ローズマリーの記憶帖

料理をするたび思い出す、祖母のあたたかな声。

手入れの行き届いたキッチンと、ハーブの香る小さな庭。


今日は何を食べよう、と考える時間が昔から好きだ。


小さい頃から料理が好きで、誕生日には大人向けのレシピ本をねだったものだった。

キッチンの片隅にあるレシピ本の数々。

その中でも一番の古株のレシピ本は祖母から譲ってもらったものだ。


今の流行りとは異なる、古めかしい顔をした"洋食"のレシピたち。

白黒の写真で食べたことのない料理も沢山並び、味を想像しながらレシピを眺めた。


けして器用な方ではないけれど、料理だけは得意だった。

隣町に住む祖母の家では毎食食べきれないほどの料理を出して貰った。

"全部食べれないかも!"と目をキラキラさせながら言うと祖母は優しく笑った。

「食べたいだけ食べて、残りはお土産に持って帰りなさい」


祖母の家ではいわゆる、和食を食べた記憶がほとんどない。

キッシュやミートパイ、カチャトーラ、クリーム煮など異国情緒のあるメニューばかりだった。

旅行が趣味だった祖母は世界中の料理を食べるのが夢だったらしい。

オリーブの実とゆで卵とじゃがいもがたっぷり入ったサラダを初めて食べたのも祖母の家だった。


祖母の姿を思い出す時、キッチンで何かを作っているか庭の手入れをしているかどちらかだった。

広くはないが手入れの行き届いた美しい庭には沢山の花とハーブが植えられていた。

天気の良い日は祖母の庭でアフタヌーンティーをしたものだった。

「イングリッシュガーデンを目指しているのよ」


バジル、イタリアンパセリ、レモングラス、カモミール、ローズマリー。

カモミールでハーブティーを入れて貰った時は大人になったような気持ちになった。

祖母は特にローズマリーが好きで、魚料理、肉料理はもちろん、パンにも入れていた。

ローズマリーの爽やかですっきりとしたあの香りはキッチンに立つ祖母の背中を思い出させる。


*

そんな祖母に習い、私もマンションの一角でハーブを育てている。

そろそろローズマリーが料理に使える季節だ。

よし、今日は鶏肉を焼いてローズマリーポテトを作ろう。

仕事終わりスーパーに立ち寄り、家へと急ぐ。


丹念に手を洗い、食材を並べる。この瞬間はテンションがあがる。

祖母の手書きのレシピカードを手に取る。

鶏肉、じゃがいも、オリーブオイル、にんにくチューブ、塩こしょう、ローズマリー。


ローズマリーを手にとってに顔の前で香りを楽しんでから耳に近づけると懐かしい声がする。

いつからだろう、ローズマリーから亡き祖母の声が聞こえるのだ。

「料理は難しくないよ。美味しそうなサイズに切って、美味しそうな色になれば正解なんだよ」

記憶の中の祖母の声とゆっくりと優しく話す声を初めて聞いた時は驚きよりも先に懐かしさで涙が溢れた。


大学に入ってすぐに祖母が亡くなり、就職後に一人暮らしを始めてからのことだったと思う。

祖母の庭から形見分けに貰った乾燥したローズマリーを料理に使おうと取り出したときだった。

ふわりと、爽やかな香りが鼻腔をくすぐったと同時に耳元で声がした。

『ちゃんと食べているかい。悲しい時も、嬉しい時もしっかりご飯を食べるんだよ』


高校の時に母と喧嘩した時に祖母が声をかけてくれた時の言葉だった。

祖母の優しい声を思い出し、狭いキッチンで一人涙した。

鼻水をすすりながら出来上がったチキンソテーを頬張った。


*

皮を剥いたじゃがいもを一口大に切って水にさらし、レンジで3分。

ベランダに移動し、ローズマリーを2、3本摘む。春の冷たい夜風が頬を撫でる。

シンクでローズマリーを洗い、キッチンペーパーで水気を取り、顔を近づける。

『すっかり上手になったね。料理は自分も幸せになるし、人も幸せにしてくれる。』


鶏肉にフォークで穴を開け、両面に塩こしょうをふる。

にんにくを薄切りにしてから、ローズマリーと一緒に皮の隙間に入れる。

これは祖母から教わった方法だ。

皮目を下にして弱火で6分。

フライ返しで上下を返し、押さえるとジュウジュウといい音がする。

油と、にんにくと、ローズマリーの香りでキッチンが満たされる。

しっかりと火が通ったのを確認するとローズマリーを取り出して食べやすいサイズに切る。


そのまま、じゃがいもとローズマリーの枝をフライパンに入れる。

爽やかな香りが立ち上ると、祖母の庭が見えるような気がする。

塩こしょうを加え、火を止めると細かく刻んだローズマリーを加えてチキンに添える。


テーブルに移動すると、ワインと食後のイチゴを添えてディナーが完成した。

疲れた体に肉と炭水化物、油と塩がぐんぐんと染み込んでいくのを感じた。


「お酒、おばあちゃんとも飲みたかったな」

『そうね。でも、私はあなたとのティーパーティーが楽しかったわ』


振り返ると、春の夜風がカーテンを揺らしていた。

爽やかなすっきりとしたあの香りと共に。


(終)

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