涙ぐむ。
私はカウンターの奥から、温かいハーブティーを淹れて差し出した。
ラベンダーとレモンバーム、ほんの少しのミルク。やさしい夜の味。
「お茶でも飲んで、ゆっくり話してみない?」
小さな手で、湯気のたつカップを包む彼女。
一口、また一口と飲むうちに、肩の力がふっと抜けていくのがわかった。
すると、またベルが鳴った。
今度は、落ち着いた雰囲気の美しい天使。
彼女のお母さんだ。
娘の姿を見つけると、ほっとしたように微笑んだ。
けれど、どこかぎこちない。娘もまた、気まずそうに視線を落とす。
「……ママ、ごめんなさい」
「わたしこそ、もっとちゃんと話を聞いてあげればよかったわ」
ふたりは、そっと隣同士に座った。
「こわいの。知らない場所で、一人になるのが。天使なのに、こんなこと思っちゃダメなのかな……」
「私も同じよ。娘が旅立つのがこんなにさみしいなんて、強く送り出さなきゃって思ってたのにね」
言葉がぽろぽろこぼれて、心の奥から、想いがあふれてくる。
「あなたなら、きっと大丈夫。怖がりなところも、優しさだからね」
「ありがとう……ママも、元気でいてね」
言葉のあとには、あたたかな沈黙。
気づけば、娘の瞳に、ほんのり光が戻っていた。
「おねえちゃん、お茶、とってもおいしかったです」
「うれしいね。君の旅に、いい風が吹くよう祈ってるよ」
ふたりは手をつないで、扉をくぐっていった。
外は、雲ひとつない夜空。
満月の明かりが、まるで母の手のように、ふたりをやさしく照らしていた。
今日もまた、ユメツキには、やさしい夜が流れている。
次の更新予定
毎週 木曜日 17:00 予定は変更される可能性があります
喫茶店「ユメツキ」の不思議な話 晴 風月 @yuuki-hazuki
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